金曜日の朝、いつもの出張先のビジネスホテルのTVから、キンキンこと愛川 欽也さんが亡くなったことを知りました。
欽也さんは、今から40年前、TBSラジオの深夜放送「パックインミュージック」で水曜パックの第一部を担当していました。ちなみに第二部は滝良子さんでした。その後、木曜パックに移動しました。
「青春!」で始まり「それじゃ、最後に南海ちゃんの詩を」で終わる水/木曜パック。
本当に懐かしいですね。
その後、TVやラジオで活躍した事は、この一両日の報道でご存知かと思います。
1974年に欽也さんが主演、製作、脚本、監督、音楽を担当した『さよならモロッコ』の試写会をTBSホールまで観に行きました。殆どの観客が居なくなった上段の客席から、中学生の僕は、舞台の袖にいた欽也さんに、大きな声で「欽也さん、頑張ってください!」と声を掛けたら、何と舞台の袖から観客席の上段まで走ってきてくれて「ありがとう。君もがんばれ!」と声を掛けて頂き、握手してもらいました。欽也さんの「大きくて温かい手」の感触は、感動とともに今も自分の心の中に、しっかりしまってあります。
深夜放送を通じて、当時の幼い私に、考え方や人の温かさ、「反戦」ではなく「戦争はしちゃ駄目」という考え方を解り易い言葉で伝えてくれました。多くの物を学んだ気がします。
先月までTVに出ていたのに。
確かパックインミュージックを辞める時も「明日から旅回りが続く」とか言って、結局、そのまま終わりになっちゃった。でも私はわかっていましたよ。欽也さんが最後に読んだ崎南海子さんの詩は、欽也さんが以前のパックの中で「この詩は、最終回に読もう」と言っていた詩だったから。
今回の「アド街」もさようならが有りませんでしたね。
欽也パックの最後に流れたジョニーピアソンオーケストラの「渚のシルエット」を聞きながら、少しだけ、あの頃に戻りたいと思います。
欽也さん。さようなら。
そして私の人生に関わってくれて本当にありがとうございました。
ゆっくり休んでください。
欽也さんは、今から40年前、TBSラジオの深夜放送「パックインミュージック」で水曜パックの第一部を担当していました。ちなみに第二部は滝良子さんでした。その後、木曜パックに移動しました。
「青春!」で始まり「それじゃ、最後に南海ちゃんの詩を」で終わる水/木曜パック。
本当に懐かしいですね。
その後、TVやラジオで活躍した事は、この一両日の報道でご存知かと思います。
1974年に欽也さんが主演、製作、脚本、監督、音楽を担当した『さよならモロッコ』の試写会をTBSホールまで観に行きました。殆どの観客が居なくなった上段の客席から、中学生の僕は、舞台の袖にいた欽也さんに、大きな声で「欽也さん、頑張ってください!」と声を掛けたら、何と舞台の袖から観客席の上段まで走ってきてくれて「ありがとう。君もがんばれ!」と声を掛けて頂き、握手してもらいました。欽也さんの「大きくて温かい手」の感触は、感動とともに今も自分の心の中に、しっかりしまってあります。
深夜放送を通じて、当時の幼い私に、考え方や人の温かさ、「反戦」ではなく「戦争はしちゃ駄目」という考え方を解り易い言葉で伝えてくれました。多くの物を学んだ気がします。
先月までTVに出ていたのに。
確かパックインミュージックを辞める時も「明日から旅回りが続く」とか言って、結局、そのまま終わりになっちゃった。でも私はわかっていましたよ。欽也さんが最後に読んだ崎南海子さんの詩は、欽也さんが以前のパックの中で「この詩は、最終回に読もう」と言っていた詩だったから。
今回の「アド街」もさようならが有りませんでしたね。
欽也パックの最後に流れたジョニーピアソンオーケストラの「渚のシルエット」を聞きながら、少しだけ、あの頃に戻りたいと思います。
欽也さん。さようなら。
そして私の人生に関わってくれて本当にありがとうございました。
ゆっくり休んでください。