☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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島津仲家の女性のお墓が福昌寺にあった!

2021-03-07 16:04:57 | 福昌寺墓地探訪その後 '20~'21

☆タイトルを『画像の見直しで思わぬ発見も♪』から変更しました('21.3.9)

 

以前『本立寺跡へ、ちょこっと福昌寺へ』に載せた画像(2020年6月23日撮影)で、

「三原藤五郎武◯」の名が入った石塔(画像③)画像をアップしましたが、これは島津重豪公の墓所ではなく、島津斉宣公の墓所にある石燈でした。

①    ②   ③ 

これは「調所笑左衛門」の刻銘のある石燈(画像①)の二つ右隣にあります

 

またそれとは別に、2008年2月29日(閏年)に撮った画像を見ていたら、

島津重年公の墓所近くで撮ったと思われる画像に気になるものがありました。

 

 花入・水皿の部分に十文字紋がある、彫りの凝った墓石を撮っていたのです。(上下2枚とも2008.2.29撮影)

 

これは南洲墓地の「栗川久澄」の墓石と同じ紋です →  

 

福昌寺の十字紋墓石、撮ったことすら忘れていたけど、これはきっと、何か関連するのではないか

と、昨日夕方確認に福昌寺墓地まで行ってみました。こちら↓は昨日撮ったものです

 

 

撮った時には暗くてわからなかったのだけど、画像整理しながら側面を見ると‥‥

 

「島津仲 久健 女 大奥御年寄格 壽賀」とありました

島津仲家の女性だったようです(第4代 久健の女子のどちらか。「島津家家臣団系図集」参照)

 

それで同じ島津仲家の「栗川久澄」さんと同じ十字紋だったのですね

☆関連記事:『薩州家のこと、島津仲家のこと』(2020.11.6)

   〃  :『曽祖父の養父母の墓は‥‥どこ?』(2020.12.22)

 

この↓左向こうに見えるのは、重年公のお墓です。

 

 

 

ところで、昨日ここを訪ね当てた時、墓石群の前で足元にあったレンガひとつ分ほどの穴に気づかず、コケてしまいました

でも、一面苔むしていて、とっさに付いた両手も膝をついた両脚も怪我なく済みました。苔に助けられたようです

もしかすると、いえ、きっと所縁のこの方が守って下さったに違いない、と思いつつ、

不幸中の幸いを喜んだのでした

 

 

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市田長門〇〇?

2020-10-29 13:42:48 | 福昌寺墓地探訪その後 '20~'21

6月に本立寺と福昌寺に行ったことを記事にしました。

本立寺跡へ、ちょこっと福昌寺へ

6月23日に訪ねた福昌寺で撮った写真も複数枚掲載しました。

その中に「市田長門〇〇」という名前がありましたが、名前が地中に埋もれてわかりませんでした。

 

何となく気になって写していたのですが、最近「島津家家臣団系図集」で調べてみたところ、

「市田長門」とあるのは、「市田義宣」でした。「壬生長門美作城代家老」とありました。 

「壬生 長門 美作(みまさか)  城代家老」ですよね?

(間隔を空けずに書かれているものは、時々どこで区切るのか戸惑うことも多いです

 

「市田氏」は「近江佐々木氏庶流」で右近家・一所持格

初代・貞行 ー 盛常 ー 義宣 と続きます。

 

そして、義宣の末妹は、「関山軍兵衛金言 室」とあります。

また、先代・盛常の姉、登勢は、島津重豪公 夫人(茂姫の母)とも記載あり。

 

 なるほど、画像は重豪公墓所で撮影したものです。

 

最近わかったことをとりあえずメモとして記しておきます。

お詳しい方もありましょうが、私個人のレベルでわかったことを書いておりますので

悪しからず

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