☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

「谷山支所〜県立図書館」mixi日記より

2008-03-27 17:07:46 | mixi過去日記



昨日は県外にいる弟の国民年金納付の確認のために谷山支所まで行ったのだけど
結局納付確認については社会保険事務所ですべてやっているので
本人がそちらで確認されるのが一番ということでした。

そのあと、11日に借りていた本を2冊返しに県立図書館へ。

県立図書館へ行くのは今回が2度目。
市立図書館は知っていたけど、昔の県立図書館が博物館になってからは
どこへ移ったのか知りませんでした。
黎明館の隣だったなんて、、。^^;


そうそう、11日には坂元墓地にも行ったのでした。
そこで目にしたものは‥‥‥無縁納骨堂。

 

福昌寺から移されたものの中で、その後お参りや連絡の無いお骨は
昭和40年代(43年だったか46年だったか?)に
まとめてこの納骨堂におさめられたらしいです。。

  

 


だから、もしかしたら名越左源太さんのものもあるのかも知れませんが、
まだ確証が取れないので、もう少し調べてみるつもり。

で、これまで先祖のことを遡って調べてきたのですが、
そろそろ収束に向かいそうです。

それについては、また改めて。
  

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1週間

2008-03-27 01:34:20 | 奄美大島と名越左源太



ブログ立ち上げからそろそろ1週間。

もともと毎日日記をつけるタイプではないので、
これからも思いついたときに書くスタイルでいきます。

ところで、今日(26日)は県立図書館へ行ってきました。

3月11日から借りていた、
永井亀彦著「高崎崩の志士 名越左源太翁」(昭和9年)と
  〃  「高崎くづれ 大島遠島録」(昭和24年)を返すためなのですが、
県立図書館へ行くのは初めてだったので、
前回は、図書館の利用方法や本の借り方から教えてもらったりしました。
ちょっと新鮮な体験。学校図書を思い出したりして(笑)。

実は市立図書館は知っていても、県立図書館がどこにあるのか
恥ずかしながら最近まで知らなかったのです。
隣の黎明館には度々行っていたのに気付きませんでした。。

2度目の今日は、前から一度見てみたかった
名越左源太著「遠島中夢留(エントウチュウ ユメトドメ)」(複製)を書庫から出してもらいましたが
やはり、というか思った通り、筆字の古い日記は思うように読めず‥‥。
しかもコピーなので「あ、あぁ、こんな感じ、なのね。。」と少々落胆。
そりゃぁ、現物(原本)ではないので感激が薄れるのはしょうがないですね。

今回はじっくり読めませんでしたが、また次に行った時に
時間をかけて読んでみたいと思います。

******************************

名越左源太については
こちらに少し紹介してあります。
参考までに。
*「奄美博物館」のHP

ちなみに、名瀬市は現在奄美市になっております。

今回の図書館での検索もですが、いつも左源太のことに関して参考にさせて頂いている
bizaさんのサイトをここでご紹介致しますね。
幕末奄美遠島生活
 

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春分の日に、ブログを始めてみた。

2008-03-20 16:45:19 | このブログのこと
いろんなテンプレート(ブログのレイアウトデザイン)を見ていたら、
「新しいブログ、作ってみたい!」とテンションup!

実はちょっと前から作ってみたかったのだけど、
本日たまたま目についたこのgooブログで物色。
2、3パターン気に入ったレイアウトを眺めていろいろ思案する。

このワクワクする感じ、文房具屋さんで新しいノートを前にして
「どれにしようかな~♪」と悩んでる時の気持ちに似てるような気がした。

さて、このブログですが、
日々のメモ代わりに、ときに軽~く、ときに掘り下げて書いてゆくのです。

知ってる人は知っている、知らない人は全く知らないであろう、
名越左源太(泰蔵)さんのことなんかも追々書きたいな♪と思っています。
↑知らない人は検索サイトなどで調べてみてね。

今日はこんなところかな。
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「なぜ?」mixi日記より

2008-03-10 11:19:39 | 名越左源太と家族
名越左源太(時敏・のちに泰蔵)に関する日記が続いているけど、
しかも、いくつかのコミュにも左源太のことを書き込みしてるけど、
そもそもなぜ左源太なの?
と、お思いの方もいらっしゃるかも知れませんね。


なぜ?
なぜ、左源太のお墓を探しているの?

「左源太さんのお墓参りをしたいから。」
そう、結局はそういうことなんです。


じゃぁ、なぜ、左源太さんなの?

「ご先祖様だから。」

ご先祖様のお墓がどこにあるかが
なぜ、わからないの?

「左源太の次男の代に、台湾へ渡って、
その子供、さらに孫の時代に戦争に負けて
日本の本土に引き上げて来たから。」


おまけに、父は終戦前の旧制中学卒業と同時に
四国松山の海軍航空隊の予科練入隊のために台湾を離れ、
終戦後引き上げてきた家族の当時の状況が詳しくはわからないから
名越家の家系図など現地台湾の人に預けたらしいということ以外、
父が昔台湾で見せてもらったことがあるという
左源太が書いた絵図や原稿(「南島雑話」にも関わる原本の一部?)も
どうなったか知らない。


       ☆☆☆

*永井亀彦編集発行 『高崎崩れの志士 名越左源太』 1934年
「南島雑話」を書いたのは名越左源太である、と初めて書かれた本がある。
《参考サイト》
http://sagenta.nature-f.com/?eid=137070 ←☆リンク切れです('17 4/30追記)

今年になって父から聞いたことだけど、
その頃(1934年だから昭和9年)だろうか、
祖父(父の父・左源太の孫)が
「あの原稿も資料として渡しておけばよかったなぁ。」とか
「原稿があれば提供出来たのになぁ。」とか
話していたことがあったそうだ。
初耳。こんな逸話が予期せずポロッと出て来る。
その祖父は昭和23年1月に亡くなっている。


*終戦からしばらくして、1949年(昭和24年)に
『高崎くづれ 大島遠島録』(名越左源太翁日記)
永井亀彦編/西南文化研究会 
という本も出ているらしい。
一時期話題になったそうだ。

発行年が違うが、書名が似ているのでちょっと混乱してしまう。。

しかしいまだに一部その道のかたがたには話題にしてもらってもいる。
そのお陰で、こうやって調べることが出来るのは本当にありがたいことだ。

       ☆☆☆

それはともかく、
以前ウチにも来られてご自分で調べまとめられた冊子を届けてくださった
左源太の長男の家系の方(内○八紘さん)の資料によると、
宮崎在住の、左源太長男(時成)直系の子孫の方はあまり左源太のことや
その子供のこと、その後どうなったかなどはご存じなかったらしい。

その上、八紘さんの資料に載ってたのは、以前の
移設前の長谷場墓地のお墓のことだった。

ということは、今現在、左源太のお墓のことを知ってる人は?
左源太さんのお墓にお参りする人がいないんじゃないの?!
と、思ったわけです。

だから、少しでも早くお墓を見つけてお参りをしなきゃ
左源太さんに申し訳ない!!
そういう理由だったんです。


そう、お墓参りが出来れば、
左源太については一区切りつくと
そう思っているんです。
 
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坂元墓地で猫の兄弟に出会う(mixi日記より)

2008-03-10 02:21:10 | mixi過去日記

  

朝から雨の一日。

夕方になって雨がやんだ。
迷わず、父を誘って出かける。

猫2匹に出会って気分が和み、機嫌もすっかり良くなった♪

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*携帯から写真付き日記を書こうと思ったら、
あまり長い文章が書けないから上手くいかなかった。。
ちょっと書き足しておきます。(3/10 AM 9:46)


        ☆☆☆


'08 3/9(日)4時半頃、雨が小降りになったので
名越左源太のお墓があるらしい市内の坂元墓地に行ってみた。


手許の資料には、福昌寺跡の長谷場墓地(現・玉龍高校)に
左源太のお墓があると書いてあったのだけど、
これまでに再三行って探してみても島津家のお墓ばかり。

そこで、前日ネットで調べてみた。
http://www2.synapse.ne.jp/hanjirou/nan/nagosi.htm
ここに書かれた(記事の中程)話によると、
都市計画のために改葬を余儀なくされ、今は坂元墓地にあるらしいのだ。

墓地管理事務所を調べてみると、興国寺墓地と兼務になっており、
しかも、「友引」の日が休み、とある。
これを知ったのが、7日の夕方。
カレンダーを見ると翌8日の土曜日は「友引」だった。

では、日曜日に行けるかなーと思って天気予報を見ると、
昼前から雨になると出ていたので、さらにガッカリ。。
雨の中のお墓探しはちょっとしんどいからね。

「これじゃぁ週明けになるなぁ…」と思っていたところ
夕方になって雨が小降りになり、ちょっとばかり陽も差してきたわけ。
これじゃぁ行くしかないでしょう!ってんで出かけた次第。

坂元墓地までは自宅から車で20~30分くらい。
団地が広がる小高い山を3つ4つ越えて行くから
ちょっと出かけるには結構な距離。

結局また雨が降ってきたんだけど、道路に沿って連なっているお墓を
とりあえず車で往復してみることに。

車を止めるスペースがあったので、
傘差してチョッとだけ辺りのお墓を見てみようとしたら、
白い猫が横切って行った。


この猫の顔がちょっと変わっていて面白い。
真っ白な体に顔だけま~るく薄墨を塗ったよう。
コントに出て来る"こそドロ"みたいな顔してるな~、と思った。
それか、昔のビートたけしがやってた「鬼瓦ゴン蔵」か。(笑)

車を降りると、子猫の声。
さっきの猫?と思ったら、お手洗いの前にあるベンチに
黒白の猫が。
目が顔の真ん中に少し寄ってて、か~わいぃ~♪

すぐにさっきの白い猫もやって来た。

2匹の顔を良く見ると、、似てる!!
目が寄ってるうえに瞳のまわりが少しブルーがかった色をしてた。
可愛かったな~。

お墓を観て回ってるとずーーーーーーっと付いてきて
私と父が立ち止まって墓石を見てる間は
2匹で辺りを追いかけっこしたりじゃれ合ったりしてた。

「また来るねー、またね~♪」と言って墓地をあとにした。

雨も降ってるし、そろそろ日没という時間に着いたわりには
15~20分程じっくり見て回れた。
でもほんの一区画。
結構大きな墓地なので、後日再挑戦です。
 

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「名越左源太別邸跡→残るはお墓探し」mixi日記より

2008-03-08 10:01:00 | 名越左源太と家族

一昨日、ようやく鹿児島市内のタンタドにある
名越左源太の別邸跡を探し当てることが出来た。


あと残るは左源太さんのお墓。

資料にあった「長谷場墓地」でちょっと検索かけてみた。

以前にも試してはみたのだけど、自分自身が知識不足・力量不足で
書かれたあることにピンと来なかったのかもしれない。
そんなことってあるものなんだなぁとつくづく思い知らされる毎日。

以前は探し当てられなかったことが、幸いなことに
最近になっていろいろ引っかかるようになって来た。

ついでに言うと、長谷場墓地が福昌寺跡のことらしいというのも
以前資料で読んでるはずなのに分かってなかったし、
やっぱり今になって理解出来ることというのがが沢山あるのだ。


で、今回の収穫。
http://www2.synapse.ne.jp/hanjirou/nan/nagosi.htm ←☆残念ながらリンク切れてます('17. 4.29追記)

南洲墓地や顕彰館に関わりのある方が生前書かれたものらしいのだけど、
ここに、「坂元墓地に移された」ようだと書かれていた。
(*ページをめくっていくと全ページ循環している構造です。
じっくり読むととても興味深いことがたくさん書いてあります。
南洲墓地の「名越」さん二基はウチとは繋がりが無いことも分かりました)


すっかり歴史探訪の日々で、時々ふと
「これまでの事をまとめた外部ブログでも書いてみようかなぁ」と
思ったりしていたのですが、既に同じようなことやってる人はいるもので
こんなページを見つけました。

《福昌寺跡(島津家墓地)訪問記》
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/KAGKAN56.HTM


残るはお墓探しなんだけど、
その前に県立図書館で「鹿児島県史」などを読んでみる予定。
それとは別に、左源太の書いた(描いた)ものもみられるかもしれない。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《追記》写真を載せてみました。
  *昨日、家に帰ってから写真を拡大して見てショックだったことが、、


   NagoyaのNがMと書かれていて「Magoya」になってる~っ!
   英訳の文も”…and”のあと「Shodo(書道)」が抜け落ちてるし……。←☆「Japanese calligraphy」の前('17.4.29追記)
   どこに問い合わせたらいいものやら。。                          ↑末尾に"a"があるの、いる?

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「皷川タンタドの名越左源太別邸跡」mixiフォトアルバム日記より

2008-03-06 23:23:07 | 名越左源太と家族

'08 3/6(木)やっと探し当てた野屋敷跡。
車だと表示板も見落とすようなところで、これまでにも2~3度探したもののわからずじまいだった。
通称「名越どんの坂」と言ったらしいが、ここに辿り着く前にタンタドのバス停付近でご年配の方に場所を訪ねてみたら、
「そういえば、"ナントカどん"のどうとか札が立ってるけど……」と、
屋敷跡のことも表示板のこともあまりはっきりとは認識されてないご様子だった。
まぁ、そんなものでしょうが、寂しいものでは、あります。。





























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「目黒区の大円寺」mixi日記より

2008-03-05 01:38:40 | 名越左源太と家族

 

行ってみたいなぁ~。
ウチのご先祖さまの墓があるらしい。

先日の日記にも書いた、「都見物日記」(川上いさ著)に、
「五月十日
今日天気よし。六時過ぎ早めに飯食べ、八時過ぎより泉岳寺御仏像、由良の助お墓、皆々四十七人の御前拝見致し候。それから大円寺の名越家御祖先の墓へお参り致し、三人にて草取り掃除致し候。お筆どの(いささんの妹・左源太の次女)子供の墓へも参り、少々下にて有之(これあり)候。此れより又浅草の観音に参詣仕候なり。」

と、載っていたのでネット検索してみた。

《大円寺》
http://www.tendaitokyo.jp/jiinmei/6daienji/
☆目黒行人坂大火の火元だそうだ。

《目黒行人坂大火》
明和9年(1772)2月29日正午頃、江戸郊外の目黒行人坂大円寺から発した火事は、春先の南西風で延焼し、江戸北部の千住に至るまで帯状にのびる大火となった。この大火は、明暦大火(1657)、文化大火(1806)とともに江戸3大火事に数えられている。

私は今日もネットで旅をする。
http://skysoft.jpn.com/tokyo/meguro.html

《行人坂》
http://bird.zero.ad.jp/~zam77093/gyouninzaka.htm ← ☆こちらはリンク切れ('17 5/2追記)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それから、最近探しているのが
高輪の老舗の豆腐屋さん。

豆腐屋のお須磨ちゃんが島津家の江戸高輪屋敷に女中奉公に出て、
島津家の若君(そのころの御名は又三郎様・のちの島津家21代吉貴様)の
目に留まったのが、そもそもの始まりだから。

*お須磨(月桂院)のお墓 *その右隣には第21代島津吉貴様のお墓(福昌寺跡の島津家墓地)


ちなみに、お須磨さんが産んだ長男・鍋三郎が島津家第22代の継豊さん。
 


内村氏から頂いた資料によると、
「お須磨の実兄は、妹の縁で、
薩摩に来て「お抱き守」のようなことをしていたが、
享保5年には島津家の家老になり家格も大身分の「寄合家」を与えられ
名前も浅右衛門から右膳恒渡と呼ぶようになり生来の名越家をおこした。
 名越家は、元々鎌倉の北条二男家(北条時政の孫で北条泰時の弟・
北条朝時を祖とする)で、甲斐の武田家に仕えていたが、
武田家の没落とともに徳川の時代には素浪人になり、
元禄時代は”江戸高輪で豆腐屋を家業にしていた”。」
と、いうことらしい。

「豆腐店、高輪」で検索すると、
なぜかやたらと麻婆豆腐のお店がヒット。。
そのあと「老舗、創業」など足してみても今ひとつでした。

ちょっと目線をかえて、
「江戸、高輪、豆腐」で検索したら、
いつものサイトが見つかりました。
《「名越」の由来》
http://sagenta.nature-f.com/?eid=392621 ← ☆残念ながらこちらもリンク切れ('17 5/2 追記)
まさに、同じ資料を読まれたようですね、bizaさん。
しかし、bizaさん、どこの方かと前々から思っていたら、
実家は神奈川、しかも「名越の切り通し」の近くだったんですねー
知りませんでした。
何度か書き込みしてやり取りがあったんですが、
「どちらの方ですか?」とは訊けずにいましたので。

いや~、ネットってやっぱり面白いもんですね。
今頃ナンなんですが

ちょっと前に見つけた港区のHP。
今見たら、また新しい発見がありました。
《芝さつまの道》
http://www.minato-ala.net/sightseeing/welcome/root46/r01.html

↑☆リンク先の港区サイトが新しいものに変わっているので元の記事は読めません。。('20.6.8 追記)

今はこういうページになっています→「勝・西郷会見の地跡」  

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