2年前、スガさんの誕生日に書いた『島津對馬の長女・スガ』でも少し触れましたが、
今日、4月18日は曽祖父の養母・スガさんの命日でした。
曽祖父の戸籍謄本に記載されていることによると、1837年(天保8)生まれで、
1902年(明治35)4月18日に鹿児島郡吉田村で亡くなったようです。(享年数え年で66)
なぜ吉田村なのか?はわかりません。。届出人の記載はありませんでした。
昨日スガさんのことを話題にしていながら、命日の今日アップするのが遅くなりました
そして、偶然ながら、父の従弟の命日でもありました。
別ブログの記事に書きましたので、リンク貼っておきます。
アメブロ『父の従弟』(記事は2010年 5月19日に書いたものです)
画像は、名越左源太時敏の写真です。
『南島雑話の世界 名越左源太の見た幕末の奄美』(名越 護/南日本新聞社)に掲載されているものをご紹介。
(※複製利用は何卒ご遠慮下さい)
小柄なのかな?この写真からはよくわかりませんが、雰囲気が父の従弟(故人)と重なります。
父の従弟は父方祖父の末弟の次男で、比較的小柄な人だったので、左源太のこの写真を見ると重ね合わせてしまいます。
以前、↓アメブロに書いたことがあったので、いつ亡くなったっけ?と読み返すと‥‥‥!!
2010/5/19 雑記『父の従弟』
ちょうど10年前の明日、4月18日未明のことでした!
このタイミングってもしかして、何かが知らせたのでしょうか?
この写真、内村氏のまとめたものによると、明治11年1月に長崎で撮ったもののようです。
左源太60才、だそう。
最初見たときに「左源太爺さん、長崎に行ってたんだ〜!?」って思いました(笑)。何の用事で行ったのか知らん??写真撮るためだけでは無いでしょうけど(^^)
左源太爺さんの顔、ちょっといかつい感じもするかな?
左源太の次男、曽祖父・轟爺さんのイメージも少し重なったりします。
なお、写真のお墓はもうありません。福昌寺墓地から昭和24年かな?
坂元墓地に改葬になる際に、どこかの墓石屋さんが立派な墓石だと喜んで持って行ったとか。以前、南洲墓地でスケッチされていたという湯場崎さんのHPで読みました。
※湯場崎さんについては以前ブログに紹介しています。2010年10月に書きました。
『『墓標を縫って 南洲墓地にて』の作者、湯場崎末次郎様へ。』
そう言えば、スガさんのお墓って、どこにあるんだろう??
父の話に、終戦後台湾から引き揚げて来た祖母・ふくと一緒に「冷水(ヒヤミズ)にあるおかあさんのお墓」を訪ねたという話があります。祖母のおかあさん、とは義母・スガさんのことだったのか、実家・寺山の墓だったのか??
( 訂正:2021年11月29日に『祖母が戦後お参りしようとしていたお墓』で訂正していますが、「スガさん」は曾祖父の養母なので「祖母のおかあさん」には当たりませんでしたゴメンナサイ)
その時は大雨のあとだったかで土砂崩れで道が塞がれていて、お墓に行く事は叶わずお参り出来ずに帰ったという事でしたが、おそらく「興国寺墓地」ではなかったかと思われます。
興国寺墓地は島津家のお墓をはじめ、古い家のお墓があるところです。私も以前二度ほど行ったことがあります。
長澤鼎のお墓を見にも行きましたが、結構急な傾斜があるし、ただ行くだけでは見当もつきません。
墓めぐりには時間と体力が必要です。第一、また行けるかどうか。。。