☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

名越左源太フォーラム in 小宿

2019-11-30 23:28:22 | 奄美大島と名越左源太

いつもお読み頂きありがとうございます

11月に入った途端、もともと高めだった血圧が上がったり、脈が妙に早く、8月に再発した甲状腺の病気の薬調整したりで、ブログもSNSもお休みしておりましたが、落ち着いてきたのでボチボチですが再開します。

 

さて、タイトルの「名越左源太フォーラム」ですが、奄美市名瀬、小宿で開催されたようで、全く存じませんでした〜

 

以下、先日FBやツイートでも書いたのですが、こちらにも残しておきます。

一昨日(28日)、祖父が通った小学校に在籍・卒業の記録があるかの問い合わせをしたところ、古いものは基本的に処分しているとのことだった。予想はしていたものの、気落ちしてしまった。。
明治時代の名簿が残っている方が稀なのかな、やはり。。
テレビ番組の「ファミリーなんちゃら」のようには行かないものなのかも〜

電話に出た男性教師は、名越左源太のことも「南島雑話」のこともご存知なかった。まぁ普通はそうかも知れませんね。

検索したらどう出てくるかな〜などと、試しに「名越左源太 大龍小学校」で検索してみたら、私のブログ記事がいくつかある中、トップに出ていたのが奄美新聞社の「小宿町内会 名越左源太フォーラム」の記事だった。(今朝も南海日日新聞の同様の記事を投稿しましたが、最初に目にしたのはこちらの方でした。)

フォーラムは11月17日に奄美市名瀬の子宿小学校体育館で行われたらしい。
小宿町内会「名越左源太顕彰委員会」はいつからあるのだろう??
最近できたのかな?

 

南海日日新聞にも同様の記事が載ったようです。

「名越左源太フォーラム 奄美市名瀬・小宿」

 

☆以前書いた関連記事

「藤由気(とうゆき)」さんのご子孫のブログ発見!

☆検索欄にて「小宿」と入れて検索すると関連記事が出てきます

 

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6月の左源太時敏もしくは泰藏

2019-06-19 00:46:55 | 奄美大島と名越左源太

いつもお読みいただきありがとうございます。

さて、6月になって書きたいことが色々あったのですが、FaceBookやツイッターで書くのとブログにまとめるのとでは勝手が違い、ついつい先延ばしにしてしまいました。

   ☆☆☆

 

まずは、6月10日。

思いつくのは「時の記念日」ですが、それ以外の何かの日だったような、と思って名越護(なごし まもる)さんの『南島雑話の世界』をめくって調べてみたら、嘉永三年(1850年)に遠島になった名越左源太時敏が、5年間過ごした奄美大島を離れた日だったのです。

以下、『南島雑話の世界』(p.258〜)「うれしい赦免」「左源太その後」を参照し書いてみます。

 

安政元年(1854年)旧暦八月十三日に、蟄居中の小宿村で待ちわびていた藩主・島津斉彬の「赦免通知」を受け取った左源太は、どれほど嬉しく喜んだことかと思います。

ただ、「ミーニシ(新北風)」が吹くのも近く、もう上国の船便も無いので翌年春を待つしかなく、翌安政二年(1855年)旧暦四月に笠利間切赤木名の対岸・前肥田に停泊中の「永徳丸」で上国することに決めます。

 

翌年、小宿村を四月二日に引き払い前肥田に移るのですが、「風待ち」が続き、四月末には小宿から村の子供たち7人がやって来て、「風待ちの間、小宿においで下さい」と何度も誘われるので、左源太はやむなく承知。結局五月三日まで再訪した小宿村に滞在したようです。

「風待ち」の間には、笠利間切の手花部村で偶然、「銀松」という「島には稀なる容顔」の美人さんと出会い、度々お茶をごちそうになったり手みやげをもらったり、といったこともあったそうで‥‥。

ちなみにこの「銀松」さんの姿も描いて残しています。

島妻もとらず謹慎していた左源太ですが、赦免になり故郷に帰れることになり、心も晴れて、美人さんとお茶したりする気持ちにもなったのでしょうね(笑)

そして六月十日です。

ようやく前肥田を出帆した「永徳丸」は、その後、風向きの関係で山川へは入れず、6月19日に志布志湾北岸、日向国諏訪(今の串間市本城)に着き、それからは陸路で、安政二年六月二十一日にやっと鹿児島の家に戻って来たそうです。

   ☆☆☆

 

それから、もう一つ大事な日があるのです。

それは、名越(なごや)左源太 時敏の命日です!

亡くなったのは、明治14年6月16日です。

左源太の孫である私の祖父が生まれてちょうど1ヶ月後のことです。

明治の世になり、左源太時敏は名を「名越泰藏(なごや たいぞう)」と改めております。

 

以前どこかに書いているはず‥‥とこのブログ内を検索するのですが、そのものズバリの「名越左源太時敏の命日」といったタイトルが見つからず、ようやく見つけたのは8年も前、2011年の記事でした! 

没後130年

 それと3年前(2016年)が↓

名越左源太没後135年

2年前(2017年)がこれ↓

名越左源太のお墓は?

 

今年は没後138年ということになりますが、結局タイトルに命日って入れてないし、

来年は没後139年、って中途半端なので来年は飛ばして

再来年2021年6月16日には「名越左源太の命日、没後140年」と銘打ってみますか(笑)

 

では、今日はこの辺で。

 

 

 

 

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再びの『名越左源太の見た 幕末奄美の食と菓子』

2017-06-07 02:43:36 | 奄美大島と名越左源太

左源太キーワード検索でヒットしたページで、
ブログ『与論島クオリア』さん、久しぶりに読んでみました。
☆2010年5月3日の記事。食べ物はもちろん、著者の今村規子さんのことなど書かれていて、
その楽しい文章も紹介されています。 ↓
『名越左源太の見た 幕末奄美の食と菓子』

☆以前の当ブログ2010年10月4日の記事→「改めて『名越左源太の見た幕末奄美の食と菓子』の紹介」

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「藤由気(とうゆき)」さんのご子孫のブログ発見!

2017-05-01 13:42:57 | 奄美大島と名越左源太
ミクシィ日記ばかり続いてるので、この辺で最近の出来事など書いてみます。

4月13日に頂いたコメントから、
以前目にしたことのあった「町田家の系図」などを再度見てみたいと、お気に入り登録してたサイトを探したら、目当てのページは無くなっていました。。

そこで、当時記事に書かれていた「たんたとの左源太」(←本来は「たんた」ですが)をキーワードに検索してみたのです。
(☆試しに検索かけてみると出てくると思いますよ)

検索してトップに載っていたのは「 明治維新とかごしまみて歩き」さんのFBでした。
      ↓
【名越左源太屋敷跡】

この記事を目にしたそのあと、名越左源太が奄美の小宿で謫居生活を送った際にお世話になった「藤由気(とうゆき)」さんのご子孫が書いているブログを発見したのです!

それがコチラ↓
☆『ゴルフバカの気まぐれブログ』というブログの「藤由気が名越左源太に提供した宿」

また、この方の記事によると、
左源太が赦免により1855年に鹿児島に帰る際に同行して、
後に(確か長崎で?)医学を学んで奄美で初めての医師になった方「嘉美行(かみゆき)」さんとは
小宿の「藤由気(とうゆき)」さんの別名だとありました。

通説では「藤由気の養子・嘉美行」となっているんですよね。

☆ 同じく「小宿まで先祖の足跡を訪ねて」という記事も。
コチラに載っている『奄美・小宿集落誌 小宿の名越左源太と実徳(さねとく)・佐和雄(さわゆう) の出会い』は私も奄美の書店から取り寄せ、手元にあります。当初は左源太に関することを中心に読んでいたのですが、「小宿」の地理・地質から歴史についてなど丁寧に紹介されているので、左源太関連のことに限らず再度じっくりと読んでみようと思いました。

それにしても、不思議なものですね。。。

左源太と関わりの深い方のご子孫と、こんな形でお目にかかるとは。。(ネット上ですけど)。

コンタクトは、、、、おこがましいのでまだ取らずにいます


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☆ 関連ツイート
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左源太に関する記事発見。

2009-02-05 00:04:18 | 奄美大島と名越左源太

時々

鹿児島県のHPに「貴重資料の紹介」というものがあり
リンク切れで「鹿児島県立図書館」HPに移行したようなので'17 9/30にリンク貼り替えました
『名越左源太と島の三大旅行家』のトピックで
左源太の書として画像表示されているのですが、
そこに「棲鸞」という名が記されています。

この書は以前見ていたのですが、
ふと気が向いて、この名でGoogle検索かけたところ、
「南島雑話と焼酎」という記事を見つけたのです。
記事は無くなっているので参考までにこちらをどうぞ奄美黒糖焼酎について(鹿児島県酒造組合奄美支部HPより)

*あとこんなのもありました。
http://spysee.jp/名越左源太(←名前を入れて検索してみてください)
   
『http://spysee.jp/名越左源太/107140』
'17 9/30追記=改めて試したら、誰だかわからない顔写真が出てきます。
 スーツを着た左源太、ないと思いますが、誰の顔でしょう??


左源太の書いたものなどを紹介してくださっているbizaさんのブログでも、以前蘇鉄の実のことが話題になっていましたが、先程見つけた記事にもいろいろと紹介されていました。   リンク切れなのでこちらをクリック「蘇鉄の実のこと」

内容もさることながら、左源太のことをずいぶんと褒めてくださっているのが何とも嬉しいのでした。

このサイト主の池見哲司さんも仰るように、←※サイト無くなってます('17 9/30追記)
『南島雑話』にも『鹿児島県の歴史』(山川出版社/1973年)にも
著者の経歴がほとんど載っていないのは、
最初目にした時に私も「??」というか
少々不満でちょっと納得いかなかったりしましたが、
これはなぜなのでしょうね?

まぁ、玄孫としては、
「左源太の紹介でも載ってると嬉しいのになぁ‥‥
といった程度のことなのですけど。。


久しぶりに左源太絡みの日記が書けました~

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1週間

2008-03-27 01:34:20 | 奄美大島と名越左源太



ブログ立ち上げからそろそろ1週間。

もともと毎日日記をつけるタイプではないので、
これからも思いついたときに書くスタイルでいきます。

ところで、今日(26日)は県立図書館へ行ってきました。

3月11日から借りていた、
永井亀彦著「高崎崩の志士 名越左源太翁」(昭和9年)と
  〃  「高崎くづれ 大島遠島録」(昭和24年)を返すためなのですが、
県立図書館へ行くのは初めてだったので、
前回は、図書館の利用方法や本の借り方から教えてもらったりしました。
ちょっと新鮮な体験。学校図書を思い出したりして(笑)。

実は市立図書館は知っていても、県立図書館がどこにあるのか
恥ずかしながら最近まで知らなかったのです。
隣の黎明館には度々行っていたのに気付きませんでした。。

2度目の今日は、前から一度見てみたかった
名越左源太著「遠島中夢留(エントウチュウ ユメトドメ)」(複製)を書庫から出してもらいましたが
やはり、というか思った通り、筆字の古い日記は思うように読めず‥‥。
しかもコピーなので「あ、あぁ、こんな感じ、なのね。。」と少々落胆。
そりゃぁ、現物(原本)ではないので感激が薄れるのはしょうがないですね。

今回はじっくり読めませんでしたが、また次に行った時に
時間をかけて読んでみたいと思います。

******************************

名越左源太については
こちらに少し紹介してあります。
参考までに。
*「奄美博物館」のHP

ちなみに、名瀬市は現在奄美市になっております。

今回の図書館での検索もですが、いつも左源太のことに関して参考にさせて頂いている
bizaさんのサイトをここでご紹介致しますね。
幕末奄美遠島生活
 

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