☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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祖父のもうひとりの妹・テウについて

2024-06-12 03:12:36 | 祖父・篤彦の妹たち
当ブログへ初めてご訪問の皆さま、また日頃からお読みくださっている皆さま、ありがとうございます

カテゴリ「祖父・篤彦の妹たち」については、今回が最終回です。

今回の妹は‥‥曽祖父の戸籍に記録が残っている「養女 テウ」についてです。

このテウさんについては、これまでに4件の記事で書いています。
 ☆関連記事は→こちら←をクリックすると表示されます


これまでの記事は、その時点ではわからなかったことや、その後にわかったことなど、様々な事柄と関連づけて書いたので少々煩雑になった感があります。

☆ここで今一度整理する意味でも改めて書いておきます。


曽祖父の除籍謄本に記載されている事柄として、

「養女 テウ 明治十六年十月廿四日生」
・明治十七年九月十二日 鹿児島縣日置郡石谷村 町田久成二女入籍ス 
・明治三十八年貳月十七日 鹿児島縣鹿児島郡伊敷村
     上伊敷三百七十三番戸戸主〇〇〇〇二男 佐八郎ト婚姻

ということで、除籍となっています。
数えの23(満で21歳)で結婚されています。

更には、「(曽祖父・轟の)孫 / 養女テウ  子」として明治三十六年拾弍月弍拾五日生(出生届は翌日の日付)の男子がいたようで、こちらは明治36年の出生届出日に「〇〇〇〇弟〇〇認知届出」
とあり、母親のテウさんとは別の姓のようです。

実はその子孫の方が市内在住であることは、以前、時成の子孫の内村氏からお聞きしていたのですが、私が一個人として先様に伺うのもどうかと思い、ご連絡を差し上げたこともお会いしたこともありません。

これに関連することを数年前のブログ記事に少しだけ書いたことはありましたが、ここではお名前は伏せておきます。

テウさん、戸籍上は祖父(明治十四年五月十六日生)のもうひとりの妹にあたるのだな、という思いを改めて感じるのでした。

 

以上、祖父の妹たちについて、でした。



祖父の次妹・キサ

2024-06-06 13:05:00 | 祖父・篤彦の妹たち

当ブログへ初めてご訪問の皆さま、また日頃からお読みくださっている皆さま、ありがとうございます


投稿は先月26日以来になりますが、その2日前の夕刻、庭作業中ブヨにより右足首をやられて、翌日土曜日には赤く腫れてしまい、薬を塗って腫れは引いたものの、薬の成分が合わなかったのか塗布による後遺症なのか、赤班が出てしまい、結局は皮膚科で診てもらって薬を塗っていますが、未だに治りきっていません‥‥(-.-;)

気を取り直して、続きを書いていこうと思いますので、どうぞご笑覧ください。


今回は祖父の二人目の妹について、です。

前回の「ヤサ」さん(明治22年生まれ)の次に明治25年生まれの末弟がいますが、

その下にもう一人の妹がいます。

曽祖父の除籍謄本を見てみると、

「四女 キサ」とあります。明治27年生まれです。


ここで疑問

ヤサさんが曽祖父・轟の二女なのに次のキサさんが四女、ということは三女は?
仮に三女が夭逝したとして、戸籍に残らないことってあるのでしょうか?
今となっては調べる手立てもありませんが‥‥

さらによく見ればキサさんは「六月七日生まれ」、、、
奇しくも明日が誕生日だったようです!


以前の記事↓で画像右端に写っているのが祖父の次妹・キサです

画像は大正4年に台南の自宅庭で撮られたもののようです。

除籍謄本の記載なので、没年月日は分かりませんが、
父から聞いたことも併せて記してみます。
ーーーーーーーーーーーー

除籍謄本には「東京市牛込区〇〇 小田島 認 ト 婚姻届出   大正八年八月二十二日」
とあり、「同年九月貮日送付除籍」となっています。

前述の写真が撮られたのが大正4年、結婚はその4年後ということですね。
当時は曾祖父母や兄である祖父の家族らと一緒に台南で暮らしていたので、あちらで結婚したのだと思います。


父の話によると、この小田島認氏は陸軍軍人で
「台湾高雄、屏東在住」とメモに残しています。

さらに、長男・政義(ひとり息子)は大正7、8年生まれで
中央大学で水泳選手だったそう

戦時中、南方戦線で終戦、
戦後は吉野小学校か吉野中学校で先生として勤務

昭和27年、父が東京出張所勤務だった頃、その出張所で会ったきりだとのことでした。

その当時35〜36歳かでプラスチック関係の事業で企業を図るものの失敗したとか、
そんな話を聞いています。

ーーーーーーーーー
以上、話を聞きつつメモしたものを見ながら書きました。

次回は、祖父の「もうひとりの妹」について、です。



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祖父の長妹・ヤサ

2024-05-26 13:12:50 | 祖父・篤彦の妹たち
 ここまで、祖父の弟三人について書いてきましたが、末弟との間に二人の妹がいます。

そこで今回から、二人の妹(プラスα)について書きます。

まず、明治22年12月生まれの「ヤサ」さんです。
こちらも曽祖父の除籍謄本での情報のみです。

大正3年2月に「佐賀縣西松浦郡有田町〇〇 戸主渕上富四郎ト婚姻」とあります。

情報は以上です。

ですが、父の話として、戦後、鹿児島市名山堀で末の叔父とその息子(父の従弟)が有田焼きなどの陶食器を仕入れて商売をしていた、と聞いています。
☆ 関連記事→『名山堀散策2』

その際にこの叔母が住む有田で仕入れていた、ということのようです。

「ヤサ」さんについてはこれで全てです。