何から書けば良いか書きあぐねていましたが、、、
まとまらないけどとりあえず書いてみることにします。
これまでに書いた記事の
『「堂の前(どのまえ)」、、、とは?!』(2020.5.26)
『仁王堂水(清水馬場・坊中馬場)&鶴嶺高等女学校校跡(本立寺馬場)を訪ねて』(2020.5.31)
で、参考にさせていただいたブログの主、クマタツ1847さんと
6月に入ってコメントとメールでのやりとりが始まりました。
クマタツさんとは父も私も務めていた同じ会社のある方のご親戚である事にまず驚きました!
そもそもは、クマタツさんが『名越左源太泰藏の子供たち』(2011. 1.20)の「竹迫温泉」のことに目を留めて下さり、
その女将の遠縁であるというお話が切っ掛けでした。
(竹迫温泉の平瀬実武氏は、曽祖父の長姉・川上いさの孫であり、現女将は平瀬氏の孫嫁)
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『乃木静子夫人銅像、再び』の奉賛会にそのお名前がありました、が、今はリンクのページが残っていないようで、
探したところ、こちらにありました → 『乃木静子夫人顕彰会』
そして、6月8日の『「吉利宝探しマップ」を求めて( '20. 4/25 )』でのコメントで、
日置市の永吉南郷会の前会長、本田氏をご紹介いただき、「本○どんのブログ」を教えていただきました。
その時点での最新記事は『日置市立永吉小学校創立150周年の「記念誌」が刊行された。 (05/29)」でした。
その後、『永吉小学校創立150周年記念誌刊行の余話。 (06/28)』でのコメントやりとりを経て、
直接本田氏へメールをお送りし、またクマタツさんからも先方にコンタクトを取っていただいて、
その記念誌をお送り戴くまでに至りました。
実はその記念誌のことは、FBでお友達になった大寺氏のタイムライン(FB記事)で見たことに始まるのです。
このブログでも書いている通り、「永吉」とは少なからず縁があり、気になるところでありましたので、
この記念誌も是非読んでみたいと思っていたところに、クマタツさんから本田氏の紹介があったのです。
記念誌が届いたのは6月30日の午後。
まず開いてみると、この企画を本田氏に持ちかけたのは大寺さんだったことがわかりました!
そして、本田さんの寄稿文を読むと、本田さんも「湾生(戦前台湾の生まれ育ち)」であることもわかり、更に驚きました!!
(私の父も「湾生」です)
お礼のメールでその事にも触れ、不思議なご縁にただただ感謝した次第です。
更には、本田さんもクマタツさんも、昨年亡くなった叔父とほぼ同年であります。
(もっと言えば、クマタツさんは叔父と同じ高校同窓生♪でした)
7月に入るとコロナ禍も身近に感じるようになり、また九州各地、日本各地での「令和2年7月豪雨」もあり、
何かと落ち着かない日々でしたが、
6月の不思議で有り難い繋がりを記録として残しておこうと思い、ここに記しておきます。