☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

神戸から鹿児島へ(明治の旅日記)

2021-05-29 20:47:04 | 「都見物日記」と令和3年(2021年)日記

 いつもお読みいただき、ありがとうございます

 

 さて、「4月17日 鹿児島を出帆」 してからひと月と十日余り、

長い旅の最後に鹿児島へ帰るイサさんたちです

「5月28日 三原氏母様も一緒に鹿児島へ」

「5月29日 船旅は、行きも帰りも・・・」

旅の終わり

 

 昨日28日、新型コロナのワクチン接種の、父の分の予約をネットで取れました♪

 ちょっとのんびりし過ぎて、1回目は7月14日、2回目は8月4日となりましたが、

一応ほっとしています

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美濃丸にて帰りの船旅へ(明治の旅日記)

2021-05-27 22:42:51 | 「都見物日記」と令和3年(2021年)日記

 神戸滞在も最後となり、朝から色んなかたがおいでになったようで‥‥

「5月26日 神戸最後の夜に・・・」

まずは朝方「青山と申すお方」がお話に来られ、

「鈴木信弥と申すお方」も暫くお話し、九時過ぎに帰られ、

程なくして「三原母様」が「西村時彦様」と御出でになり、

お昼に食事・お酒などご一緒された後、午後二時には西村時彦様がお帰りになった

 翌日、翌々日の日記を読んでいくと、

三原のお母上はイサさん達三人と一緒に鹿児島へ向かうので、

西村時彦さまが送って来られた、ということだったようですね。

 

この日はこの後も、三時過ぎには楠公社あたりを散歩なされ、雨が降ってきたので早めに宿へ戻ると、

「上(カミ)の納屋の上の田尻様」も御出でになった。

夕飯はこの宿で四人で食べ(ということは、イサ、イサのお姑さん、轟、三原の母様(轟の義母)の四人)、

ゆっくりされているところに前出の「鈴木(信弥)さん」がお出でになり

酒・牛、「芸者の御馳走」(御馳走はシャレか?)などで楽しく過ごされ、

十一時前にはお帰りになった、とのことですね

そのあとのアクシデントについては、元記事をお読みください〜

 

「5月27日 神戸を離れる日」

出立のこの日、お天気も良く、滞在した薩摩屋で七時過ぎに朝食を摂り出立の搬(ハコ)び

十二時前に昼飯、二時に「美濃丸」に乗り込み四時に出帆

出帆前には「鈴木(信弥)さん」が「お暇乞いに」お出でくださったようですね

 

 いよいよ帰りの船旅が始まります

では、

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のさん、のさん

2021-05-25 22:40:07 | 「都見物日記」と令和3年(2021年)日記

 

 今日の『都見物日記』紹介は二本立て〜

 

「5月24日 宿屋増元、長崎の小間物屋さん」

ここにも「西村時彦様」が出てきてるしw

 

「5月25日 神戸へ移り、布引瀑見に出掛け候」

大坂に5泊して、イサさんたち三人は神戸へ移動しています

 

 

 令和3年の今日25日は火曜日で、

何かと気忙しい雑用ばかりなり

本当にのさん、のさん‥‥、でした

 

本日はこれまで、

 

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ひと月ぶりに大坂で過ごす(明治の旅日記)

2021-05-23 22:36:35 | 「都見物日記」と令和3年(2021年)日記

 今朝はだいぶ気温が下がって最低気温が14.2℃だったのには驚いた

それでも日中は気温が上がったようで27.2℃

天気も良くなって

やっとナスタチュームとスイートマジョラムを鉢植え出来たのでほっとしました

写真撮ってないのでその画像はありません〜

 

 明治の旅日記『都見物日記』です

昨日の記事で、「西村時彦」で検索しても記事が見つからなかったと書いたけど、

今日の23日の日記に早速それを覆すことが載っていた(自分で書いたのにw

「5月23日 今日は三人で大坂見物」

 

その記事がこちらですひと月前に大坂で過ごした時の日記(タイトルにも入ってるしw

※ 「4月22日 大坂の宿屋・増元泊、西村時彦様と道頓堀の芝居見物へ」2020-04-22

 

 あと一週間の旅日記です 

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西村時彦さん

2021-05-22 08:32:36 | 「都見物日記」と令和3年(2021年)日記

 いつもお読み頂きありがとうございます

 

 『都見物日記』です 20日に大坂入りして宿屋「増元」泊、

翌21日には久々に「三原氏母様」にもお会いしました

  →「5月21日 和田すみ殿と再会、 三原氏母様とも久々にお目にかかり上げ」

 

「5月22日 昼間はお買物、夜は西村時彦さん方へ」

この日、西村時彦(ときつね)さん登場

この日以前に書いた記事を探してみたら、『都見物日記』ではこの日が最初

(この後5月28日の日記にも登場します→「5月28日 三原氏母様も一緒に鹿児島へ」

 

そうだった?

西村時彦=西村天囚

西村天囚では2018年、2019年にも書いていた。

ということで、以前書いた記事を並べてみます

 「古の遺愛」とは? (2018-02-15)カテゴリー| 名越左源太と家族 

 「西村天囚」からの「島津吉貴の時代」 (2019-03-05)カテゴリー| 第21代藩主島津吉貴と継嗣島津継豊

 【第1話】永吉の九良賀野 辰彦様と水上の野元彦十郎様2019-07-22)カテゴリー| 都見物日記プロローグ

 西村時彦は「ときひこ」ではない⁈2020-06-09)カテゴリー| 西村天囚(西村時彦)

 西村天囚と三原家の繋がり2020-06-10)カテゴリー| 西村天囚(西村時彦)

 三原氏について知りたい2020-10-12) カテゴリー| 三原藤五郎と倉山藤五郎

 

『都見物日記』〜ここまでの流れ (2020-05-23) カテゴリー| 都見物日記 / タイトル一覧

 

 今日は朝から雨だったけど、途中止んでる時を見計らって

庭に設置予定の平ブロックを車の荷台から降ろして作業はおしまい

結構疲れた‥‥

  

 

 

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『明烏』つながり!?

2021-05-21 22:27:14 | 「都見物日記」と令和3年(2021年)日記

 いつもお付き合いいただき、ありがとうございます

 

 『都見物日記』もいよいよ関西編に

 ☆「5月20日 神戸、そして大阪へ」

 

 ☆「5月21日 和田すみ殿と再会、 三原氏母様とも久々にお目にかかり上げ」

 

 ところで21日の日記に出てくる文楽『明烏(あけがらす)』ですが、

先日の『鶴瓶の家族に乾杯』(大河ドラマ『青天を衝け』所縁の埼玉・深谷の回)

笑福亭鶴瓶師匠が、故・立川談志師匠が落語会を開いた老舗旅館を訪ねるシーンがありました

偶然にも、演目に『明烏』(談志師匠だったか古今亭志ん朝かは失念)が並んでいたのを観たのでした 

立川談志/明烏

 

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東京滞在も今日で終わり(明治の旅日記)

2021-05-19 23:04:16 | 「都見物日記」と令和3年(2021年)日記

 今日はのち、深夜になり

 

  『都見物日記』、予定では17日出立でしたが、

イサさんの長男・久良殿がお見えになり、この日は一日ゆっくり過ごされた模様

以下、19日までの工程

「5月17日 久良さんと永岩さんと」

イサさんたち、長かった東京滞在を終え、汽車で横浜へ移動

「5月18日 東京を離れ、横浜の蓬莱屋に一泊」

横浜からは、帰郷途中に大阪を訪ねるために船に乗ります

「5月19日 新潟丸で横浜出帆」

 

  令和3年の日記

17日の月曜日、朝顔の花が小さく咲いていた

鉢植えのはまだ蕾→ 

雨の止んでるうちに、ニオイスミレを鉢植えと地植えに

  

19日、今日は苔むした庭を小ぎれいにしたくて

ホームセンターに行って平レンガを買い足してきた

  雨が降らない時を見計らって作業予定

 

じゃ、また書きます〜

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東京を離れる日も近くなり‥‥(明治の旅日記)

2021-05-16 23:10:10 | 「都見物日記」と令和3年(2021年)日記

 令和3年の今日のお天気は  時々 、夜になってまたでした

 

 今日の『都見物日記』は2回に渡って5月16日の日記なので、同時リンクです

 

「5月16日 島津お染様、 佐原芳殿、 お出でにて」 

お二人ともそれぞれにおみやげ物を下さってるんですよね。

最初読んだ時にはなんでだろう?と思ったのだけど、

「第七章」にある17日の日記でわかりました。

 

「5月16日(続き) 芳殿、吉村お仙殿、そして久良殿との再会に!」

そういえば、15日の日記にも

九良賀野辰彦さんお出に相成り、已(※スデ)に御出発が近寄りはせぬかと思うて参りましたとの事」

とありましたものね

 

 

  今日は雨が上がってる間に、随分前に買っていた花の苗をようやく植えることが出来た

 ← ニオイスミレ

でも、まだハーブの苗が残ってる〜

 

梅雨があまりにも早くやって来たので大変です‥‥  やれやれ

 

では、また明日

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向島、増上寺、辰様と銀座の千歳へ(明治の旅日記)

2021-05-15 19:25:17 | 「都見物日記」と令和3年(2021年)日記

今日は一日中  でした

九州北部、四国、中国地方まで梅雨入りで、3週間早いとか言ってましたね〜

 

 まずは『都見物日記』です

両日とも轟は電信の事で出かけています

 

「5月14日 向島、堀切の菖蒲、桜馬場」

向島の辺り、桜馬場、堀切の菖蒲の所には数寄屋風の座敷もずら〜っと並び、景色も最高だったようですね

去年このリンク記事を書きながら、ガイドブックを読んでいたら

「向島百花園を造園した人が骨董店経営の「佐原何某」という名前」だったことに驚いたのですが、

果たして5月6日に登場する「佐原芳どの」と何か関係あるのでしょうか??

 

「5月15日 増上寺黒本尊前の通りでお買い物、夜は辰様と銀座の千歳で」

これを書いて、後日「堂の前」が判明しました

「辰様」=九良賀野辰彦さんは、イサ、轟姉弟の従兄弟。

5月2日に登場→『「5月2日 新橋松元屋から 京橋区加賀町へ宿替え 麻布永坂島津氏お染様の所へ」

※このお墓↓は興国寺跡の墓地で偶然目にしたもので、本件とは直接関係はありません。

 

 明日は雨が止む時間が少しはあるのだろうか?

花・ハーブの苗を買って来てそのままになってるのがあるので、どうにか植えたい

 

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5月11日 令和3年は入梅、13日には有川様と鰻を戴く(明治の旅日記)

2021-05-13 17:51:53 | 「都見物日記」と令和3年(2021年)日記

 まずは『都見物日記』です

 

5月11日、12日は一泊二日の日光山社参詣

「5月11日 上州日光山へ参詣」

9:20 京橋の宿屋から馬車で上野停車場まで

     →汽車で宇都宮まで→馬車で日光まで

      夜9時に宿屋・神山へ着く

 

「5月12日 日光より宇都宮まで参り〜東京へ帰る」 

お天気良く宿屋・神山を早くに出ると、

9時には日光を見学・参詣(12時ごろまで)

日光までの道中も、両脇の杉木立ち、6〜7里(約24~28km)は松・杉も素晴らしく

実に感心されたご様子

その後少々雨模様  日光の宿屋・神山へ戻り、昼食を摂るとすぐに

馬車で宇都宮まで→午後4時には宇都宮の停車場から汽車で上野停車場まで

夜7時過ぎに上野着、馬車で新橋まで、そこから三人連れで歩いて宿屋へ戻る

 

 

 昔の旅は大変そうだけど、その分じっくり旅気分を味わえそうです。

コロナ禍の現状ではまだまだ難しいですが、世の中が落ち着いたら

ゆっくりと旅でもしたいものですね

 

 

「5月13日 轟殿は電信の事、有川様が二度登場」 

13日は雨模様  

 轟殿は電信の事に付(ツイ)て八時ころよりいで 外にも用事ありたる事

 出た「電信の事」

 御母様、私 留守にてお風呂入りに行き、それより十二時比(ゴロ)に

昼飯には両人連れにてそば食べに行き

 帰りがけ陶器少し御母様と買い 内へかえり、久々にて今日はゆるゆると有之候。

 ぜんぜんと雨強くせわしき事也

 御母様と談しするには、

鹿児島へ帰りには船に何かコンダ(今度は)食べ物をちんと持ちて行きますがなあ

はりはりしそうな物が好(ヨ)う御座りましょうな、此節帰りには決して酔いはしませんとな、など両人にて談にて候

 

 昼頃に轟殿かえり今日は有川様へゆきて昼飯は松田料理屋にてたべたとの事

 それより三人とも昼寝して五時迄ね、今皆々起きおる処に有川氏 此方(コッチ)へお出にて

今晩は夕めし御相手お願申上度との事にて、私迄も同道いたし

鰻にて飯、酒など御馳走の事にて候。八時頃には帰り 内にてゆるゆるとやすみ候。夕方より雨もやみ候

 

 前日のお疲れもあってか、轟じい様(この当時は40歳)が昼過ぎに出先から戻ると、

三人とも夕方5時までお昼寝したご様子です

 

ここにて登場される「有川様」はどちらの「有川様」かわかりませんが、

鹿児島市の興国寺跡の墓地に行った時に「有川家」の墓石を見たことがありました。

 

(画像奥は島津家のどちらかの墓石群)

 

 鹿児島は11日にはたっぷり雨が降り、

午後には梅雨入りの発表がありました

昭和31年(1956年)5月1日の梅雨入りに次いで早い入梅だそうですが、

その分梅雨が明けるのも早いのかというとそんなことはないそうで、

長〜い梅雨になりそうですね〜

 

 

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5月10日は御祖先のお墓参り(明治の旅日記)

2021-05-10 23:31:41 | 「都見物日記」と令和3年(2021年)日記

今日は一日2回、叔父のアルバムなど、重い荷物運びで疲れました〜

残りは明日。明日で何とか区切りつけられそうです

 

 今日の「都見物日記」〜

☆ 「5月10日 泉岳寺、大円寺、浅草の観音へも参詣」

 

東京訪問中のイサさんたち三人は、泉岳寺で大圓寺の名越家御祖先の墓を訪ね、草取り掃除をしてお参りしています。

また、その少し下にあるという「筆どのの子供の墓」もお参りしています。

浅草観音参詣や、見世物小屋で熊や人魚(!?)、お花などもみて回り、花や野菜の種なども購入した模様。

 

 

 では令和3年の今日は?

 

BS放送で「プレミアムカフェ」 を観ていたところ、キナノキから抽出されるキニーネがマラリアの特効薬であることを紹介していたので、思わず田代安定を思い出しました。

  

↓こんなサイトの記事を見つけました

「カルチベ - 農耕と園藝ONLINE」

私も田代については以前書いていますが(→カテゴリー:田代安定(やすさだ・あんてい)

そもそも田代安定がどういう人なのか、とても読みやすくてわかりやすいです。

 

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5月9日は手紙つながり、ってことで

2021-05-09 22:29:00 | 「都見物日記」と令和3年(2021年)日記

今日は  黄砂の飛来も?(トップ画像は庭で見つけた金蛇(トカゲ)さん

 

明治23年の旅日記はというと、、

☆ 「5月9日 轟殿は博覧会へ、 佐原芳どの、 山井於時様、 永岩直次郎さんもご来訪」

息子の精一殿から永岩直次郎さんへの手紙で、イサさんに「早く帰って来るように」と書かれていたようです

 

この回は「山井於時様」も「永岩直次郎さん」も気になるところですが、

カテゴリー〈「都見物日記」番外編〉で改めて書くことにして

 

 今日は、亡くなった叔父が大事に保管していた古い手紙類を昨日持ち帰ったので読んでみたのですが、

なんと!叔父が小学4~6年生だった頃(昭和25~27年頃)の友人達からの手紙の束でした

中学校が別々になってもやり取りしていたようで、その後高校、大学へ行ってもやり取りが続いたようです。

それだけに、叔父にとって大事なものだったんでしょうね〜

 

明日はまた叔父の部屋の片付けに行かなくては!

では〜

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上野博覧会から九段坂招魂社へ(明治の日記)

2021-05-08 10:23:21 | 「都見物日記」と令和3年(2021年)日記

今日は  の予報。 

 

本日の『都見物日記』は

☆ 「5月8日 上野博覧会、美術館、九段坂招魂社」

 

九段坂って、あの日本武道館が近くにあるんですね!今の今まで知らんかった〜

 

九段といえば、前の記事で書いた亡き母の弟は、武蔵野音大を卒業後、九段中学校と茗台中学校で音楽講師をしていました。

その教え子に、声楽家の鮫島有美子さんがいらっしゃいます。

 

「鮫島有美子」オフィシャルサイト

「日本コロンビア」のプロフィール

 

素敵な方だなぁと以前から思っていましたが、叔父から「中学校の時の教え子なんだよ」と聞いたときには驚きました

すぐには信じられませんでしたが、大事にとってある年賀状やお手紙、LPレコードやCDなどを見るうちに、鮫島さんが大成されて光栄で幸せなことだったんだろうなぁ、と感慨深いものがありました

 

では〜  

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佐原芳どの、天王寺の吉次殿、からの~金杉通り!

2021-05-08 09:50:19 | 『都見物日記』番外編

本日、 

 

さてさて、明治23年の「都見物日記」には何が書いてある?

☆ 「5月6日 佐原芳どのを訪問、 天王寺の吉次殿とは?」

 

「天王寺の吉次殿」も「佐原芳(よし)どの」も、相変わらずどなたなのか判明しません。

 

「お筆どの知人」の「金杉の多田親愛さん」とありますが、

「金杉」はおそらくは地名、では、どこだろう?と思い、ネット検索しました。

 

上野の墓参の帰りに立ち寄った、とあるので、「東京台東区金杉、現在の下谷(したや)」 のことでしょうね。

Wikiの「地名の由来」を読むと、下谷村が先なのかと思うけど、

「沿革」には↓このようにありました。

  • 1590年:領地替えで江戸に移った徳川家康により姫ヶ池、千束池が埋め立てられる。寛永寺が完成すると下谷村は門前町として栄える。江戸の人口増加、拡大に伴い奥州街道裏道(現:金杉通り)沿いに発展する。江戸時代は商人の町として江戸文化の中心的役割を担った。

 

 ちょっと待って、「金杉」を検索した時に「金杉橋」というのもあった。

金杉橋 (かなすぎはし)

現在の地図から探すへ戻る

現住所
港区浜松町~芝大門・芝
解説
現在の港区浜松町2丁目・芝大門2丁目と芝1、2丁目を結ぶ、金杉川(古川の地域称)に架かる橋。また、橋から南、入間川に架かる芝橋までの海側を金杉と称した。地名の由来は、「暗い夜に金色の光を発する杉に似た栴檀の木が沖合からの目印となったため、漁師たちの願いにより金杉大明神が建立された」、「金洲崎(かなすき)という洲崎の名称が転訛した」、などの説がある。
なお、金杉橋を渡って南、芝田町1丁目には、幕末、勝海舟と西郷隆盛が会見し、江戸城無血開城を決めた薩摩藩蔵屋敷がある。
 

 

そもそも「金杉橋」とは、何?

☆『港区観光協会の「金杉橋」の紹介』

 東京の地理に疎い私はこういうところで躓くのでした〜

 

 

 気持ちを立て直して、「上野 金杉」で検索  ポチッ

 

ここで新たに「金杉通り」というキーワードが!

リンクした「TAITOおでかけナビ」によると、

「金杉通りは昭和初年に開通しました。旧道は上野山下から入谷口通りを経由、昭和通りと並行して東北に延び三ノ輪で昭和通りと合流します。この道を俗に「金杉通り」と呼びますが、昔はこの街道を奥州街道裏道と呼びました。金杉の地名は、鎌倉時代に金曽木彦三郎という人物の姓から、初めは金曽木、それが金杉に変わったものとされています。」

 

 同じく「TAITOおでかけナビ」の

「根岸・入谷・金杉エリア」の地図表示 を見ると、よくわかります

 

金杉通り近くに「金杉公園」表記がありました

 

 実は6日の日記としてカテゴリー〈「都見物日記」と令和3年日記〉で書くつもりでしたが、

内容から〈「都見物日記」番外編〉と致しました

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6日、7日と上野方面を訪問(明治の日記)

2021-05-07 08:20:24 | 「都見物日記」と令和3年(2021年)日記

のち 

今日は昨日に続いて、一昨年暮れに急逝した叔父(亡き母の弟)のマンションの部屋の片付けに行きます

もうひと息といったところです。

 

(叔父は声楽家で、武蔵野音大を卒業後、長年東京で暮らしていました。

その後、2014年故郷に戻り、5年暮らしました。これまで書いていませんでしたが

 

 

さて、『都見物日記』は

「5月6日 佐原芳どのを訪問、 天王寺の吉次殿とは?」

☆ 「5月7日 雨降りながらも、上野の博覧会に」

となっております

 

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