☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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三原氏について知りたい

2020-10-12 09:32:23 | 三原藤五郎と倉山藤五郎

おはようございます。ゆきです

 

さて、「三原経○」という名前を見かけるとつい気になってしまう私ですが、

(何故かというのはこちらを読んでみてください→『西村天囚と三原家の繋がり』)

先日読んでいた『島津歳久の自害 増補改訂版』、p.51の「殉死者について」の項で

27名の殉死者の中に「三原源六経用」という名前があったのです

 

そこで、「三原経用 島津歳久」でネット検索かけたところ、

「鹿児島県史料『旧記雑録』未収載文書補遺」が上がっていたのでザッと見てみると、

p.95下段に「伊作島津氏 家老になった三原氏」というのがあったことを知りました。

(お詫び&追記:上記リンク貼るのを忘れていましたので編集しました('20.10.12 12:55))

 

三原氏についてはまだよくわかっていないのですが、「旧記雑録」もこうやって読めることに改めて(今頃?ですが)気付きました。

 

ということで、大した中身のない記事ですみません。。

 

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花尾神社関係資料に三原藤五郎藤原義礼と曽祖父の養父の名前を見つけた!

2020-09-25 22:14:52 | 三原藤五郎と倉山藤五郎
 いつもお読み下さり、FBのいいね!なども頂きありがとうございます
 
 
さて、FBでは9月17日にタイムラインに載せていたのですが、ブログでも書いておこうと思っていた事柄です。
予告していたように、こちらにも記しておきます。
(後日編集し直すかもしれませんが、以下、FBよりのコピペです。)
 
 
 
今月に入ってすぐくらいかな、気になってた事をネットで検索していたら、鹿児島市のデジタルデータに先祖の名前が載っていた。
古地図に載ってる「三原藤五郎」とか先祖の縁戚筋の「倉山藤五郎」とか名前がかぶってるんで、こんがらがってしまうのです。。(曾祖母ツタが「三原家」出身でもある)
 
 トップ画像を差し替えました。(2020.10.17)
福昌寺で6月23日に撮影したものに「三原藤五郎武○」とあったのを思い出したので貼っておきます。この方がどんな関係があるのかまではわかりませんが。。。関連記事→『本立寺跡へ、ちょこっと福昌寺へ』)
  
 
 
そこで、とりあえず「三原藤五郎」で検索したところ、この史料↓(下記リンク)のp.29に「花尾大権現」に関する文書があり、「側役趣法掛 三原藤五郎藤原義礼」とありましたが、同じページに「栗川権十郎藤原用行」とあったのでびっくり!(この人、曽祖父・轟の養父です)
 
『 第11編 資料編(PDF:11022KB) - 鹿児島市
 
 
 
 
 また、「倉山藤五郎」の名前は以前書いた『倉山久籌は島津登久包の義理の弟だった! 』に出ています。
カテゴリーが違うので、探しにくいかと思い、こちらにもリンクしておきます。
 

「倉山作太夫久籌の長男・久昌の長男「藤五郎」という人がいて、(どこかで見たような‥‥)と思ったら、

永吉島津家「貴久公四男家」(中務家)を継いだ、タネの実弟「久籌 権五郎主殿又七」の長女・フユさんのところに「倉山藤五郎妻」と書いてある」

<補足:要するに、タネの姪っ子が倉山藤五郎の奥さん、というわけですね

「藤五郎 西南役薩軍狙撃一番左小隊長 於佐土原戦死 ‥‥ 

       室 島津又七久籌長女冬(永吉家)」

また、藤五郎の父・久昌の妹・ヌイさんは、「島津求馬久邦室」であり、

ヌイさんの息子「久能」さんも「応 吉織衛 西南役戦死 ‥‥ でした。。

       室 比志島静馬範雅女」

 

☆ 下の画像は南洲神社にある「西南の役戦歿者名簿」鹿児島からの参加者欄です。

中央に「倉山 藤五郎」とあります。一人置いた左隣には「栗川久澄」の名前も。

 
☆ 「栗川久澄」の関連記事 → 『今和泉島津家と永吉島津家と 』をご覧下さい。
 
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