先日、去年の手帳(日記 10.18 Thur. )を見ていたら、
こんなメモがあった。
☆徳富蘇峰 (横に「吉田松陰」とも書いてある)
(1863~1957) ↑どんな関連があるのだろう?
思想家繋がり??
メモには「フェリアの10月20日号より」と書いてある。
フェリアの記事自体はどんな事が書いてあったか内容は覚えていない。
(☆ ↑リンク切れです)
このとき、父に「徳富蘇峰って、知ってる?」と尋ねてみたところ
「蘇峰が台湾に来た時に澎湖島で、篤彦じいさん(=私から見れば祖父)が
一緒にビリヤードをしたんだという話を聞いたことがある」とか。
祖父がビリヤードをやったということも初耳だけど、
なんの気無しに訊いたことでこんな逸話が出て来るから面白い。
台湾にいた頃に名越左源太(=父からすれば曾祖父)の原画を
父親から見せてもらったという話もそうだけど、
実は『南島雑話』の著者(*)は名越左源太だと紹介されて話題になった時期(※永井亀彦著「高崎崩の志士 名越左源太翁」発行の昭和9年頃?)に
※↑()内、‘18.7.26加筆
「あの原画を持って帰っていたら、
○○さん(当時の研究者)に渡せたのになぁ。。』
と言っていたことを思い出す、とか
終戦後台湾から鹿児島に引き上げてきたあと
母親(=私から見れば祖母)が先祖の墓(左源太の奥さん、
タネさんの実家のお墓だったかも?)を尋ねようとしたら、
大雨の後だったため道路が土砂で埋まっていて結局尋ね当たらなかった話とか
この数年の間、聞かせてもらうことが多くなった。
父方の祖父・篤彦についてはこちらに(追記:'18.5.11)
『昭和21年の父と祖父・篤彦』
註:『南島雑話』の著者(*)については
こちらに詳しいことが書いてあります。
↓
:: 幕末奄美遠島生活 ::
《左源太さんの日記》
『名越左源太「大島遠島録」の、なんちゃって現代語訳と
食と菓子についてのあれこれ』
http://sagenta.nature-f.com/?eid=415997#comments(←リンク切れ)
この方は後にご本を出されています(追記:'18.5.11)
『名越左源太の見た幕末奄美の食と菓子』
ひょんなことからもっといろんなエピソードが聞けるんじゃないかと
最近父の話を聞くのが楽しみになっている。
知らなかったので調べてみた。
《徳富蘇峰記念館/プロフィール》
http://www2.ocn.ne.jp/~tsoho/frame_set.html(←リンク切れ)
《徳富蘇峰のページ》
http://www.hi-ho.ne.jp/tastevin/soho/sohomain.html(←こちらはリンク先へ行けます♪)
徳富蘇峰の弟の事も載っていた。
☆ 徳富蘆花は実弟で、日本文学の小説家
(1868~1927)
トルストイに心酔し、晩年はクリスチャンとして田園生活を送る。
著書に「思い出の記」「黒い目と茶色の目」「みみずのたはこと」など
『不如帰』(ほととぎす)は、明治31年(1898年)から32年(1899年)にかけて国民新聞に掲載された徳富蘆花の小説。のちに出版されてベストセラーとなった。
記事を読んでいくと次々と興味が尽きない。
興味が尽きないのだけど、その分やることが多くなり
いろんなことが山積みになるのである。
山積みの下の方に埋もれてしまうこともある。
だから、これはメモ代わりでもある。
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追記>10/20号のフェリアの記事、見つけました。
甲南中学校正門横にある石碑の碑文を書いたのが
"徳富蘇峰"である、とありました。
http://373news.com/felia/bn/no213/maturi/index.html
<記事より>
「城下に18あった郷中(ごじゅう)のなかでも、特に高 麗・上之園・上荒田の 3つの 方限からは、大久保利通ら幕末 ~明治に多くの偉人を輩出。昭 和10年、彼らの業績をたたえ るため三方限の顕彰碑が建てら れた。碑文は熊本県出身の文豪・ 徳富蘇峰が書いたもの。 」
小さい画像はクリックしてご覧下さいね
小松帯刀別邸跡と
昔の我が家の辺り。
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今朝の新聞に、この屋敷跡の庭先を
専門学校生がボランティアで清掃活動をしている記事と写真があり、
思わず「行ってみよう!」という事になりました。
その昔私が通ってた小・中学校への通学路から
少し入ったところにあります。
主道路からの入り口に
「小松帯刀邸跡」と石碑かなにかの表示があったように思います。
車1台がやっと通れるような細~い道を、
思ってた以上に奥まで行くと案内板がありました。
いまは個人のお宅らしいです。
フォトチャンネル作りました〜('19. 7/24)
ついでに昔住んでた辺りを車で通ってみました。
今日(27日)の「篤姫」見ていたら、
冒頭の島津斉彬と家臣とのシーンで
屋敷の格子窓の向こうに桜島が見えた。
図らずも、お昼に私はそこにいた。
☆☆☆
前々から行こうと思っていながら他のことを優先していて
なかなか行けなかった「四大浮世絵師展」が
今日までだったので出掛ける事にした。
でも、日曜日だから市立美術館の駐車場は空いてないだろう、
ということで、照国神社の「戊辰駐車場」へ停めて
歩いて行く事に。 (↑すごい名前でしょ!?)
お昼を食べずに出てきたので、まずは
" 黎明館 "の1Fで食事を摂った。
展示会場である市立美術館を通り過ぎて、
500mほど行ったところにあるこの" 黎明館 "が実は
鶴丸城跡なのです。
昔から当たり前にそこにあった鶴丸城跡なので、
観光客でもない私は写真を撮った事が無かったのですが、
せっかくの機会だからと、いろいろ撮りまくってきましたよ。
鶴丸城跡には明治34年、鹿児島大学の前身となる
第七高等学校造士館が創立され、昭和25年に閉校。
城壁のまわりの水路にはたくさんの大きな鯉が泳いでいたり、 色とりどりの花が植えられていました
浮世絵は専門的な事はわかりませんが、
意外に絵が小さいんだなぁ、と思いました。A4のサイズくらいかな?
もちろん大きいサイズの作品もあるんだけど、
歌麿なんかの絵は当時のブロマイドのようなものだからね。
最終日の日曜日ということでさすがにひとが多く
見る人は自然と列になってゆっく~り進んでいたので、
私と父は全てをじっくり見ることはせずに、面白そうな絵を選んで
時にじっくり、全体的にはサササーーッと見てきました。(笑)
私の知り合いなどでも歌麿が人気あったようですが、
北斎の絵が良かったなー
藍色が綺麗
他の色もそうなんだけど、全体的に鮮やかな印象
帰りに画集を買って帰りました。
今日も出掛ける時は曇り空でしたが、
食事を終わって美術館に移動する頃には薄日が射していました。
私、前は「雨女」だと思っていましたが、
最近「"若干"晴れ女」になったようです。
*お昼に食べたうどん、おいしかった~
ひょいとお箸でつまんだらこんな結び目が
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《フォトアルバム》
「鶴丸城跡周辺-1(第七高等学校→現・黎明館)」
http://mixi.jp/view_album.pl?id=10434618&owner_id=10666577&mode=photo
「鶴丸城跡周辺-2」
http://mixi.jp/view_album.pl?id=10441190&owner_id=10666577&mode=photo
フォトチャンネルを新たに作りました
「鶴丸城跡周辺-1(第七高等学校→現・黎明館)」
「鶴丸城跡周辺-2」 (お堀の周りを散策、鯉がたくさん!)
アルバムにもアップしましたが、
http://mixi.jp/view_album.pl?page=2&mode=photo&id=10296460
お由羅騒動の発端にもなったという密会・密談があったのは、
この屋敷跡ではなく、たん靼冬(タンタド)の野屋敷、名越家別邸だそうです。
まあ言わば、場所を提供しただけだと思っているんですが。
ドラマ『篤姫』時代考証をされた原口泉さんも
「左源太は野屋敷を提供し密会にも加わったが、
久光暗殺論まで飛び出し、門閥の名越家では
『そういうことはできない』と、連署から名前を抜いたのだろう。」
と仰っています。
以前から、たん靼冬(タンタド)の"名越どんの坂"と野屋敷跡を探して
何度か付近の坂を通ってみるのですが、未だ見つけられません。
市の観光課で訊いて行ってみたかったのは
左源太の墓と、ここなんですけどね。
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☆補足:
《名越左源太時敏とは》
http://www.city.amami.lg.jp/naze/museum/museum/sonotanobunnkazai.htm
「柏有度(かしわ ゆうと)」の次の記事です。
左源太が描いた奄美大島の風習・風俗の絵もいくつか載っています。
《南島雑話》
http://www.ebookjapan.jp/shop/title.asp?titleid=1748
撮った写真がやたら多くてPCに取り込むのに時間がかかってしまい日付が変わってしまいましたが、昨日(23日)風も冷たい中、今和泉島津邸跡の界隈を散策してみました。
書籍や地図など、あれこれ下調べしていたら
出掛けるのが昼過ぎになってしまいましたが、
夕べからの雨も上がり、どうにか大丈夫そうだったので車で出掛けました。
家を出ると、前方の空が曇っていて、
桜島から大隅方面は黒い雲に覆われていたので雨になるかと思いましたが、
しばらく走ってるうちに日が射してきました。
まずは腹ごしらえ、で、ドルフィンポートのみなと食堂へ。
今日も貝汁定食が美味しかった~♪
食事が終わって市役所に寄り、市の観光課を訪ねようと思ったところ
少し離れた別館にあるとのこと。
先祖の墓地のことを尋ねる目的もあったのだけど、
歩いて行くにも車で行くにも半端な距離だし移動中冷えきってしまうので、
後日訪ねることにして、若宮神社に移動。
境内に車を停めて、付近を歩いてまわることに。
日は照っていてもやはり風がかなり冷たかったので、
家に帰ってから頭が痛くなりかけてちょっと風邪引きそうでした。。
写真を何枚かアップしてみます。
別途、アルバムもアップ予定です。
今日はお天気は良かったのですが、
相変わらず風が冷たく吹き付けていました。
今夜は豚肉と野菜たっぷりのお鍋を食べました~♪
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*アルバム、出来ました。
フォトチャンネル、2019.7.22 作成
今月6日 鹿児島本港区のドルフィンポートにオープンした「篤姫館」に 、
10日木曜日に行ってきました。
大河ドラマ「篤姫」で、役者さんたちが収録で身につけた衣装や小物、
それにドラマの台本などが展示されています。
入り口を入ると、大奥への"御鈴廊下"(将軍がおいでの時に鈴を鳴らして合図する紐が廊下にめぐらせてある)を模してあって(かなり小規模ですけど)、
篤姫やその他の人物に関する紹介や、
その頃の時代背景や出来事を記した年表、
篤姫と和宮が身に着けていた着物の紹介ビデオなどもありました。
一通り見て回り出口へ向かうと、
当時の鹿児島城(鶴丸城)周辺の地図が展示してあり、
思いがけずご先祖の家屋敷の位置も確認することが出来たのが収穫でした。
(今の家系に養子にいく前の屋敷だから詳しい場所は知りませんでした。)
*写真は少ないですが、
mixiアルバムを作ったので興味あれば見てください。
フォトチャンネルも作ったのでご覧ください
いつもお読み頂きありがとうございます
以下、2008年1月9日のmixi日記より
『篤姫』、始まりましたね。
原作には出てなかったと思うのですが(まだ上巻読み始めたばかりですが)
放送第1回目を観ていたら、突然ウチの名前が出てきたので、
さすがにビックリしました~
《登場人物・相関図》
http://www3.nhk.or.jp/taiga/cast/cast1.html ・・・リンク切れですので
こちらをどうぞ
大河ドラマ『篤姫』《NHKドラマ HPより》
於一(おかつ=のちの篤姫)の母親「お幸」役の樋口可南子さんに
いきなり名前を呼ばれたのでビックリ!でもちょっと嬉しかったり。
思わず「は~い」と返事をした私。
孫六さんはウチからすると、どういう繋がりになるのかまでは
まだ把握していませんが、母は父を伴って(巻き込んで?笑)
今和泉まで戸籍謄本を取りに行ったらしいです。
家の中を探せばどこかにあるはず、と父。
もし母が生きていたら非常に喜んだことでしょう(笑)
←「詫摩彦輔治通」
写真は一昨年今和泉の墓地に行ったときのものです。
(以前日記に書いたので、ご覧になった方もいらっしゃるかも?)
父は、「今は手入れされて綺麗になってるだろうねぇ。」
と言いながらも、私が「また行ってみる?」と聞くと、
「いや、もう行かん。」と答えます。
観光客も増えただろうし、メジャーになったからか
もう行く気が失せたようです。
その気持ち、わからなくもないような。
これからの放送も楽しみです。
《次回13日放送あらすじ》
http://www3.nhk.or.jp/taiga/story/st02.html ・・・リンク切れです
《キャスト》*放送前に書かれたものだけど、読み易いかも。おまけ。
http://www3.nhk.or.jp/drama/html_news_atsuhime.html ・・・リンク切れですので
こちらも新たにリンク貼りました(2018. 1/13)
2007年8月6日「篤姫」キャスティング発表!
mixi日記キーワードランキング(01月06日付)
5位 篤姫
http://mixi.jp/keyword_ranking.pl?year=2008&month=01&day=06・・・リンク切れです
以下、2018年1月13日補足 まとめ
大河ドラマ『篤姫』《NHKドラマ HPより》
2007年8月6日「篤姫」キャスティング発表!
☆カテゴリー違いでも今和泉島津家墓地に関連して書いているので、
ブログ右上の「検索」欄で「今和泉島津家墓地」と入れて読んでみて下さいね〜♪