いつもお読み下さり、ありがとうございます。
さて、当ブログですが、タイトル通り、あくまでも個人的なブログです。
母が亡くなって数年後、以前から聞かされていた祖先のことを知りたくて、母が残してくれたメモ書きや書籍、戸籍や除籍謄本など家族の情報を頼りに、現在から祖父、曽祖父と辿って、知り得たことを記録に止めることで、県外に暮らす兄弟にも共有してもらえることを期待して書き始めたものです。
我が家は台湾から引き揚げて来た家族であり、
あちらではもしかすると祖父が持っていたかも知れませんが、家系図も残っておりませんし、
歴史に詳しいわけでも、ましてや専門的知識があるわけでもありません。
ご質問を頂いても分りかねることが多々あります。
コメント返しがない場合は、当方では分らないことであると、どうぞご承知おきください。
2年前(2018年)にも『数年越しでのコメント返信』で書きましたが、再度、以下の通りお伝えいたします
ご一読頂けると有難く存じます。
《 以下、再掲示 》
☆☆☆
これまでコメントを頂きながらも自分でも分からない事・捉えきれていない事については
コメント返しもせずに失礼とは思いつつもそのままにしておりました。
公開にしているコメントの他にも数通のコメントを頂いていましたが、何しろ当方の知識も乏しく、またお寄せいただいた内容についての確認も出来ない状態でしたので公表は控えさせて頂きました。
当方としては、私自身の祖父、曾祖父から遡ったことしか分からない上に、除籍謄本などは役所では曾祖父以降(昭和24年以降だったか?)の書類しか残っていないので、それ以前は辿れないそうでお手上げ状態のまま、それ以上はわかりません。
曾祖父の兄・名越時成さんについても、そのご子孫であり最初に我が家に曾祖父・轟について訪ねてこられた内村八紘氏から頂いたレポートからしか分かりませんので、今後ご質問頂いてもお答え出来ることは特にございませんので、ご了承ください。
カテゴリーの「初めて読む方へ」 もご覧下さると、お分り頂けるかと思います。
2010年10月の『『墓標を縫って 南洲墓地にて』の作者、湯場崎末次郎様へ。』なども、先祖を辿る当時の活動が記録されています。自分で読み返しても懐かしいです。(※ 2020. 4.19 追記)
2009年2月の『ブログに込めた想い-5(一部追記あり)』を読み返していたら、自分でも忘れていたこのブログを書く動機が記されていました。(※ 同上 同日追記)
以上、何卒ご了承いただきたく、今後とも当ブログを宜しくお願いいたします。