☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

「電信」の仕事?

2018-07-23 11:45:34 | 曾祖父・轟のこと
いつもお読みいただきありがとうございます




もう10年前になりますが、照国神社に初詣に行った際、その隣にある探勝園を父と散策し、
「電信使用ノ地」という石碑があるのを初めて知りました。
 
小さい画像はクリックで拡大表示されます

それから何年も経って、曾祖父・轟の長姉である川上イサさんが記した『都見物日記』をじっくり読んだ時に、曾祖父が明治23年時点、東京市に出向いた際に何らかの形で「電信」の仕事に携わっていたらしいことを知るのです。

そのことをこちらのブログに書いたように思っていたのですが、「電信」でブログ内検索したところ記事が見つかりません。。。カテゴリー欄の「轟の姉・イサさんの『都見物日記』」で探しても同様。。。



『そろそろ新年のご挨拶など』(2008. 1/7 mixi日記より)の中でまとめ日記として数枚の画像も上げていましたが、探勝園についても「電信」についても書いていなかったようですね。。。

また、この日初詣で撮った写真はどうやら別のブログに上げていたようです
  雪見月のチェストブログ「照国神社・探勝園を歩く」(しかも、10年後の今年、3月18日にアップ!)

mixi日記の過去の日付けのものをいくつか当時の日付けでこちらにも上げていますが、mixiでは写真のみをアルバムにまとめていたので、こちらでもフォトアルバムの形で上げてみました。宜しければご覧下さい

フォトチャンネル「照国神社と探勝園ほか(2008.1.4)」


※フォトチャンネルの画面上にカーソルを当てると下部に画像の説明が表示されます

曾祖父が関わっていた『電信』の仕事については、残念ながら現時点では全く分かっていません。。
  
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黎明館学芸講座「なごや左源太の明治維新」など

2018-07-22 11:17:02 | 名越時敏史料

いつもご覧頂き、ありがとうございます
 ※上部画像は鹿児島県歴史資料センター黎明館にある"天璋院(篤姫)像"中村晋也氏の作品)

もう1ヶ月以上前のことになりますが、6月17日に黎明館で学芸講座があり、父と一緒に聴講してきました。
最近はFacebookへの投稿がつづき、こちらの更新が後回しになっていたのですが、これはアップしておかなくては

『平成30年度 第1回 黎明館学芸講座(企画展解説講座)』


講師は、黎明館学芸課長 内倉昭文さん。
内倉さんは、黎明館の前・調査史料室室長で、これまでにも専門家の視点でいろいろとご教示いただいています。
最初の接点は私の別のブログにコメントを頂いたことでした。
       
「☆雪見月のチェストブログ☆〈☆ゆきのおと☆改題〉」2011年3月26日のコメント欄

まず、第𝗜部「なごや左源太の明治維新」は、これまで『鹿児島県史料 名越時敏史料』(「一」〜「八」が既刊)に携わってこられた中で調査研究された事柄の総括で、当然ながら我が家でも見聞きしたことも多かったのですが、こうして広く一般の方々にも知って頂けて(共有出来て)あり難いことだと思いました。
※なお、『鹿児島県史料 名越時敏史料 九』と『 同 名越時敏史料 十』がそれぞれ来年度・再来年度に刊行予定とのこと。

つづく第Ⅱ部「大河ドラマと黎明館史料 Ⅱ」では、今放送中の大河ドラマ『西郷どん』や、10年前の同じく大河ドラマ『篤姫』、はたまたもっと遡って『翔ぶが如く』『獅子の時代』に関連したちょっとした裏話なども交え、明治維新の頃の会津や琉球・薩摩藩はもとより、全く知らなかった「高須藩」のことなど伺うことが出来ました。
※大河ドラマ『八重の桜』(2013年)で北村有起哉さんが演じた「秋月悌次郎」についても、旧薩摩藩士に宛てた手紙から会津藩士・秋月悌次郎が戊辰戦争後も薩摩藩士と交流していたことを証明するものであり、「鹿児島の人たちにも会津に関心を持ってもらい、会津、薩摩両藩が戦った部分だけでなく、良好な関係にも多くの人に目を向けて(今年4月14日の「福島民報」の記事コピーより)」もらいたい、と当時の新聞記事を基に語っておられました。

聴講のあとは展示見学を希望された皆さんと、内倉さんの解説を受けながら、展示史料を鑑賞しました。


これからも、戴いた資料を読み返し、少しでも理解を深めたいと思います

 

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西郷従道と台湾と曾祖父・轟と

2018-07-20 18:14:58 | 曾祖父・轟のこと
いつもお読みいただきありがとうございます

一昨日7月18日は西郷従道の命日だったそうで、先日知りました。
 天保14年5月4日(1843年6月1日) - 明治35年(1902年)7月18日
 以上、「西郷従道」Wikiより

今日はFacebookにアップしたものをこちらに記しておこうと思います。
……

西郷隆盛の弟・西郷従道についての「歴史人マガジン」の紹介記事です。
        
https://rekijin.com/?p=27762

私の父が 湾生(第二次大戦前に台湾で生まれ育った日本人)なので、従道の名前は以前からよく耳にしていました。更には、宜蘭庁長官だった、西郷隆盛の長男(愛加那との子供)菊次郎の事も。

ただこれまでは、西郷隆盛の弟・従道と隆盛の長男・菊次郎が、私の中で途中ですり替わってしまう事が時々ありました。どちらも台湾との関わりがあるためですが、一人ひとりに焦点を当てて知る事で捉え直すことは大事ですね。

考えること・思う事が色々ありました。
例えば、曾祖父と、曾祖父の兄・名越時成とのこと。
曾祖父・轟は西南戦争に従軍し、負傷した後も延岡・長井村で最後まで戦い政府軍に投降し市ヶ谷に収監、その後上申書を残し帰郷(明治11〜12年ごろか?)。その後結婚して明治14年には長男(私の祖父)が生まれています。

と、ここで祖父の姉の誕生日を確認したら、「明治9年9月15日」に生まれていました
ということは、西南戦争に行く前に結婚し長女も生まれた翌年に参戦していたという事に今気づきました〜(゚∀゚)‼️

ともかく、曾祖父の兄は薩摩藩英国留学生🇬🇧で1865年に渡英、翌年帰国後は詳しいことは分かりませんが、史料や関連本を読む限りは郷里では思うように生きられなかったのかもしれません。英語教師をしたと書かれたものもありますが。

そして、父親である左源太時敏は長男(嫡子)を失うわけにいかないと、一時期奄美に住まわせたのかもしれません。一説には「座敷牢に閉じ込めた」と伝わっていますが、本当のところは大事な嫡男を戦争に参加させてはいけないと思ったのかも。この点については黎明館の内倉氏からご教示頂きました。

ところが次男である曾祖父・轟の方が西南戦争に参加するとは、父、左源太時敏も思っていなかったのでは?とも、内倉さんはお話しされました。

どの家族でも、子供の頃からお互いにに影響は受け合っても兄弟のその後の生き方はそれぞれなんだな、と思う事でした。
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大円寺いろいろ

2018-07-15 17:32:38 | 都見物日記プロローグ

いつもご覧頂きありがとうございます

今日、当ブログの人気記事ランキングで「目黒区の大円寺」が2位に上がっていたので、気になっていた事を少し書きます。

以前、2008年3月5日のmixi日記『目黒区の大円寺』をアップしました。
この中で、目黒区の大円寺に先祖の墓があったようだと書いていますが、最近ツイッター及びFBで、ある歴史小説家の先生(はっきり言えば、桐野作人さん)にご教示いただいたところ、島津家の菩提寺は杉並の大円寺であり、目黒区の大円寺は宗派も違うので考えにくい、とのことでした。
※島津家菩提寺である福昌寺は曹洞宗(参照→) 鹿児島市観光サイト よかとこ かごんまナビ/福昌寺(島津家墓地) 

   ↑※リンク切れ('20. 5.19調べ)

なので、一応ここで修正させて頂きます。

曾祖父の姉、イサさんが『都見物日記』に書いていた「名越家御祖先の墓」があったのは、
おそらく杉並の大円寺であったのだろうということです。
※ただし、イサさんのいう「名越家御祖先」とは何を指すのかは不明です。

曹洞宗寺院の大円寺 

杉並大円寺 

目黒区の大円寺は天台宗

 

☆追記:'20. 5.19

「鹿児島市観光サイト よかとこ かごんまナビ/福昌寺(島津家墓地)」はリンク切れだったので、「福昌寺」で検索したら、「島津久光公像」 しか出てきませんでした。。
確かに、福昌寺は「観光スポット」ではなく、「歴史スポット」という事でしょうね。

参考までに→ 『かごしま市観光ナビ』観光スポット  

☆よく見ると、「カテゴリを選択」の欄に「歴史・史跡」がありました。

 

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『「篤姫」を観ながら左源太さんを思う』2008.2.26 mixi日記より

2018-07-04 13:04:38 | mixi日記アップのお知らせ
いつもお読み頂きありがとうございます

2008年2月26日のmixi日記より
「「篤姫」を観ながら左源太さんを思う」
過去の日付けでアップしました。↑こちらをクリック

大河ドラマ『西郷どん』の放送に合わせて‥‥と思いつつも
mixiに載せていた写真を探すのに手間取り、、今になってしまいました〜

リンク切れもありますが、可能な限り新しく貼り直しています。

では、どうぞご覧下さい

2008年2月26日のmixi日記より
「「篤姫」を観ながら左源太さんを思う」
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