先程、桐野作人さんのブログを読んでいたところ、
「町田明広」というお名前が目に留まり、
著作でもあるのではないかと検索すると、、、
ありました!
『島津久光=幕末政治の焦点』 (講談社選書メチエ):町田明広著
久光に関する著書、芳 即正先生のもまだ読み切れてないけど、
こちらも興味を引かれますねぇ~
検索結果の中に、桐野さんのお名前も載ってたので
覗いてみると京都の歴史研究者・中村武生さんのブログでした。
そこでブログランキングをクリックすると、『歴史ブログランキング』というのがあり
第2位(現時点)に中村氏の「歴史と地理な日々(新版)」が並んでいました。
この方、一般人のワタクシは存じ上げませんでしたが、
民放テレビ局で篤姫と和宮を取り上げた
ミステリーものの番組にご出演だったとか。
もしかしたら拝見したことがあったかもしれません。
そして、桐野さんともお知り合いのようでした。
*上記・中村氏のブログの'09 1/16の日記をご覧下さい。
なんだか、つながってますよね~
いくつか読んでみると、
今年始めに鹿児島へもいらしたことが載っていました。
*同じく'09 1/3の「鹿児島の高城書房に感激したはなし」をご覧下さい。
そこで、思わぬ収穫があったので、メモしておくことに。
「鹿児島城下絵図散歩―新たな発見に出会う」(高城書房)
編集:塩満 郁夫, 友野 春久
これ、ほしいな~~
でも、ちょっと値が張るから、、、
まずは県立図書館で見てみようかな
左源太の長女の川上いささんが書いた「都見物日記」のことは、以前このブログでも紹介しましたが、その日記が連載で紹介されていた地元の月刊誌「さんぎし」のことをネット検索してみました。
※関連記事
『「篤姫」と"いささん"の日記』
『いささん、51歳』
すると、鹿児島西ロータリークラブのHPに行き着きましたよ?!
※残念ながらリンク切れてます
「さんぎし」って薩摩狂句の月刊誌だったんですね~~
しかも、鹿児島西ロータリークラブの本部が山形屋(鹿児島市にある百貨店)内にあったなんて知りませんでした。(すみません‥‥?)
*あとで気付いたのですが、HOMEから「沿革」によると
'90年に鶴鳴館から移ったらしいです。
こういう発見をした時には
「へぇ~~~?!」と楽しくなってしまいますねー♪
「さんぎし」のことを知ったのは、去年の日記↑にあるように鹿児島県立図書館の司書さんに教えて頂いたのが切っ掛けですが、鹿児島市立図書館に蔵書があるようです。(県立図書館にもあるのかも?)
ただし、いささんの日記が掲載された時期もハッキリしませんし、その頃のバックナンバーが残っているものかどうかもわかりませんが、とにかく、近いうちに行って調べてみようと思います。
*月刊誌「さんぎし(竹馬)」は昭和32年に創刊され、昭和57年に復刊し、平成19年3月で300号が復刊継続(上記リンク先の掲載記事より)
それから、左源太が小林の地頭所勤務だった頃の日記も残っているとかで、内村氏から頂いた文書にも紹介があった「小林市史」も、一度読んでみようと、昨晩父とも話したのでした。
夕べは、左源太の名前が「泰藏」に変わったのはいつだったのだろうと気になって、内村氏がまとめた資料を久しぶりに読んでいたところ、明治4年廃藩置県になってからのことでした。そのあと明治6年6月から明治7年4月に依頼退職するまでの間、以前の任地だった宮崎の小林で、宮崎県十二大区区長(西諸県郡長に相当)として勤めるワケですね。
結局、寝る前になって小一時間ほど資料を読みふける父と私でした