先日、当拙ブログのアクセス状況をチェックすると、
「アクセスされたページ」の中に『「古の遺愛」とは?』が上がっていたのです。
記事の中の何かが検索でヒットしたか何かなのでしょうけど、何を書いていたか自分でも見直してみたんです。
で、ここに貼ってあったリンク先を久しぶりに読み直してみたところ、
最初の項「一 「古の遺愛」について」にあった「伊集院俊矩」という人物が気になったわけです。
この伊集院俊矩という人は「宗信の傳育役」で、
「その事績を収録した「伊集院俊矩言行集」も篤烈(=名越左源太時敏)は書写している」とありました。
そこで「伊集院俊徳」で検索したところ、『第七部 鹿児島の金石文』という、
鹿児島市のHPの史料がヒットしたので、このPDFのどこにこの名前が載っているのか探してみました。
すると、ページ「七六一〜」の「17. 福昌寺址諸碑(池之上町)」の中の
「島津重豪公神道碑銘」(七六三〜七六六)に続いて「伊集院俊矩之碑」というのが出てきました!
碑文については‥‥ちょっと読みこなせないので割愛しますが(汗)、
「17. 福昌寺址諸碑」に記されているということは、福昌寺跡の墓地にあるということなのでしょうか?
なお、この鹿児島市史の『鹿児島の金石文』PDFには、
更にいろんな石碑の碑文が載っているので、
興味のある方はじっくり読んでみることをお勧めします
私も「29 水神碑」以降はざっと目を通しただけなのですが、
それでも「三原藤五郎」とか「西村時彦 撰」など
気になる名前もいくつかありました。
また時間をかけて見てみたいと思います。
画像は、今となっては懐かしい、御楼門復元前の鶴丸城入り口
(2008年1月27日撮影)