第八章に入る前に、大まかな流れを自分なりにメモしたものを画像にしました。
10年以上前にどうにか読み込んでみたものの、宿屋の名前、登場人物の名前、それにどこを訪ね、何をしたかの記録を付けておこうと、書き付けていたのでした。(画像は読みにくいと思いますが、、、)
以下の通り、 '20. 6.13 に文字入力してみました。
M. 23 4. 17 pm2時前出港(豊瑞丸)
4. 18 終日 船内
19 雨。霧。昼食後豊瑞丸を4時ごろ降りて、夕方陸に上がり、讃州 多度津へ上陸
総勢26名、汽車にて金比羅様へ(夜10時ごろまで)
帰りに大茶屋「虎屋」で食事
夜10時頃、車で浜近くまで、それから舟で豊瑞丸を目差すも、霧で何も見えず、
小舟にて26名して、夜を明かす
4. 20 天気よし. 朝霧にて何も分からず 昼寝. 夜沖に船をみつけた、と皆騒ぎ立ち賑やかに
ほかに大勢がのりこみ、夜中0時頃までせわしく、1時頃寝入る
4. 21 午後、淡路島を眺め、兵庫港入り
宿屋「薩摩屋」 ※ 名越家と川上方へ文を書き送る
神戸楠公社参詣
神戸 薩摩屋 泊
4. 22 10時前、汽車に乗り 11時過ぎには大坂の「増元」宿屋へ着く いささんは宿屋で留守番
姑さんと轟さんが戻り、昼過ぎより大坂市中見物に
夜は道頓堀へ芝居見物
大阪 増元2泊(〜23日)
4. 23 雨。昼は「増元」にて。夜は三原氏お母様と4人で「源水楼茶屋」へ。
4. 24 9時すぎより雨。 2時過ぎに車で梅田停車場へ。
汽車で西京(京都)へ。4時着。 宿:三条小橋「亀屋」
京都 三条小橋 亀屋3泊 (〜26日まで京都泊)
4. 27 午前中は嵐山、天竜寺、西本願寺、東本願寺 見物
京都停車場より、5時頃汽車に乗り、柘植(つげ)に夜8時着
柘植 亀屋 泊
4.28 柘植(つげ)より、車にて「かぶと村」経由「むくえ」まで
「むくえ」で昼食、馬車に乗り換え「津」でまた馬車を乗り換え「櫛田」まで。 宿:「紅葉屋」
櫛田 紅葉屋 泊
4.29 伊勢参詣 伊勢山田「北村屋」へ
9時前には着き、11時に昼食をとり、案内人頼み お伊勢様御参詣
伊勢山田 北村屋 泊
4.30 「北村屋」を出発 かみやしろの港より小舟にて小蒸汽へ乗り、
はし船にて川登り、豊橋の宿屋「壺屋」へ着いたのが4時頃
豊橋 壺屋1泊
5. 1 (30日の)夜中2:50には「壺屋」を出立。車で豊橋の停車場まで。3時過ぎに汽車に乗る。
次ページ(画像)の一番上↓に「5/23以降のが '08. 3. 30 に出てきた。」と書いてありました。
一時所在不明だった次のページ「第八章」が後から見つかったのものです。
(この件、2008.4.10の『いささん、51歳』に書いていました )
5. 1 夜中3時過ぎに汽車に乗り(豊橋から)東京入り 夜まで終日汽車
高輪御殿山、下手をとおり、品川を片脇に見つつ、新橋停車場でおり、
新橋の「松元屋」へ宿をとる
新橋 松元屋 泊
5. 2 朝8時前には 京橋区加賀町十七番地「和田(いく)宿」に宿替え
麻布永坂島津氏 お染様のところへ 3人で連れ立ち参り上げ、
帰りには愛宕山、芝増上寺見物
京橋加賀町 和田屋
5. 3 雨降り お染様と芝居見物(朝8時過ぎより)歌舞伎座へ。市川団十郎「道成寺」他
〈終日雨に うんざりのご様子〉※この後、7日まで雨降り。
5. 4(雨) 〜 5. 7 買い物や、上野博覧会見物。また、宿を訪ねる方々もあり、話し、飲食して過ごす
5. 8(晴れ)馬車で上野の博覧会他。九段坂の招魂社祭日にて参詣や、美術館見物も
5. 9(晴れ)〜 5. 12 5. 11には上州日光山へ向かう
上野 → 宇都宮 → 日光 宿:日光「神山」
5. 13(少々雨降り)久しぶりにゆっくりする。日中、雨が強く降ったが、夕方には上がる
5. 14(晴れ) 富士を見に参るつもりが、曇りのためにとりやめ。向島辺りへ。
「堀切のしょうぶ」を見に行く
5. 15(〃)〜 5.17(晴れ)
5. 18(晴れのち雨)東京を離れる。8時 新橋より → 横浜まで 宿「蓬来屋」に9:20に着くも、
横浜 蓬来屋 泊 神戸行きの船が無く、横浜「蓬来屋」泊まり
5. 19(雨ふり) 11時には浜へでかけ、小舟で新潟丸へ乗り込む(神戸まで船中泊)
5. 20(晴れ) 夕方には神戸へ着き、車で三宮まで。8時の汽車が出たあとで、
10時前の汽車で大坂梅田まで。11時過ぎには着き、以前の宿「増元」へ。
大坂 増元 泊
5. 21、22 大坂泊
以上、 '20. 6.13 上記の通り、文字入力してみました。
5月21日以降は、日付の本文をご笑覧くださいませ。
「5月21日 和田すみ殿と再会、 三原氏母様とも久々にお目にかかり上げ」
「5月22日 昼間はお買物、夜は西村時彦さん方へ」
◇ 都見物日記 ◇ 第八章 (5/23〜5/29)