☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

曽祖父が残した明治30年の澎湖の水産業レポート

2022-08-11 10:23:41 | 曾祖父・轟のこと

 いつもお読みいただき、ありがとうございます

 

6年前に書いた記事『曾祖父・轟の名を台湾のサイトに見つける

2016-09-12) カテゴリー| 曾祖父・轟のこと

この記事に貼っていた「国立台湾師範大学」のサイトのリンク先が見られなくなっていたので、先ほど「栗川轟(陳春暉 譯)(1939)」で探してみたところ、

logo

というサイトで見ることが出来ました

 

「篇名」というのは何でしょうか『澎湖白沙地區的社會與經濟變遷』となっていました。

作者:王右邦 出版年月:2007年

「出版品名称」『臺灣師範大學歷史學系在職進修碩士班學位論文』で、指導教授の名前も表示されています。

 

 この論文の「参考文献」一覧に曽祖父・轟の書いたものが上がっています。

上のリンクから画面をスクロールすると結構下の方にあります

  ↓↓↓

「栗川轟(陳春暉 譯)(1939) 

1999〈一百零二年前澎湖之水產業概況(原名:〈四十二年前の澎湖の水產業〉),《?咕石:澎湖縣立文化中心季刊》16:2-12。

 

 元記事に追記したように、この西暦表示がややこしいのですが、一百零二年前澎湖之水產業概況」というのは、1999年から102年前=1897年(明治30年)ということですね。

元となる書物が原名:〈四十二年前の澎湖の水產業〉」として1939年(昭和14年)に出版されたと。

その本の出版時(1939年)から42年前=1897年(明治30年)ということで、それが曽祖父がレポートしたものですね。

それが1999年に「一百零二年前澎湖之水產業概況」が《澎湖県立文化中心季刊》で掲載されたもののようです。

 

「原名」が「四十二年前の澎湖の水産業」と日本語ですが、昭和14年に「陳春暉」という方が日本語で書いて台湾語に訳したのか?それとも、1999年出版の際に台湾語に訳したのが「陳春暉」という方なのか、ちょっとはっきりしません‥‥。

曽祖父・轟は大正11年に亡くなっています。

 

肝心の明治30年の水産業レポートは国立中央図書館台湾分館に存在するようで、ツイッターで繋がった片倉佳史氏が冒頭にあるブログ記事を読んでくださって、のちにFBで繋がった際に8頁に渡るものをご教示頂きました。

 

 

 また、「「台湾総督府職員録系統」の明治29年の616ページ 」は2022年8月11日現在も見ることが出来ます。

画面のスクリーンショットを撮ってみたので載せておきます

 

リンク先のページからのスクショ、三段組みの下段に確認出来ます

 

それでは〜

 

 

 

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「デヴィッド・ボウイ ライブ イン バンクーバー 1983」

2022-08-07 00:43:14 | MUSIC

今夜はちょっと趣向を変えて‥‥

 

NHKの『洋楽倶楽部』

David Bowieの1983年のライヴ映像を観てるのだけど、

私にとってのボウイは70年代の曲がほとんどで、

80年代に入ったら、「何だか‥‥ちょっと、違うよなぁ‥‥」と思って聴かなくなった。

そんな中、聴き馴染みのある曲がかかった。

70年代の曲っぽく思っていたこの曲、

♪Ashes to Ashes

1980年のアルバム『スケアリー・モンスターズ』に入ってる曲だったっけ?!

このアルバム、持ってたかなぁ?明日確かめてみよう。

 

意外な発見があった夜でした。

では、お休みなさい

(↑上のリンクはライヴ音源。こちらのとは別物です↓)

(ビックリ和訳) デヴィッド・ボウイ - Ashes to Ashes - David Bowie

 

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「於枝様」に気付いた話

2022-08-04 12:47:37 | 名越左源太と家族

昨日、FBにも書いたのですが、以前このブログで書いた記事の画像を目にして、あることに気づきました。

小松帯刀清廉の誕生日に 』(2020-12-03) カテゴリー| 曾祖父・轟のこと

以下、FBで投稿したものをそのまま載せておきます。

===================

今日(8月3日)、拙宅ブログでこの6時間以内に読まれた記事リストを見て、その中の一つをチェックしてみたところ、その中の画像から気付いた事がありました。

記事タイトルの「小松帯刀の誕生日」はこの際関係ないのだけど、『鹿児島県史料 名越時敏史料 一』のp.74に文久二年(1862年)の正月の名越家の家族構成を書いてあり、よくよく見てみると、その中で「文化二年乙丑八月三日誕生 於枝様 一 母上様御歳五十八歳」とあるのです!
 
それに気付いたのが今日、8月3日とは‥‥。
 
ただ、「於枝様」と名前に様付で書いてありますし、文化二年は1805年、高祖父・名越時敏は「拙者四十四歳」とあり「母上様」との年の差は14歳なので、時敏の実母ではなさそうですね。
 
 
今までは高祖父・時敏や、曽祖父・轟(当時は郷十郎)の二人の姉と兄弟について知りたいと、このページの下段ばかり読んでいて、上段の端にある両親のところをよく読んでいなかったのですが、時敏の父・名越盛胤についても初めてちゃんと読んでみたのです。
 
「天明七年丁未十月七日誕生 一 父上様当年御歳七十六歳」とあり父上については名前は書いていません。
 
ここで自作の「家族・親族の生没年カレンダー手帳」を見ると、こちらも旧暦・新暦の違いはありますが亡き父の次兄の誕生日と同じでした!
 
同じ日といえば、時敏三男の吉次郎(曽祖父・轟の長弟)の誕生日が、私の亡き父と同じ日だったことにまたビックリ!
前にも一応目を通してはいるはずなのですが、今日はこれについても改めてメモを取りました。今日の収穫でした♪
 
なお、三男・吉次郎と四男・徳熊(曽祖父の弟達)については詳しいことはわかっておりません。
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