☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

同時期に2冊も?!

2010-05-26 00:55:23 | Books
名越左源太関連の本が、2冊も出版されましたのでご案内致します。
(どちらかといえばマイナーな左源太本なので、
 これは非常に珍しいことだと思います!)

1冊は、ブログでやり取りのあるbizaさんが
ご自身のこれまでのブログから奄美の食とお菓子についてまとめられた本を
南方新社さんから出版された本です。

『名越左源太が見た 幕末奄美の食と菓子』

私は南方新社さんから案内を頂いたのですが、
bizaさん、有名菓子店の資料室でお仕事をされてる方のようで、
食に関する古書や文献に接してらしたことを今回初めて知りました。
こちらはAmazonでも購入可能なようです。


で、もう一冊は、
bizaさんのブログで最近紹介されていた、
『奄美・小宿集落誌』という本です。
http://sagenta.nature-f.com/?eid=1345056#comments


私はまだ奄美群島に行ったことは無いのですが、
奄美大島に小宿というところがあって
名越左源太が1850~1855年にかけて遠島になった際に
暮らしていた居住跡が残っているそうです。

ある奄美在住の方のブログで見せていただいたことがあるのですが、
左源太が島での生活でお世話になった方の子孫の方がまとめられた
小宿集落、ひいては奄美の歴史に関する本です。
http://kaihu.blog.ocn.ne.jp/amami/2010/04/post_1eea.html

子供たちに是非、ふるさとの歴史を知って欲しいとの願いを込めて
書かれたそうです。
奄美博物館所蔵の『南島雑話』の写本から多数のページが
カラー写真で紹介されている貴重な本です。

こちらは奄美の楠田書店で扱っていて、取り寄せも可能なようです。

図書館で見てみようかとも思いましたが、
やはり手元において置きたい1冊なので書店のHPを調べて購入しました。
 楠田書店のHPはこちら↓
http://www2.synapse.ne.jp/kusuda/


興味のある方は、是非。

*ちなみに、小宿の居住跡の写真はこちら↓で見ることが出来ます。
http://kaihu.blog.ocn.ne.jp/amami/2004/10/post.html
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父の従弟

2010-05-19 09:02:22 | 日記
今朝は雨。(*気分を変えるために「青空」の写真です。笑)

ちょうど1ヶ月前も雨が降っていたなぁ。


その日の朝刊で、父の従兄弟の訃報を知った父と私は
指宿市内の斎場へ向かったのでした。

亡くなったのは前日の日曜日、4月18日の未明。

肺気腫、と聴いている。

今年初めに具合が悪くなって一度入院していたらしいけど、
退院してからは地域の会合に出たりもして調子はいいと思っていたのに
急に悪くなって救急車で運ばれたようだ、ということだった。


日頃、本人よりも奥さんの方が病弱で、
奥さんの身体の事をいつも気にかけていたのに。


父と従兄弟は、戦前台湾で育った。
それぞれに(父は入隊後の四国、従弟はおそらく台湾で)終戦を迎え、
それぞれに初めての鹿児島での生活が始まる。


小さい頃、「池之上のおじさん」の家に遊びにいった記憶が
おぼろげながら残っている。

父にとっての叔父だということでそう呼んでいたのだと、
今更ながらハッキリと認識した。
話題にする時は、父に倣って私たちも「○○さん」と名前で話していた。
父の父は兄弟の長。従弟の父は末弟だった。


近年、我が家を訪ねて来た事があった。
なんとなく、去年のお正月ではなかったかと思っていたけど、
日記を繰ってみると、それは2年半も前の2007年10月の事だった。

以前からも、そして2年半前のその時にも
「ウチに遊びに来て下さいね。
 池田湖の近くで景色の良いところなんですよ。」
とお誘いを受けていたのだけど、車での遠出や父の体調のこともあったり、
「もし、奥さんの体調が悪いところにお邪魔すれば‥‥」と気遣うあまり
訪問を遠慮していた。

「一度訪ねていれば‥‥」と、本当に、心底悔やまれ、
その元気だった頃の笑顔を思い出しては涙をこらえられなかった。


正午前に広告記事を目にしたため、
正午からの葬儀には間に合わなかったが、火葬場を訪ねると
姉妹や親族が待合室で食事をとっていたので、お悔やみを伝え、
父と従姉妹たちの話を傍らで聞いていた。
収骨に参加させてもらえたのが、悲しい中でも救いだった。


初めて顔を合わせる方々が多かったが、なんだか懐かしいような、
くつろぎの時間を過ごせた。
『あぁ、これは「親族」ならではの感覚なのかなぁ。。』と
妙な感慨があった。
(ここにいる人たちみんな、左源太の子孫ってことね、とも思ったのでした。)

父方の兄弟はほとんどが関東で暮らしていて、
小さい頃はともかく、日頃会う事もなく過ごして来たので
そう思ったのかもしれない。

昨年、唯一存命だった長姉を亡くした父。
その姉の墓前に手を合わせる事も未だ叶わないのに、
今回の従弟の急死。

今回ばかりは本当に、父の気落ちがこれまでにない程で、
何もする気が起きないのが気がかりだった。

去年の肺炎の事もあり神経質すぎるほどに父の体調を気遣って
ちょっと風が強いと、「上着を着て、マフラーを巻いて」と言いながら、
父にうるさがられ呆れられ、時に機嫌を損ねられつつも
なんとか3月を乗り切った!と思っていた矢先、
突然のこの訃報だった。


父の体調を考慮しつつ、気晴らしにと
ショッピングセンターへ出かける用事を見つけては連れ出した。

そんなこんなで3週間ほどしてようやく
元気を取り戻してくれた。

さすがに、前ほどには力仕事も侭ならないけど、
庭の手入れや犬の世話で日々を過ごしている。


今回も、犬や猫がいてくれてだいぶ助けられたと思う。父も私も。
いてくれるだけで気が休まる。
何とはなしに声をかけては気が紛れるのだろう。


最近、台湾関連の本を目にする事が重なり購入。
父と共有で交互に読んでいるところです。
 
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