☆いつもお読みいただきありがとうございます
タイトル通り、今日は父方の祖父・篤彦の命日でした。
まだ私が生まれる前の昭和23年(1948年)のことです。
台湾から家族で引き揚げて来て数年後、享年66でした。
父は末っ子でその時は21歳、若くで父親を亡くしました。
今このブログをチェックしたら、過去の1月25日の日記に残してありませんでしたので、今日FBに書いた記事を貼り付けておきます。
お読み頂けるとうれしいです。
半次郎少年が出てきましたね、今日の『西郷どん』。
https://jpreki.com/beppu-shi/
ネット検索で見たこちら↑のサイトでも桐野利秋と別府晋介とは「母方の従兄弟」とあります(Wikiにも書かれています)が、その繋がりを詳しく知りたくなり、西郷南洲顕彰会の『敬天愛人』第14号(平成8年9月24日発行)を読むと、別府晋介とその兄・九郎兄弟の父親・別府十郎の姉・スガさん(晋助兄弟の伯母)が同じ吉野実方(さねかた)の桐野兼秋と結婚し、二男として生まれたのが利秋(中村半次郎)という事です。
実は、この別府家は我が家の家系とは後に姻戚関係となるのです。
☆以前ブログに書きました。
『名越左源太泰藏の子供たち』
別府家の晋助兄弟の姉が吉野・実方の川上家に嫁ぎ、その二男に、 私の祖父・篤彦の姉(曾祖父・轟の長女で、父からすると伯母)フクが後妻に入ったということです。ややこしいですけど。。
なので今回の半次郎少年にも関心がありました。
ドラマは観るだけでいいかなぁ、と思っていたのに、大河ドラマのガイドブック(?)であらすじを読むと「半次郎」の文字を目にして俄然興味が湧きました。
それよりも、今年になって急に気になったのは、赤山靫負が出てくるということは当然「お由羅騒動」「高崎崩れ」が書かれているわけで、そうなると処罰された者たちを原作では一体どう書かれているのだろう⁉️ということ。
そうなると居ても立ってもいられなくなり即本屋に走り、林真理子さんの原作本、3分冊の1冊目だけを手に取り、NHKのガイド本も入手したというわけです。
☆画像はまた別の本ですが、左は原作者・林真理子さんの思い入れなどを直接読めると思い購入
FBに投稿したものです。(2020.2.9 以下を追記)
「昨日のうちに書きたかったのだけど、1月19日は名越フデ(筆)さんの命日でした
フデさんは私の曾祖父・轟の姉で、弘化2年(1845年)6月16日に生まれ、
大正14年(1925年)1月19日に亡くなりました。享年79歳
フデさんの誕生日は父・名越左源太(泰藏)の命日
フデさんの命日についてはブログに書いたつもりだったけど見当たらなかった。。。」
〈関連記事〉『名越左源太泰藏の子供たち』
いつもお読み頂き、ありがとうございます
この数日は暖かく過ごしやすい日が続いていますが、来週からまた本来の寒さがやってくると思うと‥‥
さて、この2〜3日はツイッターやFacebookで『西郷どん』絡みの記事を目にすることが多くなりました。
※トップ画像は鹿児島市天保山(てんぽざん)にある調所様像です♪(2019.3.1 撮影)
以前の南洲墓地の南洲翁暮石から変えてみました(^-^)
※「調所笑左衛門広郷邸跡」は市内平之町の平田靫負像のある平田公園と道路を挟んだ向かいにあります。
(平田靫負像の背中側です)
※↑説明書画像はクリックすると拡大表示されます(同じく 2019.3.1 撮影)
私も過去の記事を読み返したり、10年前には知識もなかったために気付かず今になって新たに気付いたことなどもあったり
また、過去の写真の元の画像を探すのに時間がかかったりと手間取っていましたが、それがかえって良い切っ掛けになりつつあります。
『5月の歴史探訪フォトアルバム-1』にアップしている写真、拡大表示が出来なくなっているので新たに貼り直してみようと思っています。例えば福昌寺跡で見つけた「調所笑左衛門 広郷」の名前が入った石塔とか。
ところで、「調所広郷」の肖像画というと思い浮かぶあの画像ですが(Wikiにある「調所広郷」の肖像画をご覧下さい)、名越左源太が描いたものを基にして、明治時代に日本画家・野田九浦(のだ きゅうほ)によって描かれたということをご存知の方は少ないのではないかと思われます。(※この件については後日また補足して書いてみたいと思います)
確かに、Wikiにある調所広郷の肖像画を見ると「九浦 復模」と書かれていますね。
年末の記事『その後どうなっているのか、知りたいものですが…』でも少し触れましたが、改めて紹介します。
5年前の「黎明館開館30周年記念企画特別展『島津重豪 薩摩を変えた博物大名』」の図録のp.90にある
「調所広郷」を描いた名越左源太時敏(時行)の直筆画
小紙片は、本人が最初に描いた物にイマイチ満足できずに後で描き直したもので
「此方似寄也(こちらの方が似ている)」と書かれています。
前述の図録のp.114にある記述によると「167. 続常不止集(ぞくとことわしゅう)巻十四 ・・・名越左源太時敏の日記・記録。弘化四年(1847)に時敏は初めて藩の会合で調所を見た。藩政を動かす実力者の姿に感動した時敏は その場で畳に図書の姿を指で描き覚え、帰宅後描いたものの納得しなかった。そのためもう一度別紙に描き「此方似寄也」と記した。図書が亡くなる前年の姿である」そうです。
後述の通り調所の死は1848年なので、これを描いたのは1847年、ということになりますね。
もしご興味のある方は、『鹿児島県史料 名越時敏史料 六』のp.194, p.195をご覧下さい。主要な公立の図書館で見られると思います。
また、「調所広郷木像」も 既出の図録に載っていますが、こちらは「調所の元家来であった 海江田綱賀が 調所の菩提を弔うために、出目祐徳に依頼して作った木像。調所の死(1848年)の翌年に作られた銘が厨子の背面にある。」と解説されています。
チェブちゃんのチケットはご愛嬌ってことで、ウフフ♡(~.~)
天文館界隈散策父と「湾生回家」(午前のみ上映)を観に行く予定にしていたのだけど、午前中あまりに寒かったので繰延に。90歳の父の体調も考えなきゃいけませんからね。元気は元気なんですけどね。た......
1年前の昨日の記事です。
鹿児島市内にある松原神社を初めて訪ねた時のことを書いています。
今年の大河ドラマ『西郷どん』、渡辺謙さんの斉彬さまがやたらとカッコいいので話題ですが、
この松原神社にはその島津斉彬様の遺髪が納められ鬢塚が奉られています。
斉彬様の墓は歴代の当主・藩主と同じく上町地区にある福昌寺跡の島津家墓地にありますが、
斉彬公の遺言により、その遺髪が松原神社に納められたそうです。
《松原神社ホームページ》
神社ブログを見てみたら、ちょうど私たちが訪ねた前後に改修工事されていたようですね。
松原神社HP神社ブログ/
また改めて訪ねたくなりました♪
ちなみに、「松原神社 鹿児島」で検索するといろんな方々がそれぞれに紹介されています。
御朱印集めが趣味の方や古い建造物に惹かれ古地図片手に訪ねる方など、面白いですね。
興味ある方はぜひ覗いてみてはいかがでしょうか
去年のこの日予定していた映画『湾生回家』、
翌日には無事父も一緒に観ることができました。
mixiのフォトアルバムから、こちらにフォトチャンネルを作ってみました。
自分のiPadで見ると表示されない様なので、
同じく表示されない方はフォトチャンネル一覧からご覧下さい
史跡散策(1) 鹿児島市内(PCではここに表示されています)
作っていて気付いたのですが、
この時の散策で、福昌寺跡の島津家墓地を訪ねた時に
篤姫の兄であり今和泉島津家を継いだ「島津安芸忠敬」の名を刻んだ燈籠を見つけて撮った写真に
以前から気になっていた「島津對馬忠喬」の名前が並んでいるのです!
島津對馬忠喬についてはこちら 『島津對馬の長女・スガ』
確かに「どこかで目にしたことが、あるんだけどなぁ……」と記憶のどこかに引っかかるものがあったように思っていました。
今日、それが判明したわけです嬉しいです〜
‥‥と、ここまで書きながら、『5月の歴史探訪フォトアルバム』は1〜3まであるのに、
見落としていました。。
『5月の歴史探訪フォトアルバムー1』と『5月の歴史探訪フォトアルバムー2』も是非お読み下さい
フォトチャンネル、作り直さなくては‥‥
いつもお読み頂きありがとうございます
2008年1月9日のmixi日記より
「孫六さん。」を
過去日記にアップしました。
この年 新たに始まった大河ドラマ『天璋院 篤姫』を観て
ちょっと思いがけず驚いたことや
今和泉島津家の指宿の墓地のことなどを写真入りで書いています。
では、どうぞご覧下さい
トップの画像は俳優:梅野泰靖(やすきよ)さん扮する「栗川孫六」さま。
「詫摩・栗川」の両家の名前ですが、
2006年8月4日に撮った今和泉島津家墓地の島津忠剛様・島津忠冬様の墓前両脇の献燈に名前を確認出来ます。
2009年9月18日、綺麗に整備されたあとの画像がありましたので、見比べてみて下さい。
※「詫摩」が刻まれたものは2006年の写真とは別のものです。
いつもお読み頂きありがとうございます
2008年1月7日のmixi日記より
「そろそろ新年のご挨拶など」を
過去日記にアップしました。
なので、タイトルは今から丁度10年前のmixi日記のものです。
元日に雪が降ったこと、1月4日に照國神社に初詣に行き、
島津斉彬公の像を見たり、探勝園では沢山の猫たちに会えたことなどを書いています。
今年の初詣は11日でした。
10年前の日記を読み返してみてビックリ
いつものように照國神社でおみくじを引いたら
単なる偶然でしょうが、今年もお守り(lucky charm)に「招き猫」が入っていました
どうぞご覧下さい