☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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「の」の字

2017-02-12 11:52:28 | 日記
前回、2月11日について「建国記念日」と表記しましたが、
よくよく調べてみると、「建国記念日」でした。

日頃からカレンダーや手帳の表記で目にして何となく気にはなっていたものの、ちゃんと調べたこともありませんでしたが、今回初めて「広辞苑」や「ウィキペディア」など読んで理解したところです。

内容については、ご自身でお調べいただけるとよろしいかと思いますが、まずはここで、ひとまず訂正致します。


毎年のニュースで「建国記念日」に反対される方々の集会の様子を見てはいますが、漠然と「戦前の"間違った"教育方針を復活させることになる」、と懸念し「認める訳にいかない!」と反対しているんだろうな、ぐらいにしか思っていませんでした。


※「建国記念の日」・・・明治の初めに「日本国の建国」の日として「紀元節」と定められたが、戦後占領軍(GHQ)の意向で廃止されたものの、復活を願う声を受け1966年(昭和41年)に国民の祝日となり翌年の2月11日から適用された。(参考:「ウィキペディア」)

※「紀元節」・・・四大節のひとつ。1872年(明治5)、神武天皇即位の日を設定して祝日としたもので、2月11日。第二次大戦後廃止されたが、1966年、「建国記念の日」という名で復活し、翌年より実施。(参考:「広辞苑」)


※ちなみに「ウィキ」で「建国記念日」で調べてみたら、日本以外で法律で定められた「建国記念日」(祝日)がない国としてイギリスが挙げられていました。
ただ、「伝統的に、イングランドの守護聖人・聖ジョージを記念した「ゲオルギオスの日(St. George's Day、4月23日)」が宗教的なナショナルデーである。」とも書かれています。


※更に余談です。「4月23日」は日本でも「サン・ジョルディの日」として知られていますが、こちらも同じ守護聖人の日で、スペイン・カタルーニャ地方での風習から来ていて親しい人に本を送る記念日「本の日」とも呼ばれていますね。(スペイン語では「聖ホルヘ(San Jorge)」だそうです)


ちょっと横道にそれてしまいました。
話を元に戻します。

「国旗掲揚」や「国歌斉唱」など拒否する方もいるとニュース等で聞いたりしたものですが、最近はあまり聞かなくなりました。
「天皇制」に反対!とか、いろんな理由があるのだとは思います。

とは思いますが、
「建国記念の日」については、それとはまたちょっと違うものかとも思います。
私個人としては、やはりこういう「国を思う日」は必要だと思うのです。

日の丸を掲げて国の安寧・平安を願う・・・。いいと思うのですが。
何と言っても「日章旗」は島津斉彬公が幕府に献上した洋式軍艦「昇平丸」に掲げたものだというから、尚更です。
(「日の丸・日章旗」については、またまた「ウィキペディア」で調べてみるといろいろ興味深いものがありましたが、ここでは割愛します)


第一、子供たちにどう伝えてるのでしょう?「建国記念の日」について。


「建国記念日」と「建国記念日」、
「の」の字ひとつで意味が違ってくるんだな、と、私にとってとても勉強になった日なのでした。



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かごしま暦

2017-02-02 09:26:32 | 日記
ここ数年は毎年、照國神社で頂いているかごしま暦。
鹿児島の昔ながらの行事なども載っていて、ためになります。

2月になったので改めて見てみると、7日は「北方領土の日」とありました。

わたくし元来、まめに日記など書かない上に、恥ずかしながら新聞も毎日しっかり読む習慣が無いものですから、こういう日があるとは知りませんでした。

もちろん、北方領土に関しては人並みかそれ以上に関心を持っているつもりですが。

満州で生まれ育った母から終戦間際の頃の話を聞いていましたから。

ロシア軍が攻めてきて、弾が掠めるように飛んでくる中を弟妹の手を引き荷物を背負って命からがら逃げたことなど。

ですから無関心ではいられません。

しかし現状は、一時進みそうに見えたかと思ってもなかなか進展しませんね。


さてさてかごしま暦ですが、1月27日を見てみると「国旗制定記念日」、2月11日は「建国記念日」。
この時期は国・国家とは、と考えさせられる期間のようですね。

まずは、3日の節分、4日の立春で気持ちの上でも区切りをつけて、春を迎えたいところです。

恵方巻きは、食べません。(#^.^#)
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左源太の書

2017-02-02 01:42:37 | 名越左源太と家族
前々から気になっていた左源太による書を見に、先日県立図書館へ行ってきました。

貴重資料になっているため、事前申請が必要で少々身が引き締まる思いがしましたが、無事に父と共に直に目にすることができました。

名越左源太 書」で検索したところ、図書館の資料として紹介されています。

名は「棲鸞(せいらん)」。

いつ頃書かれたものかはわかりませんが、墨も褪せることなく状態も良く
170年前後も経っているという感じはしませんでした。


上記リンクのページには、書の読みは書かれているのですが、内容については解説がなく、
何とな〜くわかった様な気もするものの正直イマイチ理解出来ていません。。

なので、一応、目にすることは出来たということで納得して
係りの方に礼を述べ、書がクルクルクル、と巻き取られたところで、
寄贈された方のお名前が目に入りました。

左源太の長女、イサさんの御子孫からの物だということがわかったことが
今回の収獲でもあったといえます。

父の話では、台湾で親から「左源太爺さんの書いた(描いた)ものだ」と見せてもらった書き物や絵などがあったそうです。(以前にも書きましたが、父と兄弟は皆、台湾生まれの台湾育ち、いわゆる"湾生"です)

後々「南島雑話」に載っている絵と似ていたと気付くのですが、終戦になりすべて諸々一緒に
現地台湾の隣人に預けて日本内地に家族で引き揚げて来たので、ウチには数枚の写真以外は何もないのがつくづく残念です。


台湾大学の田代文庫で左源太の書いた下書きが発見された記事の紹介をしましたが、
       ↓ ↓ ↓
 『田代安定文庫@國立臺湾大學図書館』
その辺りもまだまだ気になるところです。

気になりだすとあれもこれも気になる今日この頃。

今夜はこの辺で。
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