今日、前々から行こうと思っていた霧島神宮へようやく行ってきました。
明日からは寒くなるということだし、明後日の2日から23日までは国宝指定が決まった社殿などの特別拝観も始まるので混むだろうから、どうしてもその前に行かなくては!と思い立って行ったわけです。
紅葉もまだまだみられましたが、落ち葉もだいぶ積もっていました。
帰りにはだいぶ雨に降られましたが、平地に降りるまではどうにか保ってくれたので助かりました。
帰路はさらに西側山手の道を辿り、紅葉を楽しむことができました。
途中の温泉郷や川の流れなども目にして楽しめました。今度は温泉にも行きたいな♪
ところで、霧島神宮へ行った目的は、今回の国宝認定とは関係なく、島津登久包の嫡子であった島津久籌(高祖母・タネの実弟)が、明治7年に霧島神宮の宮司であったことを確かめることが目的でした。それは数年前からの想いでもありました。
去年だったか、『霧島神宮誌』に歴史や歴代宮司について載っていると、FBFに教えてもらったことで、ますます一度行って確かめてみたいと思っていたのです。
それが今日叶ったわけですが、社務所で問い合わせると、社務所の前にある参拝者休憩所兼売店に『霧島神宮誌』があると聞き、見本を手にとって歴代宮司の名前を確認すると、初代は田尻務(つかさ)で、明治7年6月だったか、西南戦争で神宮の財を提供したことにより処罰を受け職も解かれていて(これについては既知)、そのあとの2代目宮司は福崎氏(名前を失念)で明治7年12月からとなっていたのです。
ちなみに福崎氏は川上式部の次男で、『島津家家臣団系図集』によると、
「川上久美の次男・親之(藤次郎) 福崎助八季修養子 改 藤次郎季連」
とありました。川上式部久美の嫡男・久達はこれまで書いてきた通り、左源太の長女・イサさんの夫なので、義理の弟が2代目の宮司だったことは、これはこれで驚きでした!
再度社務所へ行き、問い合わせてみる事に。
霧島神宮の宮司(権禰宜?)の方がおっしゃるには、
「どういうわけか、ネットなどで書かれているようですが、記録にはありません。」
との事だったので、やはり少し落胆してしまいました。
「ネットで書かれている」というのは、元の情報源は何だろうか?
ネット情報は根拠が曖昧、という印象ですが、
このブログも入っているのか??
帰宅後確認すると、これまでの記事に「明治7年に霧島神宮の宮司を務めた」と自分で書いていて、
『「5月26日 神戸最後の夜に・・・」 2020-05-26 』
何を根拠に書いたか確かめたところ、内村八紘氏の
『名越左源太と長男・時成(変名・三笠政之介)(第一回薩摩英国留学生の消息)』
に書いてあったのでした。
名越左源太の子孫の一人である内村氏がネットからの情報を載せることはないだろうし、、、。
何からの引用なのか、機会があればまた確かめたいと思います。
尚、最後になりましたが、
霧島神宮の宮司さんには、お忙しい中対応していただき、感謝しております。
ありがとうございました。