寛政年間(1789~1801年)の方のもので「寛政四年壬子」「法◯院殿仙譽◯快(?)庵主」とあります。
寛政年間(1789~1801年)の方のもので「寛政四年壬子」「法◯院殿仙譽◯快(?)庵主」とあります。
お天気が回復して気温も上がり、今日こそ行ってみようと興国寺墓地再訪を決行!
今回は一人で思う存分廻って来ました♪
ですが、2年近く前にブログに情報を頂いていた「町田家」(もしかしたら左源太の実母?)の墓石は見つけられず残念でした。。
☆2020年4月29日にshinshinさんから頂いたコメントは→コチラです
左:「茶碗屋馬場(ちゃわんやんばあ)」の石碑
右:奥に登ると多分、長田神社がある
車を近くの駐車場にとめて、墓地まで歩き、13時到着。
階段を登り切った右手から手始めに、それこそ虱潰しにチェックしました。
・まず右手奥には「汾陽(かわみなみ)家」の一群(↓画像奥)
・「三原家」の墓も入り口近くと中腹にも見つけましたが、「経」の文字が入ったお名前も気になりつつ曾祖母の家との関わりまでは分からず
☆関連記事 → 『三原氏について知りたい 』 2020-10-12 | 三原藤五郎と倉山藤五郎
・それから右手端をず〜っと見て回り、思いがけないところで「九良賀野家」の墓を見つけ、曽祖父の従兄弟にあたる「辰彦」さんの名前も確認できました!今日一番の収穫、かも♪
☆関連記事 ↓
『向島、増上寺、辰様と銀座の千歳へ(明治の旅日記)』 2021-05-15 | 「都見物日記」と令和3年日記
『島津久敬と永吉島津家』 2020-11-06 | 永吉島津家
『水上の野元彦十郎様も』 2020-06-23 | 永吉島津家
「九良賀野家之墓」は中程にある「田代家」の墓近くに以前見つけていたのですが、
『【第1話】永吉の九良賀野 辰彦様と水上の野元彦十郎様 』 2019-07-22 | 都見物日記プロローグ
その当時は我が家との関係性も知らない頃でしたので、今回はしっかり碑銘なども確認できて良かったです。
☆近くには「水神」「地神」の石碑
・また、以前近くに見つけていた「高崎家」の墓に今回はしっかり手を合わせて拝んできました。
・高崎五郎右衛門様(島津家後継問題の朋党事件の処罰で切腹なされた方)の墓はガイド本「かんまち本 2」で確認できました♪
高崎正風の墓碑↓
その後も「町田」の文字を見逃さないようチェックしつつ、だいぶ歩き回った感じだったのですが、今日こそは一番上まで回ってみようと、右手から回り込んで「平田家」の所まで行きました。(↓一段上の墓石群も「平田家」)
そこから墓地の左手を下って行き「侏儒どんの墓」も今回は見ることが出来ましたが、
終わってみれば、前に来た時にも気にはなっていた「島津(嶋津)家」の墓石群を見る時間がありませんでした💦 こちらは次回じっくり見てみたいと思います。
(ここの「島津家」の家紋は丸十の丸の外側のラインが花弁のように装飾されていました)
この時点で午後2時を回っていました。
最後の最後にもう一度「町田」の墓石を探したのですが見つからず、結局ほぼ全て(中程の墓は家の名前を確認する程度で)廻り終わったのは午後3時間過ぎ。
車に戻って携帯の歩数計を見ると、「5823歩」😲‼️
2時間余りの間にこんなに歩いたのは初めてに近いかも〜🙀
※ 2018年に再訪して『興国寺墓地を再訪(2018. 5.18)』(2020-06-21 | 興国寺墓地)を書いていたのをうっかり忘れて同じタイトルをつけていたので、少しだけ変更しました
いつもお読みいただきありがとうございます
2年前の5月、興国寺墓地を再訪したのですが、
FBだけに画像をアップしていたのでブログにも記しておきます
以下、自身のFBより転載
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