今日は11月初めに亡くなった従姉のKちゃんの
四十九日法要の日。
うちは神道だから、仏事に関してはトンと無頓着なんだけど、
神道で言うところの五十日祭にあたるのだろう、ぐらいに思ってはいた。
物事はちゃんと確認を取っておいた方がいいと、電子辞書で調べると、
1. 人の死後49日間のこと。前生までの報いが定まって次の生にうまれかわるまでの期間。俗に、この間死者の魂が迷っているとされる。中有(ちゅうう)。中陰。
2. 人の死後49日目に当たる日、すなわち中陰の満ちる日。死者追善の最大の法要を営む。七七日(しちしちにち・なななぬか)。満中陰(まんちゅういん)。
と、あった。
はぁ~、"最大の法要"なのかー ・・・
それで、親族一同が集るワケだ。。
母の五十日祭の時に伺った神主さんのお話でも
50日経って初めて神となるということだった。
これもWikiで調べてみた。
記載記事によると、
ーーー 神道においては、「人はみな神の子であり、神のはからいによって母の胎内に宿り、この世に生まれ、この世での役割を終えると神々の住まう世界へ帰り、子孫たちを見守る」ものと考える。よって、神葬祭は故人に家の守護神となっていただくための儀式 ーーー
とされている。
そもそも、神道とは古来の八百万とか古事記とかからの伝承だと認識しているのだけど、仏教やキリスト教などの所謂宗教とは別の物なんだと思う。
なるほど「祭」とある通り、政(まつりごと)とも切っても切れないのだろうな。
祭事によって国を治めていた頃からの習わしだものね。
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家族・親族って未だもってよくわからないな。。
うちは物心ついた頃から、父方よりは母の姉妹との関わりが強い。
もっとも、父の長兄・長姉家族は終戦後台湾からの引き上げ直後に、早くから関東に暮らしていたこともあるが、同じ地元に暮らす父のすぐ上の姉・兄家族とは小さい頃は割に行き来してはいた。
しかし、父方の祖父母は終戦引き上げののちに間もなく相次いでなくなっているから、親族が一堂に会するという経験がない。なんとも寂しいものではあるが、離れて暮らしていれば仕方のないことだ。
だから、日頃の付き合いの頻度に関して言えば、比較的身近に暮らす母方の姉妹同士の方が、その割合が高いということかもしれない。
母方の祖母は終戦直後満州から引き上げる時にチフスにかかっていたのだけど、一緒にいた避難民全員が、集団接種を受けなければ本国に帰れないというので、弱った身体に接種を受け、そのために亡くなったと母から聞かされていた。
母は昭和5年生まれ。終戦の日は満15歳の誕生日の2日前だった。
余談だが、先日テレビで澤地久枝さんのお話を聞く機会があり、
その中で「私たち難民は‥」という言葉を聞いた時に初めて、
祖母や母たちは「戦争難民」だったのだということを認識した。
引き揚げ船が出るという葫廬島までの避難の様子が母の語っていたものと重なって胸が詰まった。
その澤地さんとは同じ歳、
同じ小学校の出身の母であった。
母には姉が一人、妹が二人、その妹たちの間に弟が一人いる。
まだ小さい弟や妹の手を引いて、すぐ傍を掠める流れ弾を避け
必死に走って逃げたのだと話していた。
澤地さんの話にもあったように、長い距離を列車に乗り、列車が動いていないところは
線路伝いにひたすら歩いたという。
父親(私の祖父)は警察官で戦後の任務にあたっていたため、兄弟姉妹だけでの本土引き上げとなった。
そして、幸いにも皆で父親(祖父)の故郷へたどり着いたのだが、
やはり生活は大変だったらしい。
そんな中、頭脳明晰だったという姉が一時期精神的に支障を来し、
そのため母は気が休まることがなかったようだ。
貴重なお米も、気がつけば姉が全部持ち出して
なんの関わりもない人夫さんたちの炊き出しに使われたりもしたという。
さんざん苦労をかけられたと聞かされて来たのだ。
ただ、当の本人は記憶も自覚もないのかもしれない。
少なからず手を煩わされた方と、当の本人の認識とはとかく違うものだと思うし、
今となっては遠い昔の話だ。
でも、それだけにいわく言いがたい思いを抱え続けている。
それらの話は私の中でもずっと蟠っていて未だに消えずに心の奥底に残っている。
実はその後も、夜中に気づくとその伯母がうちに来て言い合いをしているのを聞いたりしているし、
祖父が亡くなったときも勝手にお骨を持ち出すなど、
何とも他人には言いがたい因縁があるのだけど、今更その頃の思いを伝える意味もないし、
そのつもりもない。
そんなこともあって、なるべくならこれまで通りあまり関わらずに
父と二人で静かに暮らしたいと思うのは身勝手だろうか。
誠に親戚付き合いとはよくわからないものだと思えて仕方がない。
肝心の四十九日法要、欠席した。
私自身は7日にあった納骨で、Kちゃんとはお別れしたつもりだったから。
ところで来年は母の十年祭なのだけど、
静かに極内輪だけで迎えたいとも思ったり。