☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

川上忠塞

2020-12-27 15:04:20 | 日記

川上忠塞の「忠塞」って、「ただせき」って読むんですね

土曜日の夜、『現代語訳 上井覚兼日記』を読んでいたら載っていました♪

 著者の新名一仁さん、ありがとうございます

 

今まで「川上 忠‥‥ん、ん〜」と、声に出して名前を読めなかったのですが、

今回、読み仮名が振ってあって助かりました

※ 画像は『島津家家臣団系図集』から、私がメモに書き写したものです。

 尚、画面右下の「久逹(ひさゆき)」は「川上イサ」さんの夫です→『川上式部邸跡と「授産社跡」

 

ツイッターでこの件のお礼を伝えたら、「(ただせきは)便宜上の読みです」とのお答えでしたので、補足しておきます。

(この件、コメント欄に記していましたが、改めて2023.10.24 追記しました

 

コメント (1)
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『現代語訳 上井覚兼日記』に「大興寺」の名を見つけた!

2020-12-27 14:53:25 | 日記

寺山用之(寺山源右衛門家)の妻で、子供3人を残して早くに亡くなった曽祖母・スキ。

 関連日記 → 『祖母の実母の旧姓は‥‥「町田」?(スキさんの命日に)』(2019.9.25)

今年4月にシンイチさんから頂いたコメントで、スキの父「町田藤蔵」の家が稲荷町に確認できると教えて頂きながら、コロナ禍で思うように動けずまだ確認には至っておりません。

 以前コメントを頂いた記事 → 『父方祖母の育ての親・平山チカの命日でした』(2020.4.12)

 

その確認は来年早々に予定しておりますが、実は昨年暮れに急逝した叔父(亡母の弟)の遺品整理などもまだまだ時間が掛かりそうなので、段取りをつけつつ合間にやりたい事をやって息抜きにしようと思っています。

南洲寺の墓石なども見たいと思いつつ、今年中には叶いませんでした〜(>_<)

 

そんな中、先日書いた曽祖母・寺山スキ(すぎ?)の父、「町田藤蔵」のことが気になり、シンイチさんに頂いたコメントを読み直して古地図(『鹿児島城下絵図散歩』)と現在の市内地図で確認して、「大興寺」や「善聚院」の辺りをひと通り見入っていたのでした。

 

 こちら↓、「清水小学校」を起点に首を右に90度曲げてみて下さい

 

それから少し後、先日書店で取り寄せ購入して「じっくり読まなくては!」としばらく本棚で温めていた(?)新名一仁さんの『現代語訳 上井覚兼日記』にざっと目を通したところ、とある日の日記に「大興寺」の記述を目にしたのです!(p.101)

 

☆こちら↑、安政年間の地図。画面の右から下部にかけて「善聚院」「善聚院 門前」があります。現在の稲荷町11番。

画面左の「本立寺」の周囲に「大興寺 門前」が並んでいます。こちらが稲荷町12番ということのようです。

☆↓こちらは少し遡って天保年間の地図。画像中央の「三原藤八」「川上〇〇」なども気になるところ。

 

 

 

 

 

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明治32年〜40年が気になって

2020-12-23 00:35:06 | 日記

最近のメモや調べ物から、「明治30年〜40年」辺りがキーワードになってるのだけど、時々こんがらがってしまう。。。

 どうも気になるので整理するためにもちょっと並べてみた

 

明治32年‥‥9月25日が、祖母・ふくの実母「寺山スキ」の命日(台湾にて没。享年33、満で31歳)

明治35年‥‥4月18日が、曽祖父の養母「栗川スガ」の命日(鹿児島郡吉田村本名小学校住宅にて没、享年65)

明治40年‥‥12月1日が、高祖母・タネ(名越時敏改め、泰藏の妻)の命日(享年83)

 

 なるほど、これで眠れます。

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曽祖父の養父母の墓は‥‥どこ?

2020-12-22 13:05:22 | 薩州島津家と我が家の先祖

これは、FBにも上げた話ですが…、

19日土曜日、20日の日曜日と、「島津家家臣団系図集」から関連する系図を書き写しているうちにふと、ある思いが湧いてきたのです。(以下、FB記事より)

  ☆☆☆

 

やるべき事、一番大事なことに気付いた!
曽祖父が継いだ今の家の御先祖の墓を探し、お参りしなくてはならないのではないか、という事、養父母が何処に供養されているのか知らない事に!

これまで名越家や町田家、島津家の系図などをメモに書き留めてきたけど、確かに曽祖父は名越時敏の二男だし、町田氏からの養子の子孫だけど、養母・スガさんのお墓もさらにその前の代々の墓も、一体どこにあるのかわからないままだって事に、今更ながら気付いたんです!

 

曽祖父が台湾に渡ったのはおそらく明治28年頃。
養母・スガさんは明治35年4月18日に当時鹿児島郡吉田村の「本名尋常小学校住宅」で亡くなったと曽祖父の戸籍に書かれているのだけど、届け人の記載が無い。

 

スガさんは島津對馬の、今和泉島津家・島津對馬忠喬の長女。
曽祖父は、前戸主 亡き養父 用行から明治15年3月18日に相続している。

 

(嫡家・久澄さんの跡継ぎについては当方、未確認です)

 

養父母の墓石、あるとしたら「興国寺墓地」か「南洲寺」あたりだろうか‥‥?

今後の課題です。

 

☆ 関連記事『島津對馬の長女・スガ』(2018.1.11)

  〃 『曽祖父の養母・スガの命日でした』(2020.4.18)

  〃 『興国寺墓地を再訪(2018. 5.18)』(2020.6.21 投稿)

  〃 『花尾神社関係資料に三原藤五郎藤原義礼と曽祖父の養父の名前を見つけた!』(2020.9.25 投稿)

「島津對馬忠喬」の名が刻まれた福昌寺の石塔画像 

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寺山スキさんの誕生日でした♪

2020-12-18 23:10:51 | 日記

 いつもお読みいただき、ありがとうございます

 

さて、12月18日は父方の祖母・ふくの実母、「寺山スキ(読みは「すぎ」かな?)」の誕生日でした

この人がいて、祖母がいる。祖母が生まれたから私の父も存在するわけで、ありがたいことです

 

☆ 今月初め書いた記事、『高祖母・タネと、祖母・フクの実母の没年を比べてみれば‥‥』では「寺山スキ」の没年について書きましたが、誕生日については書いていませんでしたので、ここに記しておきます。

 

 関連記事:『祖母の実母の旧姓は‥‥「町田」?(スキさんの命日に)』(2019.9.25)

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新納殿小路(にろどんしゅっ)

2020-12-12 12:03:53 | 歴史探索

 いつもお読みくださって、ありがとうございます

またまたFBで先日上げたものですが、記録としてFBのコメント欄と共に再編集して書いてみました。

 

先月(11月14日)偶然見つけた通り名の石碑
「新納殿小路」と書いて「にろどんしゅっ」です
「小路(しゅっ)」の小さな「つ」が見えにくいですが、「しゅっ」です。これ大事
 
最初に「…小路(しゅっ)」に出会ったのは夕刊記事の「ねこんくそしゅっ」でした😆🙀
(2008年4月18日の南日本新聞の夕刊でした)
この方の記事に、その夕刊記事が載っていました♪
 
 
 
平田公園の角にあります(2枚目)
 
 
角から左を見ると、「調所笑左衛門広郷屋敷跡」(3枚目)
画像の奥、向こう側が3号線、新上橋、新照院方面です。
右手の白い服を着てる人の辺りに、調所様の屋敷跡の石碑が建っています💁🏻‍♀️
 
 
こちらは照国神社方面を撮りました。
 
 
 
☆唐鎌祐祥先生のブログを参照下さい。
 
「新納殿」とあるように、新納氏の屋敷があった場所ですが、明治時代以降の、また戦後の区画整理等もあり、元々の通りや町並みは変わってしまったようです。
 
☆また、上記リンクのブログで「永吉島津家」や「町田家」についても触れられている記事を見つけたので、参考までにご紹介します。
↓↓↓
 
 
 ではまた〜。
 
 
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父の想い出、祖父の思い

2020-12-06 16:01:39 | ある日の父の問わず語り

父がふとした時に語る話を「ある日の父の問わず語り」カテゴリーに記していますが、別ブログに書いてここに残していない話がありました。

 

3年前、テレビで西郷隆盛が連れていた犬のツンについて伝えている時の話です。

元記事はこちら

『犬にツンが切っ掛けで祖父との思い出話へ』 (2017年12月27日)

 

 NHK鹿児島放送局『ひるまえクルーズかごしま』

「我が家のツン」

http://www4.nhk.or.jp/P2896/

昨日テレビでこんなのやってまして、父が

「ツン、て、なんだったっけ?」というので

「西郷さんの愛犬でしょ」と言うと「あぁ、そうか」と父。

 

そして「おじいさんが犬が好きでねえ、いつも犬を連れて歩いてたんだよ」と語り出しました。

複数飼っていたわけではなく、それでも常に家には犬がいたそうで父の犬好きはこの頃の影響もあるのかもしれません。

 

散歩の途中、飼い主さんに連れられた大きな犬が向こうからやって来た時に、犬好きの祖父が撫でようと手を伸ばすと突然、その犬が大きな声で吠えたことがあったそうです。

祖父は平気だったようですが、傍にいた幼かった父の方が犬の大きな声にビックリしたことも思い出して語ってくれました。

 

 父が小さい頃の記憶で、もうひとつ。

父は上に4人の兄姉がいる末っ子です(実は弟が二人いたのですが、二人とも幼くして亡くなっています)。

 

「おじいさんがねぇ、お父さんが子供の頃、背中におんぶしてず〜っと話をして歩いたことがあったよ」と、懐かしそうに、私に話して聞かせてくれました。

 

「何の話をしたのかは覚えてないけど、二人だけでどこかへ行った帰り道だったのかも知れない。おんぶされるということは、まだ小学校に上がる前だったんだろうなぁ、」と振り返り、

「そんなことは初めてだったからねぇ‥‥。」と父は話し始めました。

 

それを聞きながら、写真でしか見たことのない祖父が、幼かった父を負ぶって歩くその情景を思い浮かべていた私は、あったかい空気を感じるのと同時に、少しだけ父のことをいじらしく感じて、何となく父の方に顔を向けることが出来ませんでした。

話している父の顔はどんなだろう…と一瞬思いましたが、残念ながら表情までは分かりませんでした。

 

懐かしくて、少し切ない顔だったのではないかと思います。

「なのにねぇ‥‥」と父が続けます。

 

「おじいさんに黙って海軍航空隊に志願して、合格の通知が来た時に初めて告げると、『そうか‥‥、上の学校の制服も準備してたんだけどなぁ‥‥。』とポツンとつぶやいて、見せるともなく新しい制服を広げる姿を見たときは、本当に申し訳ないことをしたと思ったなぁ。。」と。

 

「一人くらいは大学まで行かせたかったんだろうなぁ…」と、祖父のその時の心情に心を寄せる父。

 

この話はこれまでもことあるごとに聞いているのですが、余程心残りであったのだと思います。親不孝をしてしまったと、この話をするたびに、そう言っていました。

 

 昭和19年3月下旬に家族が住む台南から高雄港へ向かい、そこから船で日本本土は四国松山へ。

その途中で船から見たトビウオの群れの話、アメリカ艦(潜水艦だったかな?)からの攻撃を避け釜山近くの島影へ一晩避難したこと、瀬戸内海に抜ける途中クジラも見たこと、幾度となく聞いてきました。

 

しかし、おんぶの話は今回が初めてでした。

父の問わず語りの日でした。

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投稿のタイミングって、難しい〜

2020-12-05 23:04:39 | 日記

最近の当ブログ記事、投稿の日付が前後してアップしています。

内容によって、また推敲しているうちに実際の投稿日との差が広がってしまい、、、。

 

最近では11月6日の『薩州家のこと、島津仲家のこと』も、実際はつい最近ようやくアップしたものです

11月の投稿8件は大体そんな感じで編集&投稿が前後していました

この前の記事、12月3日の『小松帯刀清廉の誕生日に』も、実を言うと、先ほどやっとアップ出来ました〜

 

なので、時々遡って読んで頂けると嬉しいです

 

では、おやすみなさい

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小松帯刀清廉の誕生日に

2020-12-03 22:35:40 | 曾祖父・轟のこと
いつもお読み頂きありがとうございます
 
画像を入れたブログ記事をアップしたいと思いつつ、
FBで先にアップすることが多いのですが、今日の記事もその一つ。
以下、FBで上げた記事です。
 
 
「小松(帯刀)清廉の誕生日、ということで、ちょっと確認。
(天保6年10月14日→西暦で1835年12月3日ということらしい)
 
☆名越時敏日史より
二男・郷十郎が私の曽祖父・轟の幼名。
文久2年(1862年)正月の時点で、町田家に。
郷十郎は十三歳。嘉永3年(1850年)1月26日生まれで満12歳間近の頃。」
 
   
 
 ↓ここからは当ブログでの追記です。
 
町田申四郎が小松家の養子になったのは元治元年、1864年頃?
だとしたら、曽祖父が町田家に居たのはそれよりも前のことだから、直接的な関連はないのか。
町田家、といっても、どこの町田家?まだよく読んでいないので、これからの課題。
 
 
以下の画像は、『幻の宰相 小松帯刀伝』より
 
 
 
 
久しぶりに『鹿児島県史料 名越時敏史料』をめくってみた。
 
『〜 史料 二』の「元治二年正月〜七月」の辺りを見てみたら、三男・吉次郎と四男・徳熊の名前が記されていることに初めて気づいた!
 
これを機に、年代ごとにチェックしながらしっかり目を通してみようと心に決めました。
 
その上で、私なりの方法でブログに上げていけたらいいな
 
 
 
 
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高祖母・タネと、祖母・フクの実母の没年を比べてみれば‥‥

2020-12-01 00:11:38 | 日記

3年前の12月1日に『高祖母・タネの命日でした』を書きましたが、

改めて見返し、明治40年まで生きていた(享年83)ことは感慨深いなぁと思いました。

と同時に、祖母・フクの実母、「寺山スキ」さんの没年を確かめてみたら、

明治32年9月25日(享年32)なんですよね!

(以前の記事→『祖母の実母の旧姓は‥‥「町田」?(スキさんの命日に)』)

左源太の妻・タネの方が、私の祖母の母親よりも長生きだった!ということに今更ながら気づき、驚いた次第です。

 

では、今夜はこの辺で

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