☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

南西諸島史料集 第二巻

2008-11-09 17:53:51 | 名越左源太と家族
今日もきのうに引き続き雨。

実は、7日金曜日、いとこのKちゃんが亡くなったその日に、
心待ちにしていた書物「南西諸島史料集 第二巻」が届きました。

なにかこう、悲喜こもごも(と言っていいのかどうか‥‥)な一日だったわけですが‥‥。

手許に届いたその本を早速パラパラとめくって拾い読み。
‥‥が、そこで、とんでもない思い違いに気付きました!

「夢留」‥‥原文を活字にしてあるだけだったんですね‥‥。
てっきり現代文(口語文とまではいかなくても)が併記されているものと、、
ワタクシ思い込んでいたようです。。

図書館で見た原文(?)コピーはコピーされた文字も薄く、
それだけでも読みにくかったのですが、毛筆で、しかも、今では使われることのない
いわゆる「候(そうろう)文」なので、その場ですぐに読むのを諦めてしまったのでした。。

今回届いたこの本、ありがたいことに活字になった「夢留」ですが、
なんとか読んではみるものの、すぐに挫折‥‥。
82歳になる父でさえ、なかなか判読・解釈が難しい状態です。

これは、余程腰を据えてかからねばなりません。

しかし、まずは松下志朗先生の解題から読み進めてみることにして、
「高崎くづれ大島遠島録」などは県の図書館で、
そのほか「夢留」以外はこれまでに
そのほとんどを「日本庶民生活史料集成」の第一巻第二十巻などで
おそらく一通り目を通してきたものなので、
「夢留」に絞って少しずつ読んでみようと思います。

それにしても、今まで読んだ史料が1冊に纏められたので、
とても助かります。これもありがたいことですね。
松下志朗先生はじめ、諸先生方、そして出版社の南方新社さんに感謝!
それから、いろいろと参考にさせて頂いているブログのbizaさんにも!
(この本が出版されることもbizaさんのブログで知りました)

そういえば、話し変わって、以前図書館で借りて読んだ時に、
昭和24年9月に出版された「高崎くづれ大島遠島録」のまえがきで
永井亀彦先生が鹿児島市内の原良(はらら)にお住まいだったことを知ったのですが、
その後、昭和30年代に私の両親がこの原良で生活を始めるわけです。
当然、ワタシが生まれ育ったのも原良の地。
これも何かの縁でしょうか(笑)

とはいえ、原良と言っても結構広い。
はたして、永井先生のお住まいはどの辺りだったのだろう‥‥?
と、興味深く思うのでした。

おはら節にも「♪伊敷・原良の~おはらはぁけしょ(化粧)の水~♪」と出てくるのですが、
はたまた、この「けしょ(化粧)の水」とは?

ご存知の方がいらっしゃいましたら、どうぞお教え下さいまし。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*ちょっと自分で調べてみたところ、歌詞が載っているサイトを見つけました。
鹿児島おはら節の歌詞
↓こちらにはおはら節にまつわること・伊敷原良についても書かれています。
鹿児島おはら節(♪メロディー付き)

歌詞は初めの部分以外はよく知らなかったけど、なんとも艶っぽい‥‥と、思ったら、
なるほど、花柳界の歌だったんですね~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立冬 従姉の訃報

2008-11-08 13:05:08 | 日記

 昨日7日、立冬の朝7時前、埼玉に住む弟からの電話で
従姉(いとこ)が息を引き取ったことを知った。
彼女の22歳になる長男から連絡があったそうだ。

 覚悟はしていたけど、それが今日だなんて‥‥。
この週末にでもあの子のお見舞いに行けやしないかと
あれこれ考えていたのに‥‥。

         ☆

 従姉とは同い年。私より3ヶ月早く産まれた。
今年はふたりとも年女で、8月生まれの彼女は一足先に48歳になっていた。

 彼女が県外の大学に進学してからはほとんどお互いに連絡もしないままだったけど、
母親同士が姉妹なため、節目節目では彼女の状況を聞かされていた。
 今度結婚するらしい、とか、子どもが産まれたらしい、とか。

 離婚して、その当時彼女の兄が暮らしていた長野へ
子ども3人を連れて移って行ったそうだ、とか。

        ☆☆

 その彼女が、今年6月になって
癌であること、しかし治療して仕事にも復帰してることを
こちらに住む彼女の実家に連絡してきたそうだ。
それに関しては、私はあとになって聞かされたのだけど。

 10月中旬、彼女に連絡を取りたいことがあったので現住所を訊いた際に、
病気にかかっていて入院してるらしいことを知った。

 その時はまだ彼女の実家でも詳しい状況がわからず、今年の8月頃には本人からの電話で
10月の連休には子どもを連れてこちらへ一度帰ってくる予定にしていると聞いていて、
その日を心待ちにしていたようだ。

 先月末から見舞いにいっている彼女の兄によると、
あちらでの職場の同僚にも、鹿児島に帰りたいと何度も言っていたそうだ。。

 結局、それはとうとう叶わなかった。。

       ☆☆☆

 彼女の病状を聞かされてからは、
遠く離れていても、何かしらできることがあるんじゃないか、
そんな気持ちで過ごす毎日が続き、
その一方で、”もし、間に合わなかったら‥‥”という思いが浮かんでは、
具体的な行動に移せない自分がいた。

 そんな日々の中、郷里を離れて暮らすミクシィの友人には
「友達とのやり取りは、出来れば直に声が聞ける方がいいと思うよ」
というアドバイスをしていながら、それから数日後になってようやく、
「そうだ!
 ヴォイスレターで声を届けることができるんじゃないかしら?!」
と思い付いたのだけど、
「テープだけ送っても、カセットデッキ(プレイヤー)がないとだめだし、
 届いてすぐにでも聴いてもらえるように、プレイヤーごと送らなきゃ」
など、考えをめぐらせるだけで、実現には至らなかった。

 ただ、埼玉の義妹の機転で、写メールで送った私のポートレートを見てもらえたので
少しでも近くに感じてもらえたかもしれない、と思っている。


       ☆☆☆☆

 Kちゃんに直接話しかけたかった。
中学のときのバスケ部仲間にも声をかけてメッセージを入れてもらって
声を聴かせたかった。
 遠い郷里で不安を抱えている両親の声も聴かせてあげたかった。

 いろんな思いが頭をよぎると、次から次から涙があふれてくる。

 訃報を聞いて、「あぁ、とうとう‥‥」と思いはしたものの、
しばらくは何を思うでもなく、それでも朝9時半頃には、
いつの間にか頭の中にいろいろな想いや言葉が充満してきたので
「文章に書き留めなければ‥‥」と思ったのに、
きのう、普段行きなれない場所に行き
家に帰り着いてからというもの随分疲れを感じていた上に、
今夜くらいたまにはいいかな、と夜更かししてしまって油断した。
 風邪の引き初めのように、今日は体の節々の痛みと微熱から来るだるさで
横にならざるをえない状況になってしまった。

 自業自得である。自滅だ。

 初め腰がひどく痛むと思ったが、徐々に全身に痛みが広がっていった。

 腰痛は、物理的な負荷によるものは当然ながら、
心理的なことでも痛みを感じるシステムになっていることがわかったと、
TVで言っていたけれど、それはともかく、
今はおとなしく体を休めるほかに何も出来そうにない。

 リアルタイムな感情を形に出来ないことのもどかしさといったら‥‥!

 せめてノートに書き付けるくらいしとかなきゃ、と
冴えない頭で文章を組み立てている。


☆ 叔母さん、叔父さん、大丈夫かなぁ‥‥。
役に立たない、腑甲斐無い従妹でごめんね、Kちゃん‥‥。

                     ('08 11/7 13:09 記す)

* 感情の揺れ動きにはかなりタイムラグがあります。
実はこのあとも書き続けていたのですが、それはまた次の日記にでも綴ってみようと思います。
 今は、このことをしっかり受けとめることが出来ていますので、
ご心配には及びません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅ヶ渕不動堂

2008-11-01 13:28:35 | 日記
梅ヶ渕、というと地元の方なら「梅ヶ渕観音」をすぐに思い浮かべるのではないかと思いますが、「梅ヶ渕不動堂」というものがあるそうです。

梅ヶ渕不動堂は島津家とも縁のあるところだそうで、江戸時代には島津家の祈祷書として加持祈祷が行われていたとか。

未だ梅ヶ渕観音へも行ったことがありませんが、不動堂に興味を持ちました。
近いうちに行ってみようと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする