実は、7日金曜日、いとこのKちゃんが亡くなったその日に、
心待ちにしていた書物「南西諸島史料集 第二巻」が届きました。
なにかこう、悲喜こもごも(と言っていいのかどうか‥‥)な一日だったわけですが‥‥。
手許に届いたその本を早速パラパラとめくって拾い読み。
‥‥が、そこで、とんでもない思い違いに気付きました!
「夢留」‥‥原文を活字にしてあるだけだったんですね‥‥。
てっきり現代文(口語文とまではいかなくても)が併記されているものと、、
ワタクシ思い込んでいたようです。。
図書館で見た原文(?)コピーはコピーされた文字も薄く、
それだけでも読みにくかったのですが、毛筆で、しかも、今では使われることのない
いわゆる「候(そうろう)文」なので、その場ですぐに読むのを諦めてしまったのでした。。
今回届いたこの本、ありがたいことに活字になった「夢留」ですが、
なんとか読んではみるものの、すぐに挫折‥‥。
82歳になる父でさえ、なかなか判読・解釈が難しい状態です。
これは、余程腰を据えてかからねばなりません。
しかし、まずは松下志朗先生の解題から読み進めてみることにして、
「高崎くづれ大島遠島録」などは県の図書館で、
そのほか「夢留」以外はこれまでに
そのほとんどを「日本庶民生活史料集成」の第一巻・第二十巻などで
おそらく一通り目を通してきたものなので、
「夢留」に絞って少しずつ読んでみようと思います。
それにしても、今まで読んだ史料が1冊に纏められたので、
とても助かります。これもありがたいことですね。
松下志朗先生はじめ、諸先生方、そして出版社の南方新社さんに感謝!
それから、いろいろと参考にさせて頂いているブログのbizaさんにも!
(この本が出版されることもbizaさんのブログで知りました)
そういえば、話し変わって、以前図書館で借りて読んだ時に、
昭和24年9月に出版された「高崎くづれ大島遠島録」のまえがきで
永井亀彦先生が鹿児島市内の原良(はらら)にお住まいだったことを知ったのですが、
その後、昭和30年代に私の両親がこの原良で生活を始めるわけです。
当然、ワタシが生まれ育ったのも原良の地。
これも何かの縁でしょうか(笑)
とはいえ、原良と言っても結構広い。
はたして、永井先生のお住まいはどの辺りだったのだろう‥‥?
と、興味深く思うのでした。
おはら節にも「♪伊敷・原良の~おはらはぁけしょ(化粧)の水~♪」と出てくるのですが、
はたまた、この「けしょ(化粧)の水」とは?
ご存知の方がいらっしゃいましたら、どうぞお教え下さいまし。
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*ちょっと自分で調べてみたところ、歌詞が載っているサイトを見つけました。
鹿児島おはら節の歌詞
↓こちらにはおはら節にまつわること・伊敷原良についても書かれています。
鹿児島おはら節(♪メロディー付き)
歌詞は初めの部分以外はよく知らなかったけど、なんとも艶っぽい‥‥と、思ったら、
なるほど、花柳界の歌だったんですね~