8/14(火)にウチのご先祖と母のお墓参り
翌 15(水)には父方の親族のお墓にお参りに行きました。
お盆が近くなって来ると、またまた浮かんでくるのが
ウチの先祖、「左源太」さんなのですが、
ふと思いついてググってみました。
去年検索したときには見られなかったブログを発見。
☆(以下、残念ながらリンク先は残っていません '17. 4.11 追記)
http://sagenta.nature-f.com/
お由羅騒動で奄美に遠島になった名越左源太の日記を
現代語訳で読んでいくもの。それに付随して書かれたコメントも
なかなか面白いです。
<遠島録>
http://sagenta.nature-f.com/?cid=15799
*↓ここからスタートらしい(日付を原本に合わせている)
http://sagenta.nature-f.com/?month=200003
リンクフリーだったので紹介します。
お時間があれば読んでみて下さいね。
<はじめにお読み下さい>
http://sagenta.nature-f.com/?eid=122243
<夢留>左源太が見た夢を記録したもの。
http://sagenta.nature-f.com/?cid=31829
☆☆☆
で、ご先祖と言えば、
養子先である今の姓は、地元ではあまりいないのですが、
県内には霧島方面にこの名前の温泉があるので
以前「○○温泉」で検索したことがありました。
ただ、名前のみで検索したことはなかったので、
先日ググってみたところ、いましたいました!
だいたい出て来るのが、その温泉と、東北にある稲荷神社のHP、
それに熊本山鹿の「渋うちわ」屋さんのHP、などなど。
あと、漫画家さんと、20歳の俳優さんのブログもありました。
中には親族もいたり、なんてこともあるかなー、
と思って検索したんですが、違うような気がします。
もともとはどういう家だったんだろう?と興味が尽きません。
これも、こういうことに研究熱心だった母の影響、
かも知れませんね。
庭の金柑の花の蜜を吸いながら、何度も木の回りを
ぐるぐる回っていました。
http://www.mitomori.co.jp/tyou/tyou1_karasu.html#
* 写真3:夢二展のチケット
http://373news.com/_jigyou/event.php#yumeji ←※こちらはリンク切れ
☆7月後半、猛暑日続き(結局10日連続!)の最中も
ちょこちょこ出掛けておりました。
7/25(水)ふと思い立って、父とドルフィンポートで食事
桜島を眺めながらの貝汁定食がうまかった!
(家でお昼を作りたくなかったから、ってのもあるけど
いい気分転換になった)
7/27(金)竹久夢二展を観に黎明館へ
夢二もいいけど、中原淳一が色紙に描いたラフな感じの
イラストが見られたのが良かった。
意外に目を惹いたのは、高畠華宵の掛け軸
「祇園夜桜」と「白拍子」だった。(←写真なし)
*どうせなら食事も外でとろうと出掛けたら、
黎明館のレストランで食事が出来るのは2時半までで、
着いたとき(2時35分!)にはドリンクメニューだけに…
空腹のまま展示を見て回り、帰りに近くの麺どころで
食事をとって帰った。
7/28(土)父を皮膚科に連れて行く
(これまでも出たりおさまったりの症状で冬場にヒドくなると思っていたのですが、手のひらに水疱が出来てやがて皮がむけてぼろぼろになるのです)
洗剤負けか園芸用の肥料が影響してるのかと思っていたら、
水分・油分の不足らしい。保湿剤クリームをもらって帰る
7月はこんな感じ。
次へ続く。
*南天と金柑の花(昨日の雨は酷かった!)
先週金曜日、6月29日に
山形屋で催されていた(~7/2まで)
「篤姫ゆかりの地 写真展」を見に行きました。
展示室の7階社交室には例によって篤姫ゆかりの地である
今和泉島津家の屋敷跡近辺や墓地、上町や大竜町などの
屋敷跡の写真展示と、TVでの篤姫特集番組の
VTR放映がありました。
規模としては少し寂しいものでしたが、
尚古集成館の学芸員の女性によって書かれた本
「天璋院篤姫」が出ていたので購入。
http://www.takisyobou.co.jp/
宮尾登美子さんの同名の著書は小説で、
人物に焦点を当てられ書かれているし、
かなりの資料調査や聴き取りなどもされてはいるものの、
やはり史実とは違いがあるので、
読んでみることにしました。
隣の会場でやっていた古書販売場で会計を済ませて、
ついでにいろいろ見て回ったら、向田邦子さんの弟
向田保雄さんが書かれた「姉貴の尻尾 ー 向田邦子の思い出」を
みつけました。
http://www.amazon.co.jp/dp/4061853546/ref=sr_1_1/503-5793616-0997529?ie=UTF8&s=books&qid=1183544517&sr=1-1
実はこの数日前に向田邦子関連のコミュで
たまたま弟・保雄さんのことに触れたコメントを
目にしたところだったのですが、
古書展に行ったのもほんの思いつきだし、
同行の父がめぼしい本をみつけて立ち読みしていて、
ならば、と時間潰しにぐる~~っと見て回っていただけでした。
そんな中でのこの本との出会いに、ちょっと感激。
向田邦子さんが亡くなって間もなくの著書なので、
まだ哀しみや寂しさが痛々しいのですが、
一番下の妹(和子)さんが書かれた本と読み比べると、
2歳しか違わず家族と離れて二人だけで暮らした時期をもつ
弟さんならではの視点で書かれていて興味深いものです。
他にもいくつか買っちゃった。
こういうのってついつい衝動買いしてしまうんですよね。
でも、さすがにお買い得な買い物でした。
*「7階社交室」でググったらこんなサイトをみつけました。
http://www3.synapse.ne.jp/liset/ ←※リンク切れです。
(追記:2018.2.10)
要は、鹿児島ライオンズクラブの場所が山形屋7階社交室となっていたので驚いた!ということです(笑)
新しいリンクはこちら↓
『鹿児島ライオンズクラブ』
この20数年来、ウチの2件隣りは空き地でした。
なのでずーっと近隣のお宅の駐車場になっていたのですが、 去年辺りから売り地の札が立ち、目出たく買い手がついたようで 今月に入って新築工事が始まりました。
そして今日(日付変わったので昨日ですが)、夕方5時からその家の上棟式がありました。
生憎降ったり止んだりの天気で、式の5分前になると急に雨脚が強くなったのですが、いよいよ始まる~という頃には、ほとんど止んでました。
ざっと30人くらい集まったかなぁ。
雨も降るし、どれだけの人がくるんだろうかと ひと事ながら気になっていましたが、思いのほか沢山のご近所さんが集まって来たので、
良い棟上げ式になったようです。
そして、式も終わりみなそれぞれの家路について、しばらくするとまたもや土砂降り!!
不思議ですねー(でも、そんな予感もしていた私。笑)
☆☆☆
それにしても棟上げ式、今の家に越してきて、初めてくらいじゃないかなぁ。。
もっとも、以前にもあったのかも知れませんが、その頃は勤めに出ていて、見かけることがなかったのかも。
仕事を辞めてからは近所に新しい家が建つこともなかったので、ちょっと新鮮で、且つ、懐かしい体験でした。
近所の小さな子(2~3歳かな?)も親に連れられて来ていて、棟木(ムナギ)の上がった骨組みの上から若い大工さん3~4人で
餅をくるんだものや小銭のおひねりを投げ、それをみんながわぁわぁいいながら拾ってるのをニコニコして見ていたのがとても印象に残りました。
今はこのお祭りの風景が何だかわからないだろうこの子も大きくなったら、
「そう言えば、小さいときに近所のウチで、屋根の上からお餅やお金を投げて、みんなでそれを きゃあきゃあ言って拾ったりしてたよなぁ」
なんて、このときの体験を思い出したりするのかな~と ふと思ったりしました。
こんなひと時が、こうして小さい頃のちょっとした思い出になっていくんでしょうね。
こういう古くからの慣習もまた良いものですね。
*写真は、上棟式で拾った紅白の小さなお餅と小銭の御捻り。
たまたま置いてあった小冊子に、鹿児島の夏の風物詩・
六月燈(ロクガツドウ)の紹介が載っていたの
で、一緒に写真におさめてみました。
*ちょうどお風呂上がりで、雨がやんでたので
お気に入りの下駄をつっかけていきました。
さすがに浴衣ではなかったけど。^-^
『向田邦子 果敢なる生涯』
http://www.setabun.or.jp/mukouda/mukouda.htm ←※リンク切れ
やっていたそうです。
かごしま近代文学館からも何点か提供しているようです。
この展示会のことを向田邦子コミュで目にしたのが、
昨日でした。。
じゃなくても到底行けなかったんだけどね。
しかし、いろんな層のファンがいらっしゃるようです。
コミュの掲示板を見るだけでもとても興味深いことでした。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=17234848&comm_id=6599&page=all
でも、やっぱり羨ましかったりして。
いいもん。またかごしま近代文学館に行くもん。
☆☆☆
私としては、向田さんのひとりの女性としての生涯に
気持ちが向いてしまうのでした。
(以前、日記にも書きましたけど。)
*右端は桜島。
☆4月28日の日記
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=416834370&owner_id=10666577で
通りの名前について少し触れましたが、
これに関連して少し紹介してみます。
鹿児島には、可愛らしい通りの名前はちょっと思いつきませんが、面白いところで「ナポリ通り」や「ゴンザ通り」などがあります。
☆「ナポリ通り」は通りの向こうに桜島が見えるのですが、
その景色がまるでイタリアのナポリのようだ
ということでつけられたとか。
ナポリには海に囲まれたヴェスビオ火山があり、その風貌が
桜島とそっくりです。(観る角度にもよりますけどね)
https://jp.123rf.com/photo_2191201_イタリア%E3%80%82ヴェスヴィオ火山.html
それ故、ナポリとは姉妹都市でもあります。
*イメージはこちら↓のブログからお借りしました。
偶然にもどちらも'05年に書かれたものですね。
http://kanzi.blog4.fc2.com/blog-entry-75.html
http://diary.jp.aol.com/cfsqhj/582.html ←※リンク切れ
↑こちらではそのものズバリ、
姉妹都市について触れられていました。
☆「ゴンザ」は鹿児島の人物で270年近く前に(その時11歳)
父や伯父たちと大阪へ向け出港した際に嵐に遭い、ゴンザとその伯父のソウザだけが生き残り、のちに日露(正確には露薩)辞典六冊の編集を成し遂げました。
その船(ワカシワ丸) ←<これ、"若宮丸"だと思われます。>
には、島津継豊の正室のための米や絹織物など結納品と思われる20種位の品々が積まれていたそうです。
☆試しにゴンザ通りで検索したら、
通り会のサイトがありました。
http://www.tenmonkan.com/gonza/
*サイト掲載の由来説明より抜粋
出帆後嵐に合い約半年余りでカムチャッカに漂着したが、コサック隊とカムチャダル人に襲われ父を含む15名が殺され辛くも生き残ったのは11才のゴンザとその伯父のソーザだけであった。その財宝は山分けされていたが後に代官の知る所となり隊長は死刑となって財宝は国庫に収納された。2人は2年間酷使された後、3年かかってペテルブルグへ連行され、迎賓館にて接見した女帝アンナは、上手にロシア語で返答するゴンザに驚き日本語学校を建てその先生に任じた。間も無くソーザが43才で死亡、その数日後から日露(正確には露薩)辞典六冊の編集に挑み19才半迄で脱稿、歴史上かつて無かった寒さの中、クリスマスやお正月を目前に1739年21才でその生涯を閉じた。その語彙は12,000語とも16,000語とも言われ有名な東洋学者バルトリドを初め「天才少年としか言い様が無い」と言う学者が多い。
此の辞典には今や全く使われなくなった鹿児島弁やロシア文字、スラブ語も多く、特に鹿児島弁については特殊化して行く過程を研究するのに超一級の資料となっている。
☆以前、TVロシア語講座('05)の「文化コーナー」でも、
この「ゴンザ通り」とゴンザの功績についての紹介があったんですよ。
http://www.nhk.or.jp/gogaku/2006/russian/wee-02.html ←※リンク切れ