Trapped in me.

韓国漫画「Cheese in the trap」の解釈ブログです。
*ネタバレ含みます&二次使用と転載禁止*

制裁(1)

2016-06-07 01:00:00 | 雪3年4部(虚勢の裏側~魔法の言葉)
ダッ!



授業が終わるや否や、柳瀬健太は逃げるように教室を飛び出した。

「くっそ‥!」



先程の授業にて、健太は驚きのあまり目玉が飛び出すのではないかと思った。

赤山雪の隣に、なんと青田淳の姿があったのだ。



健太の胸中が苛立ちに染まる。

「つーかなんでインターン生だっつーのに、しょっちゅう大学来てんだよ!

あんなんでもクビになんねーのか?!」




呼び止められないように、健太は飛ぶように教室を出て来た。

そして次の授業へと向かうわけだが、そこにも不安要素は満載だ。

「あ‥でもアイツと俺、授業めっちゃ被ってんだよな‥」



「次の授業は‥と」「こんにちは」



不意に掛かった声に、思わず健太はギクリとした。

顔を上げると、そこには彼の姿がある。

「!!」







青田淳。

彼は健太と目が合うと、ニッコリと微笑んで右手を上げた。



思わず顔が引き攣る健太。

視線は、包帯ぐるぐる巻きのその手に釘付けだ。



健太は動揺を隠し切れない体で、少々どもりながら声を上げる。

「おっ‥お前‥どうしてここにっ‥!」

「先輩が一服しに来るかと思って。前もこの辺りでよくお見かけしたので」



そう飄々と答える淳に、健太は何も言えずに固まった。

口元をひくつかせて浮かべる笑いが、滑稽なまでに二人の間を彷徨う。

「は‥」



「はは‥」



苦い顔で後退りする健太のことを、淳は何も言わずにじっと見つめていた。

口元には、穏やかな笑みが浮かんでいる。



その笑顔を見て、健太の第六感がシグナルを鳴らした。

ヒヤリとする感覚の中、健太はわざとらしいまでに大きな声を立てて笑う。

「ははは!」



「そうそう!俺も連絡しようと思ってたとこ!お前大学来てるって聞いてさぁ!」



健太は幾分大仰なアクションで、淳の来校を歓迎し始めた。

「いや~よく来たな!会えて嬉しいぞ!なぁ!HAHAHA!」



しかし淳の右手に目を留めた健太は、さすがに表情を引き攣らせる。

「あ‥それで‥手‥は大丈夫なのか?重傷‥なのかよ?」



「まさか骨折とか‥」



恐る恐るそう問う健太。

しかし淳は依然として何も言わない。ただ微笑んでいるだけだ。



「‥‥‥‥」



二人の間に沈黙が落ちる。

気まずくなった健太は、思いついたように赤山雪の名を口にした。

「あ!赤山は?すげー怒ってただろ?赤山。なぁ?」



やはり淳は無言だ。そして先ほどよりももっとニッコリ笑っている。

健太は冷や汗が止まらなかった。



すると健太は大声で、今まで連絡しなかったことの言い訳を口にし始めた。

「い‥いやぁ~!」



「下手にメールしたらもっと怒らせちゃうかと思ってよぉ、

落ち着いてからお前と赤山に直接会って話したかったんだ。だから‥な?」




「分かってくれるよな?」



調子良くそう口にする健太。

淳はそんな健太に対し、笑顔を浮かべたままこう返答した。

「俺の方は大丈夫ですよ。かえって気分が良いくらいです。

おかげで雪が俺のことを随分心配してくれて」




「そ、そうか?!」



淳の言葉を額面通りに受け取り、健太は喜んだ。

ガハハと笑い声を上げながら、得意のおべっかで淳を褒める。

「そりゃ~良かった!さっすが青田!心が広いよなぁ~~!昔だったら大将軍並みの器だぜ!

しっかしやっぱそうだよな~!生きてる以上色々あんのはしゃーないことだしな!」




「先輩後輩同士で火花バチバチなんてことになったらどーしよーかと思って、

心配したんだぜ~?」




健太は言葉を続けながら、だんだんと話を曖昧な方向へと向かわせて行った。

責任の所在をうやむやにする、健太の常套手段である。

「平和に解決出来る問題だって、怒ってちゃ‥なぁ?ははは!

同じ大学の仲間同士、先輩後輩の仲じゃねーか!こんなことでこじれちゃ薄情ってもんよ!」


「はい。俺も後々引き摺るのはちょっと‥」



「特に先輩とは」



えっ



淳が口にしたその発言の意味が飲み込めず、健太は不思議そうな顔になった。

黙っている健太に向かって、淳はこう続ける。

「治療費の要求はしません。必要ありませんので」

「えっ?!マジか!?」

「ただ‥」






そう言って淳がポケットから取り出したのは、

文字盤を覆うガラスにヒビが入った、ブルガリの時計だった。



突然差し出された時計を見て目を丸くする健太。

そんな健太に向かって、淳ははっきりとその責任を突きつける。

「これを弁償頂ければ」



キョトンとしている健太に構わず、淳は冷静な口調で話を続けた。

「頂き物なので、こんな状態じゃくれた方に失礼でしょう?」

「は‥?」



健太は何のことやら、一向に分からない様子だった。

「な‥なんだそりゃ、突然‥」



しかし突如、昨日の光景が説得力を持って浮かび上がる。

揺さぶったせいで転びかけた赤山を庇い、後ろ向きに地面に倒れた青田淳の姿、



そして確かに、

コンクリート杭に手の甲をぶつけていた彼の右手が‥。



「へ‥?」



まるで印籠を突きつけるかのように、淳は故障した時計を健太に見せつける。

「ですから、必ず弁償の方お願いします」



あたかも聖人君子のように、ニッコリと笑いながら。



「‥‥!」



健太は口をあんぐりと開けたまま固まった。

ここで「はいそうですか」と素直に頷く男では当然無い。

「いやいやいやいや!ちょっと待てよ!」



しかし健太がそういう男だということは、淳はとっくにお見通しだ。

動揺する健太に向かって、淳は冷静にその条件を更に続けた。

「おい!それ俺だけのせいじゃねーだろ!しかもその時計‥めっちゃ高いヤツ‥」

「先輩、時計お詳しいでしょう?一度ウェブで検索してみて下さい」



「そこに出てくる中古相場の半額だけ頂こうと思ってますので」

「はっ?!いやだからちょっと待てよ‥!」



混乱のあまり目をぐるぐると回す健太。淳は畳み掛けるように言葉を続ける。

「仰る通り、同じ学科の先輩後輩ですから全額補償にはしないつもりです。

それじゃあまりにも薄情ですからね」
「お‥おい‥」

「あと佐藤のノートPCの件も、今は柳一人で補償していますから、半分は出して頂ければ。

先輩も使ったんですよね?」
「はぁ?!」



淳は健太の真正面に立って、彼が補償しなければならないもう一つの件についても言及した。

健太は心外そうに声を荒げる。

「おい!その件はお前には関係無‥!」

「え?同期のことを心配しちゃダメなんですか?同じ大学の仲間でしょう?」



「薄情だなぁ」



淳は健太が免罪符にしていた「薄情」という言葉を使って、そう見事に切り返した。

健太の顔がみるみる歪んで行く‥。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<制裁(1)>でした。

淳ーーー!!!


(思わずスタンディングオベーション)

やってくれましたね!淳が出来る範囲の制裁で言えば、良い要求では無いでしょうか!

そしてちょっと調べてみました、この時計の中古相場‥



健太に要求しているのはこの半額なので、大体3万円になりますね。
(まぁ日本の相場なので韓国がどのくらいかは分かりませんが‥)

+佐藤のPCの半額補償ということで、健太には痛い出費でしょうが、まぁ自業自得ですからね!(晴れやかな笑顔)

次回は<制裁(2)>です。

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各々の近況

2016-06-05 01:00:00 | 雪3年4部(虚勢の裏側~魔法の言葉)
赤山蓮はエプロン姿で、宴麺屋赤山の傍の路地に佇んでいた。



手にしている携帯には、”キンカン”こと小西恵宛てのメールの文面が表示されている。

まだすげー忙しいの?



たったこれだけの文章だが、蓮は未だこのメールを送れずにいた。

携帯片手に、ううんと頭を抱え込む。



蓮はモヤモヤした感情を持て余しながら、自分の周辺の人物達のことを考え始めた。

いや、だからほら‥亮さんは最初からピアノって道があるし、

店は取り敢えずやって行けそうだしさ‥。

姉ちゃんはもちろん良い会社行くだろうし‥彼氏の方は言わずもがな安泰だし

キンカンもいつも頑張ってる‥




俺だけが宙ぶらりんだよな?



アメリカに帰るのは死んでも嫌。

でもだからといってここで何をすればいいのか分からない。

それが今までの蓮だった。



しかし彼は今、新たな道を見つけて目を光らせているのだ。

だから俺は、



マジで二代目赤山社長になってやんだ‥!



蓮は携帯をぐっと握り締め、遂に見つけたその目標を鋭い眼光で見据える。

「とりあえず先立つモンが必要だよな‥」



踏み出した二代目・赤山社長への道。

蓮はその具体的な道程を、じっくりと思い描く‥。






その頃、A大・音楽学部、ピアノ練習室。

河村亮は終始、無言だった。



鍵盤の上に置かれた手は、

未来へと向かってもう一度動き始めた十本の指は、

その日、動くことはなかった。



反抗的で、プライドが高くて、それでも放っておけなかったその弟子を、

志村教授はじっと見つめる。



亮もまた何も口にすること無く、ただ鍵盤から指を下ろした。



あの日からずっと、左手が震えている。

もう一度夢に向かって歩もうとする意志とは裏腹に、

あの日感じた絶望は、今も心に陰を落とす。



何も語らない亮の横顔に、教授はその絶望を感じ取った。

普段なら叱咤し声を荒げる彼も、今日はただ口を噤むしか無い。



音の鳴らない練習室に、二人の呼吸の音だけが響いた。

そこにまとわりつく黒い影の、振り払い方は分からない‥。









一方図書館では、一人の男が携帯をじっと睨んでいた。

静香さんに‥



河村静香宛のメールの文面を考えて小一時間、佐藤広隆は一向に文面を作れずに居た。

難しい顔をして、携帯を睨みながら固まっている。



ふと我に返ったりもするが‥

ないない‥どうして俺が‥



やっぱり気になってずっと携帯に張り付いたり、

サッ



頭を悩ませてはやはり携帯が気になってすばやい動きを繰り返したり、

サッ サッ サッ



そんな意味不明な自分に呆れ返ったりした‥。



河村静香。一番苦手なタイプだったはずなのに。

佐藤の心は今、彼女のことばかり考えてしまう‥。

ああああーー






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<各々の近況>でした。

流れ上短めの記事になってしまいました。

皆、だんだんとラストに向けて動いてる感じですね。まだまだ波乱はありそうですが。

今回亮さんの所はセリフが一言も無いので、私の個人的推測描写になってしまいました。

ただ左手がクローズアップされている感じが強かったので、やはり思い通りに動かなくなってしまったのかな‥と。

うおーん


次回は<制裁(1)>です。


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狭間の核心

2016-06-03 01:00:00 | 雪3年4部(虚勢の裏側~魔法の言葉)
勿論心配してるよ





淳が最後に書き記した文章を、暫し雪は目を丸くして見ていた。

淳はそんな雪の肩をポンポン叩く。

さ、授業に集中、集中ー



おどけながらそう言う淳。

筆談はそこで終わりとなり、雪は淳の言う通り授業に集中する。



教授の話に耳を澄まし、真剣な顔でノートを取って‥。

淳はそんな雪の横顔を、満足そうに見つめて微笑んでいる。






当たり前のように「家族が心配しているんじゃないか」と聞いてくれた彼女。

世間体と偽善ばかりの父親とは違う、淳の心の拠り所だ。



二人は並んで前を向いて授業に臨んだ。

いつまでも彼女と同じ方向を向いていたい、淳の理想がここにある‥。






教授の声を聞きながら、暫し淳は前を向いていた。

思考は徐々に内的世界へと潜って行く。



怪我をした右手の指が、一定のリズムで机を叩いていた。

トン、トン、トンと。



心の中にドス黒い暗雲が立ち込め始める。



その凍てつく様な視線の先には、あの人の姿があった。

その領域の線を越えた、あの人物の姿がー‥。



柳瀬健太。

淳は時の狭間に沈み込みながら、その核心が刻むリズムの中で思考を巡らせ始めた。



トン、トン、トン。



領域を越える者は許されない。

奪われたものと同等のものを、等しく奪い返さねばならない。



淳の核心が深く深く潜って行く。

暗い暗いそのドアの向こう側へと。

規則的に刻むそのリズムの中で、淳はターゲットの姿を凝視した。

トン、トン、トン‥








不意に淳は、翳り行くその世界から引き戻された。

リズムを刻んでいたその指は止まり、まるで固まってしまったかのように動かない。

「‥‥‥」



ひやりと、背筋が一瞬凍る気がした。

淳はゆっくりと隣の彼女へと視線を移す。



以前教室で同じ様なことがあったと、淳は思い出していた。



あの時、籠絡して行く周りの人間達を嘲笑している自身を、彼女だけが見ていたのだ。



出会った当初は気に障り、やがて恐れた彼女はその鋭い眼差しで、

やはり淳の核心を看破するーー‥。








息も出来ない程の緊張の中、ゆっくりと淳は雪の方を見た。

恐る恐る、まるでスローモーションの様に。



しかしあの鋭い目は、淳の方を見てはいなかった。

雪は先程と同じ様に、授業に集中し前を向いている。



淳のことを何も疑うことなく、

真面目に話を聞いて、ノートを取って‥。



淳は暫し雪から目を離せなかった。

本当に見ていなかっただろうか?

時の狭間で顔を出した、自身の暗い核心を‥。



暫く前を向いていた雪だが、やがて隣からの視線に気付き、淳の方を向いた。

自身のことを見ていた彼氏に対して、雪はニコッと優しく微笑む。






淳もその笑顔に応えるかのように、ニッコリと微笑みを浮かべた。

あの時と同じ、顔を出した核心を覆い隠すような笑顔を。








やがて雪は再び前を向いた。

何の疑いも無い笑顔を、その口元に残しながら。



淳もまた、笑顔を浮かべ続けたまま彼女の横顔を見ていた。

恐れと安堵と、えも言われぬ不安を、胸の中に秘めながら‥。







やがて授業が終わり、学生達は席を立った。

淳と雪も身支度をして席を立ち、各々別の場所へと向かう。

「俺、ちょっと教授室に行ってくるね。また後で会おう」

「私も聡美と会います。また後で!」



バイバーイ!



そして二人は手を振り合い、一旦別々の道を行く。

淳は手土産を持って教授室へ挨拶に、雪は聡美の元へ彼女を慰めに‥。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<狭間の核心>でした。

今回も途中までは通常営業の淳でしたが‥



雪ちゃんに自身の暗い一面をまた見られたのでは、

と恐れたような表情が印象的でしたね。



自分の性分が雪に受け入れられないことに、淳はもう気が付いているんですよね。

だから隠すしかない‥という方向に行ってしまっていて。

この健太騒動がその辺りの突破口を作るキッカケになるんじゃないか、と思うんですが‥。

どうなるんでしょう‥


次回は<各々の近況>です。


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脱却へ

2016-06-01 01:00:00 | 雪3年4部(虚勢の裏側~魔法の言葉)
「前は顔に酷い怪我をしたかと思えば、今度は手にヒビが入っただと?」



昨日の夜、父親と電話で交わした会話のことを、淳は思い出していた。

父はあからさまに不機嫌な様子で、チクチクと淳を問い詰め続ける。

「一体どうやったら大学生がそんな生活送れるんだ。

しかもインターン生ともあろう者が、どうしてこんなに警戒心が無い?」




「一体どうしたと言うんだ。

まさか‥これ以上何か問題行動を起こしてるわけじゃあるまいな?」


淳はウンザリした表情を浮かべながら、父の様子を俯瞰しこう思っていた。

そろそろ限界かな、と。



延々と続く説教の、その内容に大した意味は無い。

淳は怪我をした右手を眺めながら、その中身を残酷なまでに見抜く。

愛情‥世間体



愛情‥世間体‥世間体



世間体‥偽善‥

今まで全くの掛け値無しで、自身の心配をしてもらったことがあっただろうか?

淳は体面ばかりを繕うその説教を聞きながら、幼い頃嫌というほど聞かされた父の言葉を思い出していた。

「班での宿題をその子がしないなら、お前がその分やれば良いじゃないか」



小学生の淳に向かって、父はネクタイを締めながら言う。

「そんな些細な問題で怒り続ける必要は無いだろう?」



自身がいかに理不尽な状況に置かれているか、始めは淳も主張し続けた。

けれど父の言葉はいつでも同じ、”理想的な子供”がどう振る舞うべきか、結論はいつもそこに帰結する。

「そんなことがあったのか?でもお前は班長なんだから、

その子達のことをもっと理解しようとする努力をしなくてはいけないぞ」




嫌だと言っても、苦手だと態度に表しても、

いつも少年淳は父の会社関連のパーティーへと連れ出された。

「ほら、挨拶を。もう小さな子供じゃないんだから」







隣に居る父親をチラリと見ると、いつも父は目の前の相手しか見ていなかった。

”父の思う理想的な子供”が、この後立派に挨拶をすることを疑いもしない顔をして。



「こんばんは」



淳の笑顔が作られて行く過程を、父は一度も目にすることは無かった。

その顔は常に世間に対して向けられていたからだ。




「今日は大事な日なんだ」



家で机に向かっていた淳に向かって、ある日父はそう切り出した。

「一緒に病院へ行こう。父さんの恩師のお見舞いだ」

「僕、今日は宿題があるんです。それに‥」



淳は話を続けようとしたが、父はその言葉を切って息子に人生を教え諭す。

「宿題も勿論大事だが‥。

人生を生きる上で、一度そういう方にお目に掛かって挨拶をすることを学ぶことも大事だよ」




「早く着替えて来なさい」



父の言葉は絶対だった。

そして子は父に連れられて、病院へと出向いて行く。






ベッドに横たわる老人に挨拶を済ませた少年淳は、そっと病室を出た。

少し開いたドアの合間から、そこに居る父の姿をそっと窺う。



見慣れた父の背中越しに、喘鳴が掛かる咳が何度も聞こえていた。



父の向かいのベッドに座った老人の声が、微かに聞こえる。

「先ほど病院で、おばあさんが亡くなって悲しむ子供を見たよ。

本当に気の毒でね‥。私は‥」




「うちの孫達もそうなるんじゃないかと思って‥恐いんだ。あの子達を、よろしく頼むよ」

「はい、河村教授。勿論です」



寂しそうに俯く父の横顔。

肩を落としながら、父は恩師に向かって言葉を続ける。

「心配されるお気持ち、分かりますよ」



「はぁ‥やはり気の毒です」



「僕が教授のお孫さん達を、最後まで責任を持って‥」



話が終わる前に、少年は廊下を歩き始めた。

誰も居ない、静かな廊下をひたひたと進む。







淳はソファに腰掛けると、一人ぼんやりと病院の白い天井をただ眺めた。

隣のソファには小さな女の子が眠っている。

あれのどこが恩師だよ。頼み事しかしないじゃないか。



先程耳にした会話を思い出しながら、淳は冷めた気持ちでそう思っていた。

何か役に立つことを話すかと思えば、頼み事しか口にしなかった弱々しいただの老人‥。



淳は皮肉を含んだ表情を浮かべながら、ぼんやりと自身の足元を眺める。

無駄に大勢の相手をするのは嫌いだ。受け入れるのも嫌だ。



けど嫌だっていうのを表に出しちゃダメなんだ。

どうしてそうしなきゃいけないのかは分かんないけど




以前父から言われた言葉が、淳の胸の中に澱のようにこびりつく。

「お前がこれからどんな人生を歩むのかは分からないが、

疑問に思うならやってみればいい。一度自分の弱点を、皆の前で剥き出しにしてみろ」


 

「それが顕になった瞬間、人々はお前に同情するか、

それを契機にお前を攻撃するか、哀れみの目で見始めるか、もしくは‥」




「おかしな人間だと指を刺し始めるかー‥」








”おかしな子供”

その烙印が、淳の心の奥深くに強く押される。



老人を見る父の顔は優しかった。

あんな笑顔を、向けられたことがあっただろうか‥?



少年はただぼんやりと足元を眺め続けた。

隣のソファで眠っている少女の他には、誰も居ないこの空間の中で‥。






「聞いてるのか?」



暫し淳の返事が無いことに痺れを切らした父は、苛立った口調で電話越しの息子にそう問うた。

淳はぼんやりと足元に目を落としながら、静かにこう返答する。

「色々と思い出しますよ。一つ一つ、ね」



「何だと?」と父はその意味を問うたが、淳は頓着せずにこう続けた。

「大学を卒業したらもう完全に大人でしょう?今は中途半端な状態ですが」



淳は自身の右手に嵌められたギブスを見つめながら言う。

「その前にその一つ一つを‥」



「全部、引き剥がして行きたいんです」



巻かれた白い包帯は、自由に羽ばたける日がくれば解かれる。

そして彼は強いられ続けた”理想の子供”から、自分の力で脱却するー‥。




勿論心配してるよ



雪との筆談に、淳は最後にそう書き記した。

これまで縛られて来た一つ一つを引き剥がす、その決意をギブスの下に隠したまま‥。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<脱却へ>でした。

少年淳の隣で眠るのは、幼い頃の雪ちゃんでしょうね。



河村教授の言う「おばあさんが亡くなって悲しんでいる子供を見た」っていうのも、雪ちゃんのことなんですね。

祖母が亡くなって悲しみに伏せる雪と、河村教授を見て「あれのどこが恩師だよ」と冷め切った淳が、対照的です。

そして十数年後にこの二人が出会い、関係を築き、彼女を線の中に引き入れた淳が、裏目からの脱却を図って行く‥、

チートラの物語の核心が、徐々に見えてきたような感じですね。

4部35話はここで終わりです。


次回は<狭間の核心>です。


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