孫が通っている光明台幼稚園の「子ども盆踊り大会」、この雨でどうなるのかな、と思っていたが、室内で開催するとか・・・。カメラマンの役を孫から頼まれているので、これで一安心。今年は年長組なので、孫にとっても最後の盆踊り大会。記念に素敵なスナップ写真を、と今から意気込んでいます。
敵の「かた」は、片方の「かた」です。「き」は人とか男という意味の古語。つまり、もう片一方の人という意味で、昔は結婚相手のことを「かたき」といっていたくらいです。
「敵」という漢字は打ち合うという意味の旁(つくり)と、正面から向き合うという意味の字からできています。
正面から向き合えるのは、自分と釣り合った相手。もともとは、自分と対等な相手ということで、自分にはむかったり、害を与えたりする人という意味はなかったようです。
自分と対等な相手だから腹も立つのでしょうね。でも、自分を一番成長させてくれるのはそんな相手です。敵役(かたきやく)は、もう一方の自分だと思ってみてはいかがでしょうか。
昨日は終日雨だったこともあり、大きな和紙絵を何枚も描いてみました。和紙と墨とのふれあいから生まれる滲みは、まるで生き物のように感じます。墨が一人歩きをして、じわっと広がっていくのを、書き手は止めようもありません。白い和紙に、黒々とした墨がじわーっと・・・・・。
今夜は孫の幼稚園の盆踊り大会。気になる天気。このまま晴れてほしいですね。
手作りこんにゃくが手に入ったので、こんにゃくステーキにした。味噌ダレで食すると最高。なす、トマトももぎたてを頂いたので、早速調理。焼きなすとトマトサラダに・・・。鯖の南蛮漬けも美味しい。残った鯖に片栗粉をつけて素揚げに・・・。
缶ビールは、所ジョウジが宣伝しているのを冷やした陶器のグラスで飲むと、小さな泡がたっておいしい。「いただきます」の代わりに「ありがとう」と言って食べたら倍のおいしさに・・・。
ここまで言ったら少々嫌みに聞こえますね。それでは、素直に「いっただきま~す」。
てっきり車検の通知だと思って行ったら6年目の12ヶ月点検だった。9時半からなのに早く着いてしまった。ロビーで携帯電話のマニュアルを広げ操作の仕方を勉強。お陰でほとんどの操作をマスターすることができた。
6年で走行距離が約6万キロ。1年で1万キロの走行距離。すべてに異常がみられなかったので一安心。今日の星占いは最低の12位。イライラしないようにとの注意を守って一日を・・・・。
「元気」は、天と地、そのすべてのものにある根本の「気」だそうです。生命のエネルギーということですね。「元」と書くとおり、もともとこの世界に溢れていて、誰でもが持っているものだそうです。本来、生命のエネルギーが溢れているはずなのに、どうして元気がなくなるのでしょうかね。
もしかしたら、元気は生ものなのかも知れません。使えばどんどん新しく補給できるけれど、使わずにほおって置けば腐ってしまう・・・・。それなら、どんどん使いましょうよ。廻りの人にも振りまいて、分けてあげましょうよ。
そうすれば、あなたも私もまた新しい元気がもらえることになる、そんな気がします。
プロ野球前半戦の試合。8回タイガース1死三塁、関本が決勝の中飛を放つ。白熱した伝統の阪神VS巨人戦。1対0でタイガースの勝利。久しぶりに最後まで観てしまった。今日は朝から清々しい気分だ。さあ、今日も一日頑張っていきましょう。
第三週は休みなので、水曜昼組メンバーと、すすめヴァイキングで昼食会。なんと12時から3時半まで・・・・。600席あるが、後半は貸し切り状態。最後は一つのテーブルを囲んでわいわいがやがや。開放感に浸る奥様方、それにしてもよく食べよく○○○○○・・・・。
下の写真の群衆に注目。次は8月末に一泊二日で食事会に出かけるとか・・・。もちろん私は大賛成。
上の写真の障子2枚組が、枕屏風に変身して、高野山の奥の院にある南山堂というというところに嫁いで行きました。下の写真にある和紙絵数点も額装されて高野山に・・・。
狭山駅前にオ^プンした「ギャラリーさやま」にも、私の和紙絵が20数点嫁入りし、今日、正式に店開きされるとのこと。一度のぞきに行きたいですね。夏休みに入ったら、高野山の奥の院にある南山堂にも足を運びたいものです。
「津」という字を「つ」と読めば、船着き場という意味です。「津々浦々(つつうらうら)」は、いたるところの港や海岸ということから、全国という意味で使われるようになりました。
これを、「しん」と読めばどうでしょう。実は、「津」には、唾という意味もあります。「津々{しんしん)」は唾が次から次へと涌き出てくる様子。興味津々と言えば、唾が涌くように、次々と興味が涌いてくることだったのです。
緊張して、固唾(かたず)を飲んだり、欲しいものを見て「生唾」を飲み込んだり・・・・。唾も心の状態を表すものです。それも自分の意志でコントロールできないことですね。
意識しないでも、次々と興味が涌いてくることの中に、我々が本当にするべき事、しなければならない事があるのかも知れませんね。
手相を観てもらった。あまりの当たりように唖然とするばかり。
手は医学的(解剖学・生理学)にも大脳と直結していて、神経と連携しているらしい。つまり手の変化は身体の変化であり、手相は変化し続けているとのこと。このことからも、手相は変化もするし、自分で変えることもできるということになる。健康な身体を作っていき、前向きな生活をしていけば、手相もよい手相に変化していくそうです。
手相は、ただ単に線だけで判断するのではなく、手の出し方から手の形、大きさ、色、柔らかさ、爪、しわ、指の長さなど、様々な観点から判断されるらしいですよ。
ちなみに私の手相は、金運財運に恵まれるがお金は貯まらないらしい。多くの女性に支えられて生きていく、そんな恵まれた運勢とか・・・。そしてエロスの線がくっきり、はっきりと出ていると、家人の前ではっきりと言われてしまいました・・・。ヤバイやばい・・・・。
もう貼るところがないので、とうとう天井まで・・・・・。今まで天井に貼っていた絵はすべて張り替え。捨てるのなら欲しい、といわれていましたが、光り焼けしていたので全部捨てました。
来客があればいつもきれいになる我が家!
縦55センチ×横75センチのこの七福神の絵。後にも先にも4枚しか描いていない貴重な絵。4枚目をゲットされた方からの依頼でもう一枚描くことに・・・。今度は我が家用にも一枚余分に描いておかなくっちゃあ。
「会社に行く」と「会社へ行く」。どっち?どう違う?
「に」は到着点に、「へ」は方向性に注目した表現であるが、到着点と言っても方向性と言っても会社を目指している事に相違はなく、この文脈では意味はほとんど同じ。
しかし、「投票に行く」、「旅行に行く」などでは「へ」は使えません。方向性を全面に押し立てた「前へ前へ進め!」「国会は解散の方向へ」などでは「に」は使いにくい。
真っ暗な夜空に、大きな爆音とともにぱっと火の粉の花が開くと、言いようのない爽快感を覚えます。今のような観賞用の花火が発達したのは、江戸時代。日本で初めて花火を観たのは徳川家康だと言われています。それは打ち上げ式ではなく、手筒花火だったそうです。
火薬を詰めた大きな筒を小脇に抱え、そこから噴き上げる火の粉を鑑賞するのです。大変危険ですが、その勇気を、惚れた女性に示すために男たちは手筒花火を上げたそうです。
打ち上げるときの勇壮さと迫力、花火が開いたときの華麗さ、豪華さ、そして、その後訪れる静けさ・・・・。
それを知っているからこそ、遠くから観る音のない花火は切なく映るのでしょうか。色だけ鮮やかに、浮かんでは消えていく遠い思い出のように・・・・。