大雑把な日常

日常のあれこれ。

おかねときょういく

2014-09-04 | 日記
「おかね、ないっていうくせに
 旅行はいくよね!」

と生意気さかりの
姪っ子が言いました。
小学一年生の口達者な姪っ子。
大人の会話を聴いてそのまま言ったのでしょう。

旅行に行くから
お金ないんだよ。

と答えておきました。

という顔をしておりました。禅問答みたい。
どっちが先か。

旅行に行くためにお金をためているので生活費を削ってる。
ひとによって優先順位が違うからねー。

うちはモノは買わないけど
本と
知識を広められるものには
わりと緩めにお金を払います。
美術館と博物館
本と映画は
なんかケチってはいけない気がして。
ただし結構吟味してますが。
どれも残らないから
勿体ない気もするけど
どうせ死ぬから
モノなんか必要ないんだよ
と自分に言い聞かせてます。
物欲に負けそうになるけれど。

教育格差

という言葉が耳に入ってきます。
お金のあるひとは
子どもの教育にお金をかけられる
という意味でしょう。

みんなが言う「教育」の意味が
塾や習い事、私立の学校だとしたら
うちは格差社会のなかで
下のほうに位置するでしょう。

でも教育ってなんだ。
と思います。
お金をかけるのが教育だろうか。
自分のやりたいことを
思いっきりできるという環境が
「教育」の意味することだと思います。

それにお金がかかるって
ちょっとおかしいと思う。
本当にやりたいこと
追求したいこと
夢中になること
はお金と引き換えでできるのか。

図書館の発想って
きっと
これだよね。
どんな収入のひとも平等に本を読むことができる。
本=教養
だったころの話で
印税入らないからって怒っている作家さんがいたけど
今は時代が進んで教養の範囲が広がっているせいで
本来の目的が変わってきてるのかもしれません。
話それましたけど
もうけ主義の教育者からは
たいした教育は受けられないと
古い考えかもしれませんが
考えています。
教育に対する概念が
あたしと合わない
とも言えましょう。

そんなだから
子どもが本当にやりたいことが見つかるまで
わたしは
たぶん大したお金をかけてあげられない。
いまのところ
秀でた才能は見つけられないので
安心しております。

本当にやりたいことが将来できたとして
そんなにお金のかかるものでありませんように
と祈る。
お金かけて
一流企業や政府とかに入ったところで
ハッピーじゃなかったら
意味ないもん。

え?
ひどい?
期待してないだけで
愛してないわけじゃないよ。

こんなに毎日愛してるだの
大好きだの
言いあっている
親子いるか
って思っている。
まあ、いるか。
それはわたしが刷り込んだことだけども
娘が大きくなってきて
ちょっと照れる今日この頃。



コメント
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