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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

菅義偉内閣総理大臣による「学問の自由」を蹂躙する日本学術会議の人事への政治的介入に断固抗議し、6人の任命拒否撤回と6人の任命を改めて求める!

2020-10-06 19:12:00 | 全国から

菅義偉内閣総理大臣による「学問の自由」を蹂躙する日本学術会議の人事への政治的介入に断固抗議し、6人の任命拒否撤回と6人の任命を改めて求める!


2020102日(金曜日)


許すな!『日の丸・君が代』強制、止めよう!安倍・菅政権の改憲・教育破壊 全国ネットワーク (略称「ひのきみ全国ネット」)


私たち、全国の教員・退職教員・市民による全国ネットワークである<許すな!『日の丸・君が代』強制、止めよう!安倍・菅政権の改憲・教育破壊 全国ネットワーク>は、菅義偉内閣総理大臣によって、「学者の国会」ともいわれる日本学術会議で長年守られてきた人事の独立が破られ、日本国憲法23条の「学問の自由」を蹂躙する日本学術会議会員の人事への政治的介入により、日本学術会議への6人の新会員の任命が拒否されたことに対し、満腔の怒りを込めて抗議し、6人の任命拒否の撤回と6人の任命を改めて求める。


1.菅義偉内閣総理大臣は、101日、「日本学術会議法」の規定に基づいて日本学術会議が新会員として推薦した105人のうち6人を任命しなかった。会員に任命されなかったのは、芦名定道・京都大教授(宗教学)、宇野重規・東京大教授(政治思想史)、岡田正則・早稲田大教授(行政法学)、小沢隆一・東京慈恵会医科大教授(憲法学)、加藤陽子・東京大教授(日本近代史)、松宮孝明・立命館大教授(刑事法学)の6人である。

「日本学術会議法」では、「優れた研究、業績がある科学者のうちから会員候補者を選考し、首相に推薦する」と定めており、推薦に基づき首相が会員(210人)を任命する。任期は6年で3年ごとに半数を改選している。会員210人の日本学術会議は3年に1回、半数の105人を改選する。

日本学術会議は20209月末で会員の半数が任期満了を迎えることから、学術研究団体などから提出された推薦書をもとに、20202月から学術会議の選考委員会で選考が進められ、79日の臨時総会で候補者105人が承認された。831日、安倍晋三首相(当時)あてに、831日に6人を含む計105人の推薦書を提出した。9月末に学術会議事務局に示された任命者名簿には6人を除く99人の名前しかなかったという。

菅義偉首相によって6人が任命されなかった理由について、政府からの説明は一切なく、学術会議事務局が任命されなかったことを事前に問い合わせたところ、政府からは「間違いや事務ミスではない」と返答があったという。任命を拒否された6人以外の新会員99人は101日付で菅義偉首相に任命された。

「学者の国会」と呼ばれ、高い独立性が保たれる学術会議の推薦者を首相が任命しなかったのは、現行の制度になった2004年度以降では初めてである。政府は拒否した理由を明らかにしていないが、6人の中には、安全保障関連法や「共謀罪」を創設した改正組織犯罪処罰法を批判してきた学者が複数含まれている。


2.加藤勝信官房長官は101日の記者会見で、学術の立場から政策を提言する政府機関「日本学術会議」が推薦した新会員候補の一部を菅義偉首相が任命を見送ったと明らかにした。加藤勝信官房長官は、6人が任命されなかった理由について、「個々の候補者の選考過程、理由については人事に関することでありコメントは差し控える」と説明を避け、「結果の違いであって、これまでの対応の姿勢に変わりはない」とし、法律に基づいた正当な判断であると主張し、「学術会議の目的において、政府側が責任を持って(人事を)行うのは当然だ」、「首相の所轄で、人事等を通じて一定の監督権を行使することは法律上可能となっている」「推薦を義務的に任命しなければならないというわけではない」と述べている。政治判断による人事介入は憲法が保障する「学問の自由」の侵害になるのではないかと問われると、加藤官房長官は、「直ちに学問の自由の侵害にはつながらないと考えている」と応えている。現在の任命の仕組みになった2004年以降、推薦された候補が任命されなかったケースについても、「そうした事例があるとは承知していない」と述べている。

102日、閣議後の記者会見で、加藤官房長官は、「総理大臣の所轄のもとの行政機関である『日本学術会議』について、任命権者である総理大臣が法律に基づいて任命を行った。こうした説明を引き続き行っていきたい」、「専門領域の業績のみにとらわれない広い視野に立って、総合的、ふかん的観点からの活動を進めていただくため、累次の制度改正がなされてきた。これを踏まえ、総理大臣の所轄のもとの行政機関である『日本学術会議』について、任命権者である総理大臣が法律に基づいて任命を行った。こうした説明を引き続き行っていきたい」と述べた。


3.菅義偉内閣総理大臣が「日本学術会議法」の規定に基づき日本学術会議が新会員として推薦した105人のうち6人を任命しなかったことに対し、学術会議会員らからは「学問の自由を保障する憲法に反する行為」と批判が相次いでいる。

10月1日の日本学術会議の総会で退任した日本学術会議前会長・山極寿一・京都大前総長は、オンラインを含め会員ら230人が出席して開かれた挨拶の冒頭で、「6人の方が新会員に任命されなかった。初めてのことで、大変驚いた。菅首相あてに文書で説明を求めたが、回答はなかった」と述べている。学術会議は8月末、政府に105人を推薦していた。しかし、6人が任命されないことを山極会長が知らされたのは928日の夜だという。総会後、「私たちは理由を付して新会員を推薦したのに、理由をつけずに任命しないという事実がまかり通ってしまったことは大変遺憾。学術にとって非常に重大な問題だ」と話した。

新会長に選ばれたノーベル賞受賞者の梶田隆章・東京大宇宙線研究所長は、「極めて重要な問題で、しっかり対処していく必要がある」と述べ、6人を任命しなかった理由について菅首相に説明を求めることを検討すると述べた。推薦した人が任命されなかった例は平成16年度に今の制度になって以降なく、日本学術会議は102日に開かれた総会で、緊急にこの件を協議した。6人が任命されなかった理由を明らかにすることと、6人の任命を改めて求める要望書をまとめることを決めた。総会のなかで、日本学術会議新会長の東京大学梶田隆章教授は「非常に重要な件だと思うので、引き続き部会で議論して、学術会議としてしっかりと対応したい」と述べた。総会後に梶田隆章会長は「学術会議は政府からある程度、独立して学問を基礎に発信するものなので、その基本が変わることがあってはならない」と話している。


4.日本学術会議は、人文・社会科学や生命科学、理工など国内約87万人の科学者を代表し、科学政策について政府に提言したり、科学の啓発活動をしたりするために1949年に設立された。「学者の国会」とも言われる。210人の会員は非常勤特別職の国家公務員で任期は6年間。3年ごとに半数が交代する。1954年には、原子力の平和利用について「自主、民主、公開」の原子力三原則を打ち出し、55年の原子力基本法に盛り込まれた。軍事研究のあり方についても、「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を1950年と1967年に発表し、2017年にも、防衛装備庁が創設した研究助成制度をめぐり、軍事研究を禁じた過去2回の声明を継承するとの声明を発表した。


5.今回任命されなかった6人のうちの一人、東京大学の加藤陽子教授(日本近代史)は「共謀罪」法案などに反対の立場を取ったことがある。加藤教授は、「首相が学術会議の推薦名簿の一部を拒否するという、前例のない決定をなぜしたのか、それを問題にすべきだ。学術会議内での推薦は早くから準備され、内閣府から首相官邸にも8月末には名簿があがっていたはずだ。それを、新組織が発足する直前に抜き打ち的に連絡してくるというのは、多くの分科会を抱え、国際会議も主催すべき学術会議会員の任務の円滑な遂行を妨害することにほかならない。欠員が生じた部会の運営が甚だしく阻害されている。この決定の背景を説明できる協議文書や決裁文書は存在するのだろうか、私は学問の自由という観点からだけでなく、この決定の経緯を知りたい。」「学術会議の担うべき任務について、首相官邸が軽んじた点も問題視している」などとコメントした。

任命されなかった小沢隆一・東京慈恵会医科大教授、岡田正則・早稲田大教授、松宮孝明・立命館大教授は1日、梶田会長に、任命拒否の撤回に向け、学術会議の総力をあげてあたることを求める要請書を手渡した。要請書で3氏は、首相から理由の説明がなく、「私たちの研究活動についての評価に基づく任命拒否であれば、憲法23条が保障する学問の自由の重大な侵害」、「(任命が首相の意のままになれば)日本学術会議の地位、職務上の独立性、権限は、会員の任命が内閣総理大臣の意のままになればすべて否定されてしまい、学問の自由はこの点においても深刻に侵されます」などとしている。小沢氏は「私は2015年、安保法制をめぐる国会での中央公聴会で『憲法違反だ』と述べた。仮に、学問上の意見を国会で述べたことが任命拒否につながっているのだとすれば、学問の自由の侵害だ」と話している。


6.私たち、全国の教員・退職教員・市民による全国ネットワークである<許すな!『日の丸・君が代』強制、止めよう!安倍・菅政権の改憲・教育破壊 全国ネットワーク>は、菅義偉内閣総理大臣によって、「学者の国会」ともいわれる日本学術会議で長年守られてきた人事の独立が破られ、日本国憲法23条の「学問の自由」を蹂躙する日本学術会議会員の人事への政治的介入により、日本学術会議への6人の新会員の任命が拒否されたことに対し、満腔の怒りを込めて抗議し、6人の任命拒否の撤回と6人の任命を改めて求めるものである。

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全国集会元気をもらった! 山田肇報告記

2019-08-08 11:51:56 | 全国から
今回の全国集会にZAZAメンバーは8名参加しました。そのうちの山田肇さんの報告を掲載します。
https://blogs.yahoo.co.jp/yamada55132/39039748.htmlからの再録です。


全国から集う!全国で闘おう!
第9回「日の丸・君が代」問題等、全国学習・交流集会が、
7月21日(日)、東京の日比谷図書館文化館・地下ホールで開かれた。

今年の全国学習・交流集会は、「日の丸」「君が代」の強制等と闘う
多くの人々が集まり、元気をもらう集会となった。

まずは、『「日の丸・君が代」と子どもの良心形成』と題する
世取山(よとりやま)洋介さん(新潟大学准教授)の講演。
世取山さんの講演の大すじは、
2012年、安倍第二次政権による教育再生実行改革の中で、
教育政策を振り返り、「日の丸・君が代」強制をとらえたい。
さらに、子どもの人格形成・良心形成という観点から、
「日の丸・君が代」強制がどのような意味を持つのか、
を考えるということだった。

その講演の中で、心に残ったこと。
「教育内容改革」と称して、
アクティブ・ラーニングとICTの活用が進められているが、
電子黒板とアイパッドによる教育は、まさに教育の規格化・陳腐化。
子どもの成長にとっては何の意味も持たない教育になってしまっている。
つまり、子ども・教師の相互的関係にもとづく授業が排除され、
子どもたちの発問や葛藤の中で真理に到達する
というプロセス(授業)が学校教育からなくなっていってしまう。

教師が教師であることを許さないシンボルとしての
「日の丸・君が代」の強制から
子どもの自律的な形成を不可能にする教育のシンボルとして、
「日の丸・君が代」が強制され、政治的に利用されるものとなっている。
当初から危惧をおぼえていた
教師への「日の丸・君が代」強制は子どもへの強制に帰着する、
ということが、今や現実のものとなっている。
それゆえ、「日の丸・君が代」問題の意味を
市民に広く理解してもらうには、
教育とはそもそも何かということを理解してもらうことがポイントとなる。

つまり、「教育の規格化・陳腐化」と
子どもへの「日の丸・君が代」の強制は表裏一体をなしている。
子どもの「欲求の自由な意見表明」を抑圧し、
子ども一人一人の「人格の全面的発達」をさまたげるものとして、
「日の丸・君が代」の強制が進行している。
教育とはそもそも何か、どうあるべきかという観点から
「日の丸・君が代」の強制の問題を語っていくことが大事だと理解した。

世取山さんの講演に続いて、東京の学校現場で進行していること、
また、根津公子さんはじめ、東京の「君が代」不起立処分者の闘いの報告。
そして、私たち大阪の闘いや千葉、神奈川、愛知、福岡等の闘いの報告。
「改憲・戦争阻止!教え子を再び戦場に送らない!
広島教職員100人声明」を出して、8月5日全国教職員ヒロシマ集会
への参加を呼びかける広島からの報告。
さらには、東京の各市民団体からの発言等々。

午前中から午後にかけての集会を終えた参加者は、
5時から銀座・数寄屋橋に向けてデモを行った。

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「日の丸・君が代」と子どもの良心の形成(世取山洋介さん)講演:聞き書き版

2019-08-08 09:00:09 | 全国から
7月21日の「日の丸・君が代」問題等全国交流・学習集会におけるメイン講演は、私たちの今後の運動にとって非常に示唆に富む素晴らしいものでした。

いずれ公式報告集が出ますが、それまでは、どうぞ大阪ネットの寺本勉さんの「聞き書き版」で、そのエッセンスを味わいください。


「日の丸・君が代」と子どもの良心形成

世取山(よとりやま)洋介さん(新潟大学准教授)

はじめに

今日は参院選の投票日。そこで、2012年からの安倍第二次政権による教育再生実行改革の中で教育政策を振り返り、「日の丸・君が代」強制をとらえたい。さらに、子どもの人格形成・良心形成という観点から、「日の丸・君が代」強制がどのような意味を持つのかを考えたい。

安倍第二次政権における教育再生実行改革

安倍政権は、再成立以降の七年間で、教育改革をはじめとした自らの政策・野望を実現してきた。
教育再生実行改革においては、人材育成を唯一の目的として、国民の「統合と排除」、つまり統合とともに排除を行うことがポイントになっている
2012年までの教育改革は、競争的市場原理主義に基づいて、学校の階層化による校長の権限強化によって、エリート層の育成、立ち遅れた学校の淘汰が進むと考えられていた。しかし、それではうまくいかないということで、2012年以降、特定の産業を重点的に発展させるという産業政策にもとづく労働力政策を打ち出し、そのことを、学校体系の複線化による「効率的なエリート選抜」「非エリート向け教育の陳腐化」「いずれにも適応できないものの排除」を柱として、実現しようとした。
その展開がどのように行われたのか、行政組織・学校体系・学校組織の改革、教育内容の改革、生徒指導の3つの面で考えたい。

2015年の地教行法改正が持っていた意味は、地方交付税を紐付きにして(国庫負担制度化)、特定の方向へと誘導する、具体的には、学校統廃合と小中一貫校創設、高校の多様化、つまり学校体系の複線化を誘導することにあった。創設された大規模小中一貫校では、規模が大きすぎて、生徒一人一人と向き合うまともな教育ができずに「収容施設」化している。今まで通りに小学校を維持できるのは、豊かな財政を持つ自治体だけになり、その結果、従来の6・3・3制を歩めるのはエリートだけということになる。
高校多様化の中では、たとえば高校3年間で、その地域の特産物を作り出そうとして、作られた「特産物」を道の駅で売るという教育が行われている。この子たちの高校3年間は何だったのか、という思いになる。
中教審答申(2015年)に基づく教員改革によって、教師の本務である「教育」のダウンサイジングがすすみ、チーム学校の名の下に教員が担う教育を切り刻んでいっている。教員が担ってきた教育の中で、生活指導は大きな位置を占めてきた。子どもの生活を抱え込んで、科学的に子どもをとらえる伝統があったのだが。一方で、給特法はそのままにして、教員の無定量の労働時間の存続と正当化がはかられ、学期内の超過勤務は存続させている。

2018年、学習指導要領が、それまでの全国的な最低水準の維持のための統制から、全面的にあるべき教育を規定するものへと変えられ、方法までに及ぶ全面的な統制へと向かっている。では、学習指導要領の法的拘束力は、全国的な最低水準の維持のために必要との最高裁判例だが、この段階でも法的拘束力は果たしてあるのか、という問題が出てくる。この問題について、文科省は沈黙しているが、元文科省官僚の前川氏らは、いまや法的拘束力はない、指導・助言というべきだと主張している。
その中で、アクティブ・ラーニングとICTの活用が進められている。アイパッドによる教育では、ソフトは民間に任せている。電子黒板を全教室に導入して、教師の仕事は電子黒板の操作へと切り縮められるのではないか。まさに教育の規格化・陳腐化によって、子どもたちの葛藤の中で真理に到達するというプロセスが学校教育からなくなっていく。電子黒板とアイパッドで進められる授業では、ある意味「美しい」場面が展開されるが、子どもの成長にとっては何の意味も持たない教育になってしまっている。
教科書検定基準の改悪(2017年)によって、教科書には政府見解や最高裁の判断を書き込むことが義務付けられた。特別の教科として「道徳」が新設されたが、その教科書では、22の「徳目」を子どもたちにどのように刷り込んでいくのか、をはっきりと書かないと検定に合格しないようにされた。「道徳」の授業では、「恥」という概念を「道徳」の基礎において、子どもの教育を行うことが求められている。近代的な「恥」の概念とは、自分の人格が嫌だと思うこと、人格を取り替えたいと思うことである。そこには、近代的な個人の確立が前提とされている。だから、戦前の教科書では「恥」が出てくるのは、兵士の敵前逃亡の場面だけだった。「道徳」の授業の中身は、徳目に従って行動できないときに「恥」を感じなさい、人格を入れ替えなさい、というもので、子どもたちに「恥」を知れということを教えるものだ。

生徒指導では、いじめ防対法(2013年)では、懲罰主義の拡大と、何でも第三者委員会に任せて、学校が主体であることの希釈化が打ち出された。さらに、教育機会確保法(2016年)によって、人材育成に基づく「統合と排除」の周辺への拡大がおこなわれた。

展開の全体的特徴と学校で起きていること

こうした展開の全体的特徴として、一つは利用できるものは何でも利用するというショック・ドクトリン的手法があり、もう一つは青写真をしっかりと持っていて、それをどのように実現するかは体系的には持っていないが、問題が出てきたときに、問題の解決策であると称して、そのパーツの現実化を図ろうとしてきたことがある。
この流れのもとにあって、学校で起きていることは何か?
学校については、教育の責任範囲が人格の全面的発達から、「学力」形成への縮減がおこなわれ、さらに学校内での階層化がすすみ、つまり上意下達の組織に変えられた。
教師については、本務である「教育」を授業へと縮減させるとともに、労働時間政策が授業準備や自主研修などを労働時間の中に組み入れられないままで進められている。本務である「教育」の一環としての生徒指導は、規則制定とその機械的適用に縮減されている。
子どもにとっては、先生は授業する人、ないしはゼロトレランスを実行する人として現れる。自分のことを全体として分かってくれている大人が学校にはいなくなり、学校に頼る意味がなくなる。自分の悩みなんか学校や教師に相談できないという不信感を持つだろう。電子黒板などを使った陳腐化された授業を受けることだけが学校に行く意味になる。

「日の丸・君が代」問題の位置付けの変化

こうした中で「日の丸・君が代」問題の位置付けが変わっているのではないか?
東京の「10.23通達」(2003年)とそれ以降の「日の丸・君が代」強制は、校長独裁制実現のための手段であった。当時の石原慎太郎知事にとって、新自由主義的教育改革に乗り出す格好の口実となった。その結果、論争的主題を教師は子どもたちに提示して、そこから考えることの意味を教えるという教育を進めることを不可能にしてきた。その意味では、国家主義イデオロギー統制は副次的であったのではないか、と私は考えている。
レジュメには、陳腐化した教育の中で、「光り輝く筋(?)」としての国家への帰属意識・忠誠意識の涵養の手段という新しい位置付け、と書いたが、安倍にとって、国家が国民を統合する際のイデオロギー統制とは、国家が作った共同体イメージの中に国民を統合していくことだと考えられる。この国家イメージを象徴するものとしての「日の丸・君が代」という位置付けになる。
しかし、その国家イメージはまだうまく作り出せていないのではないか。政府によってねつ造されるはずの「共同体」イメージの内容は、経済的自己責任と大国日本への忠誠である。そういう長時間低賃金労働と福祉国家の縮小を受け入れた上での、経済的自己責任を受容する自由で強い個人の集合体としての日本、そして日本がグローバル経済競争に打ち勝つことに熱狂し、それに忠誠を誓う個人の集合体としての日本という物語をいかに作れるか、が問題となっている。
道徳の「特別の教科化」にもかかわらず、「共同体」イメージのねつ造が進んでいないからこそ、イメージねつ造と「日の丸・君が代」の利用が進むはずだ。そのためには、再びショックドクトリン手法を使うのではないか
文科省の4・22通知では、代替わりに伴う「日の丸」の掲揚の要請と「国民こぞって祝意を表する意義について、児童生徒に理解させるようにすること」という要請が行われた。前天皇が退位を表明する際、非人間的な生き方を強いられてきた天皇が退位表明という形ではじめて人間的な発言をしたということについて、私は生きている天皇に初めて共感してしまった自分に動揺してしまった。生きている人間を象徴にしてしまう残酷さを感じた。この点について、他にそのように考える人がいない孤立感を感じていたが、樋口先生が「奴隷制」だと表現してくれて、ホッとした(朝日新聞、5月3日?)。
「日の丸・君が代」の位置付けが変化してきている。これまでは、教師の教師としての職能的自由の侵害であり、その基礎に座るべき教師の個人としての市民的自由の侵害であり、教師が教師であることを許さないシンボルとしての「日の丸・君が代」の強制であった。
これからは、政府のねつ造する共同体イメージのシンボルとしての位置付けが増していけばいくほど、子どもの非宗教的良心(自らの行動を律するその人独自の価値体系)の形成を操作し、その自律的な形成を不可能にする教育のシンボルとして、「日の丸・君が代」が強制され、政治的に利用されるだろう。良心は、宗教が力を持っていない現在では、非宗教的に形成されるものではないか、と私は思っている。

子どもの非宗教的良心形成と教師・学校

人格とは、社会と自然という外界に関する認識を、その人独自に統合したものだが、外界の認識を許さないシンボルとしての「日の丸・君が代」、教育の陳腐化が進む中で、まともな教育をやっているシンボルとして愛国心の涵養がすすめられるだろう。そのことによって、良心形成を不能にするだけでなく、その基礎としての科学的認識をも不可能にする。
科学的認識と価値体系は連続して形成される。この子どもたちによる、この連続体の形成に責任を持つということが人格の保障に責任を持つということだ。このような連続体は、どのようにして形成されうるのか。そのためには、子どもの成長にとって、自らの要求・欲求にたいして応答してくれる教師を必要とする。
私が指導した大学院生の研究の結論を紹介すると、小1までは、遊びは空想の中で自らの要求・欲求を実現することだが、学童期では遊びの中で得た経験と教師から得た科学的概念を結びつけて、子どもたちは認識を形成していく。思春期以降は科学的概念を遊びのように使って、社会的概念を形成していくということだった。
そのためには、教師はどのような自由を持たなければならないのか?それは、市民的自由の保障の上に職能的自由が保障されなければならない。それに加え、集団化され、自治的に運営される教師集団が必要だ。
国連子ども権利委員会への提訴について、「日の丸・君が代」問題を20年来トライしてきたが、うまくいっていない。子ども権利委員会は、子どもへの強制はないという姿勢で止まっている。教師に強制することが子どもにとって悪影響を与えることを説得するのは今後の課題である。ヨーロッパでは国民統合に教育を使うのは常套手段なので理解されにくいのかも知れない。
民主的に形成された教師集団こそが、子どもの要求・欲求に応答できる。学校行事を教員集団が作り上げること、教員が集団化することについての意味が社会で理解されていないのではないか。それを理解してもらうことが必要だ。

最後に、教師への「日の丸・君が代」強制は子どもへの強制に帰着する、という当初から確認されていたテーゼが正しいことが確認されたが、「日の丸・君が代」問題の意味を市民に広く理解してもらうには、教育とはそもそも何かということを理解してもらうことがポイントとなる。

(文責:寺本勉)
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第9回「日の丸・君が代」問題等、全国学習・交流集会の報告

2019-07-31 05:38:23 | 全国から
標題の集会報告を、ZAZAメンバーの山田肇さんの管理するブログ「ブラックボードに義を」から転載します。


以下転載---------------

全国から集う!全国で闘おう!
第9回「日の丸・君が代」問題等、全国学習・交流集会が、
7月21日(日)、東京の日比谷図書館文化館・地下ホールで開かれた。

今年の全国学習・交流集会は、「日の丸」「君が代」の強制等と闘う
多くの人々が集まり、元気をもらう集会となった。

まずは、『「日の丸・君が代」と子どもの良心形成』と題する
世取山(よとりやま)洋介さん(新潟大学准教授)の講演。
世取山さんの講演の大すじは、
2012年、安倍第二次政権による教育再生実行改革の中で、
教育政策を振り返り、「日の丸・君が代」強制をとらえたい。
さらに、子どもの人格形成・良心形成という観点から、
「日の丸・君が代」強制がどのような意味を持つのか、
を考えるということだった。

その講演の中で、心に残ったこと。
「教育内容改革」と称して、
アクティブ・ラーニングとICTの活用が進められているが、
電子黒板とアイパッドによる教育は、まさに教育の規格化・陳腐化。
子どもの成長にとっては何の意味も持たない教育になってしまっている。
つまり、子ども・教師の相互的関係にもとづく授業が排除され、
子どもたちの発問や葛藤の中で真理に到達する
というプロセス(授業)が学校教育からなくなっていってしまう。

教師が教師であることを許さないシンボルとしての
「日の丸・君が代」の強制から
子どもの自律的な形成を不可能にする教育のシンボルとして、
「日の丸・君が代」が強制され、政治的に利用されるものとなっている。
当初から危惧をおぼえていた
教師への「日の丸・君が代」強制は子どもへの強制に帰着する、
ということが、今や現実のものとなっている。
それゆえ、「日の丸・君が代」問題の意味を
市民に広く理解してもらうには、
教育とはそもそも何かということを理解してもらうことがポイントとなる。

つまり、「教育の規格化・陳腐化」と
子どもへの「日の丸・君が代」の強制は表裏一体をなしている。
子どもの「欲求の自由な意見表明」を抑圧し、
子ども一人一人の「人格の全面的発達」をさまたげるものとして、
「日の丸・君が代」の強制が進行している。
教育とはそもそも何か、どうあるべきかという観点から
「日の丸・君が代」の強制の問題を語っていくことが大事だと理解した。

世取山さんの講演に続いて、東京の学校現場で進行していること、
また、根津公子さんはじめ、東京の「君が代」不起立処分者の闘いの報告。
そして、私たち大阪の闘いや千葉、神奈川、愛知、福岡等の闘いの報告。
「改憲・戦争阻止!教え子を再び戦場に送らない!
広島教職員100人声明」を出して、8月5日全国教職員ヒロシマ集会
への参加を呼びかける広島からの報告。
さらには、東京の各市民団体からの発言等々。

午前中から午後にかけての集会を終えた参加者は、
5時から銀座・数寄屋橋に向けてデモを行った。

https://blogs.yahoo.co.jp/yamada55132/39039748.html


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ILOセアート院内集会の報告

2019-04-23 16:11:38 | 全国から
東京の渡辺厚子さんからうれしい報告が届きました!4月19日の院内集会には、大阪ネットより山田光一事務局長、さらになかまユニオンから2名が参加しました!


4月19日院内集会
80名余の参加で無事に記者会見・院内集会をおわることができました。お話くださった前田朗さんや寺中誠さんに、そして弁護士金井知明さんに大きな感謝です。大変にわかりやすいしかも内容の濃いお話をしていただけました。大阪からもご参加いただき、ありがとうございました。

今回アイム89東京教育労働者組合が申し立てた「日の丸君が代」強制問題は昨年10月1日から5日にかけて開かれた第13回セアートの会議で最終所見が採択されました。今年2019年3月20日第335ILO理事会で承認公表され4月3日から17日にかけて開かれていた第206ユネスコ執行委員会の中で4月15日に討議され公表されました。とても原則的ないい勧告をもらい、私たちをはじめ、多くの人が勇気を得ることができたと思います。

どう勧告を使っていくか、これからが勝負です。

友人から送ってもらった東京新聞の記事を添付します。

天皇代替わりを前に「日の丸君が代」の闘いの意味、強制によって何が変質させられたのか、を問い、
しかし、国際水準からの勧告を紹介して希望はあることを示したとてもいい記事です。

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日の丸・君が代 問われた平成 進んだ愛国心強制
処分の教員「私の心 変わらなかった」


 「日の丸」掲揚と、「君が代」の斉唱が学校教育で規定された1989年の学習指導要領改訂から30年、平成の時代は教師らにとって、思想良心の自由に「踏み絵」を迫られた時間でもあった。卒業式などで起立せず、君が代を歌わなかったのは職務命令に反するとして、処分を受けた教師らがその違憲性を訴えた裁判は今春、集結。国際労働委員会(ILO)は日本政府に改善を促した。国旗国歌の強制問題は今、どこにあるのか。                                (安藤恭子、石井紀代美)

 「私にとって『日の丸・君が代』は、日本の侵略戦争の象徴。職務命令には従えないと思った。子どもたちが主役の式を乱すのではないか。式のたびに迷ったが私の心は変わらなかった」
 東京都内の特別支援学校の小学部教諭を務める田中聡史さん(50)は語る。田中さんは2011~13年の卒業式と入学式の計5回、職務命令に従わなかったとして、都教育委員会から戒告3回、減給2回の懲戒処分を受けた。処分取り消しと損害賠償を都に求めた集団訴訟「東京『君が代』裁判」の第四次訴訟の原告13人の1人だ。
 最高裁判決で戒告処分が違法だとされた第一次訴訟からの積み上げを目指した第四次訴訟で、最高裁第一小法廷は3月、双方の上告を受理しない決定をした。戒告処分の取り消しや損害賠償は認められなかったものの、戒告より重い減給処分を科すことには、取消しを認めた一・二審判決が確定した。
 田中さんにとって、定年後の再雇用が望めなくなるなどの不利益よりも辛いのは、「大声で『君が代』を歌う子どもたちの姿」。「知らないうちに愛国心を刷り込まれる現状を変えられなかった」と話す。
 原告代理人の沢藤藤一郎弁護士は「君が代の強制が、憲法が保障する人権でも最も重い思想良心の自由を侵すのは明らか。『違憲』と認められなかったのは怒りしかない。ただ、教職員に実害がある減給より上の処分は繰り返しであっても『裁量権の逸脱乱用』と判断される。都教委の言い分も通らなかった。判決は痛み分けだ」とみる。
 「処分を放置すれば、戒告から減給、停職へと重くなり、最後は懲戒解雇だ。これは、教員が思想や信条、良心を棄てるまで処分し続ける『転向強制システム』だが、先生たちの勇気ある裁判が、都教委の暴走を止める歯止めとなった」
 東京の教師らに対する処分問題は、2003年、「教職員は会場で国旗に向かって起立し国歌を斉唱する」と定めた、石原慎太郎都政下の「10・23通達」にさかのぼる。1999年制定された国旗国歌法も当時の小渕恵三首相は「新たな義務は課さない」と説明したが、石原都政は強行した。「『日の丸・君が代』不当処分撤回を求める甲斐被処分者の会」によると、通達に基づき懲戒処分を受けた教職員は教職員は2017年度までに延べ480人余り、教員らが処分取り消しや再雇用拒否の撤回を求めた裁判も、計26件に上る。
 沢藤氏は「日の丸・君が代は国家のシンボル、式典では、個人が国家と向かい合う姿が可視化される。立って歌えと命令することは国家を敬えという強制にほかならない。都教委という統治機構の側が、絶対やってはならないことだが、秩序のために強行する。司法も合理的秩序は教育行政として必要と追認しているのが現状だ」と批判する。
 大坂では11年、橋下徹知事(当時)の下、国歌斉唱時の起立を求める「君が代起立条例」が成立。教職員が国歌を斉唱しているか管理職が目視で確認、校長が府教委に報告するよう求める「口元監視」の通知が出される事態に「やり過ぎ」と批判が上がった。

妨げられる自由な考え 民主主義の脅威
思考停止生む圧力
ILOが是正勧告 不当な扱い中止を

 日の丸・君が代の強制をめぐり、現場への圧力は高まるばかりだ。
 文部科学省によると、学習指導要領改訂後の1990年の卒業式で、全国の公立校の国歌斉唱の実施率は小学校76・7%、中学校71・3%、高校55・3%だった。2013年にはほぼ100%に達し、「適切に実施されている」(教育課程課)として、それ以降は調査されていない。実施を求める動きは、小中高にとどまらず、国立大学や幼稚園や保育所にも及んでいる。
 「愛国教育」も加速している。06年12月、第一次安倍政権下で「愛国心」の養成を盛り込んだ改正教育基本法が成立した。第二次政権下でも政治の意向に沿う形で、竹島や尖閣諸島を「固有の領土」と明記する教科書が増えた。小中学校で道徳教科化も始まり、心の内面が評価されるようになった。
 来春の東京五輪・パラリンピックに向け、「国威発揚感」も高められる。
 名古屋大学の愛敬浩二教授(憲法)は教員に対する強制について、「思想良心の自由」を侵すという問題のほか、教員が権力に迎合する自分の姿を生徒に見せるという教育的モラルの問題もあると指摘する。
 国家に有用な人材をつくることを目的とした戦前教育の反省から、戦後は一人一人の能力をより良く発展させることに重点が置かれた。「自分の頭で考え、おかしなことには『おかしい』と意見を言うことが重要だと子どもに教える。なのに、自分のしていることはどうなんだ、と矛盾を突き付けられる問題でもある。『日の丸・君が代が嫌なら教師を辞めればいい』と言う人もいるが、それでは済まない問題だ」
 東京大の高橋哲哉教授(哲学)は。日の丸・君が代強制問題の本質を「思考停止システム」と見抜く。
 本来、入学式などの式典での国旗掲揚や国歌斉唱は当たり前ではない。自由な式のやり方があるはずのに処分でもって思考を止めてしまう。日の丸・君が代が戦争の汚点を反映するものでも、教員を命令に従うロボットに変えてしまう。「そんな教員を見て育つ子どもは、自由な思考が妨げられる。人間は、自由にものを考えることで危機に対応できる存在。思考停止は民主主義にとっての脅威であり、国そのものを崩壊させる。国家権力が自滅したナチスや軍国日本のようになりかねない」と警鐘を鳴らす。
 19日、国会でひとつの集会が開かれた。学校現場で日の丸・君が代が強制されてきた問題に対し、ILOと国連教育文化機関(ユネスコ)の合同委員会が出した是正勧告を紹介するものだった。
 「日の丸・君が代の強制が、国際社会からも異様なものとして受け止められた」。独立系教職員組合「アイム89東京教育労働者組合」の北原良昌執行委員長は報告書をそう評価する。
 これまで国などは、斉唱と起立は単なる儀式であると主張してきた。しかし報告書は「ある歌を歌ったり式典で起立したりすることは極めて個人的な行為。そのような行為を強制する規則は個人の価値観や意見の侵害とみなしうる」と、日本政府とは正反対のとらえ方をした。「愛国的な式典」で国旗掲揚や国歌斉唱をしたくない教員も対応できるルールを作ることなどを日本政府に求め、教員らに対する不当な扱いを中止するよう求めている。
 文科相財務課の鞠子雄志課長補佐は「こちら特報部」の取材に対し、「勧告はまだ正式に伝達されていない。それを待って対応を精査する」と答えた。
 14年に合同委員会に申し立てた元都立特別支援学校教員の渡辺厚子さん(68)は訴えた。「上意下達を強いられてきた教員が再び、子どもの成長のために息を吹き返すことができるか。国や都は、教員を一方的な命令に服させる対象としてではなく、生き生きとした教育を一緒に作っていく主体として捉えてほしい。この勧告が転換のきっかけになることを願っています」

デスクメモ
 丸谷才一の「裏声で歌へ君が代」は約40年前の小説だが、本のカバーに丸谷の言葉がある。「わたしは政治的人間ではない。しかし、そんな人間にこそ政治は襲ひかかるし、あるいは、そんな人間ほど、政治に襲ひかかられたと感じるものらしい」。いま、ずしりと胸に刺さる言葉。           (直)


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