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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

それは戦後最大の「思想弾圧事件」だった 『ルポ「日の丸・君が代」強制』(永尾俊彦著)

2021-04-27 11:22:00 | レイバーネット

私たちにとって、待ちに待った永尾俊彦さんの新刊本が昨年12月出版されました!多くのみなさんにぜひとも読んでいただきたいです。僭越ながら、ZAZAの一員である志水がレイバーネット「本の発見」に書評を寄稿しました。



それは戦後最大の「思想弾圧事件」だった

『ルポ「日の丸・君が代」強制』(永尾俊彦著、緑風出版、2700円+税)評者:志水博子

 「沖縄に行けば日本が見える」――誰の言葉だったろうか、よく聞く。東京から遠く離れた沖縄で何が起こったか、今どういう状況にあるか、実はそこから日本の外交・政治の本質が露わになる、さらにはこの国に住む人々の意識すら見えてくるということだろうか。

 本書の感想を一言で言えば、それに重なる。つまり「日の丸」「君が代」の問題は、たんに国旗国歌の問題ではなく、まして教員処分とその撤回を求めた裁判の問題であるばかりでもなく、言ってみれば、そこから見えてくるものは、戦後日本社会の歴史であり、今につながる教育の歴史であるということだ。

 街に出れば、教育関係の書物が溢れている。教育と社会はニワトリとタマゴの関係のようだ。教育が社会を出現させ、社会が教育を規定する。ならば、私たちがどんな社会を目指すのか、教育抜きには考えられない。今、さまざまな角度から教育が問われている。学力問題は子どもの豊かな学びを保障できるのか。イジメや体罰、パワハラ・セクハラ、なぜこうも学校や教員が子どもを傷つける事件が頻発するのか。学校とは何か、等々。しかし、その時に忘れてならないことは、これまでの政治・経済や外交、法律・地方自治、一言でいうなら、私たちの戦後社会がこのような教育を出現させてしまったことである。その歴史を問わなければ、どれほど優れた啓蒙書を読んだところで、私たちが未来に目指す教育を構築することなどできはしないだろう。そう捉えたとき、「君が代」を軸として戦後教育と社会の構造を解き明かした本書が私たちに示唆するものは極めて大きい。

 著者は、学校への「君が代」強制・懲戒処分を戦後最大の「思想弾圧事件」と呼ぶ。丹念な取材を通して著者が明らかにしたことは、著者自身の言葉によれば、「『日の丸・君が代』強制の問題を取材していると、この国の統治の『カラクリ』が見えてくる」。私の読後の感想もまさにそれに等しい。

 本書の構成に即して感想を述べたい。第一部は、かつて少国民と呼ばれた人たちへの取材を通して戦時の教育の実態が明らかにされる。とりわけ興味深かったのは、第三章「『君が代』の道徳『生と性の賛歌』から天皇への讃美歌へ〜川口和也さんの研究」である。川口さんの研究によると、「君が代」は親しい人の長寿長命を祈る歌から次第に生と性を寿ぐ裏の意味を有するようになったという。「この列島の庶民の生・性・死にまつわる実に豊かな歴史が『君が代』には刻み込まれていた」と。ところが近代を迎え「天皇の御代」を讃える歌として、庶民の歌だった「君が代」は国家に奪われ、かくして、日清戦争突入後、学校で子どもたちは一斉に「君が代」を歌うことが強いられ、天皇を「現人神」とする信仰が国民に浸透していく。それは、いわば文化が天皇制に奪われていく過程であった。

 第二部「東京編」、第三部「大阪編」には、「君が代」強制・処分の歴史と現在が描かれている。数々の資料を駆使し、入念な取材を通して浮び上がってくるのは戦後教育史そのものである。特に東京編第一章は圧巻である。敗戦から約1年後、前首相であった幣原喜重郎は敗戦の原因を「教育の誤りによる」と総括した。ところがそこから始まった戦後教育が、なぜ「教育の死」と言われるまでに至ったのか、外交・政治の影響のもとにどのような歴史的変遷から今に至ったか、ぜひ読んでいただきたいところだ。大阪編第二章には、維新政治の実態とともに、あの「森友事件」の主役ならぬ脇役(主役は誰かおわかりいただけると思うが)である籠池泰典さんへの最新のインタビュー(2018.7.21)が掲載され、教育事件としての森友問題が明らかにされる。

 東京編・大阪編ともに第二章に登場する教員たちの苦悩と理念へのインタビューはまさに肉薄といってよく、一人ひとりの思いが溢れている。ここでは、1969年生まれ、特別支援学校で美術・図工を担当する田中聡史さん(写真)に触れたい。田中さんはすでに「君が代」不起立で10回処分を受けている。その都度、東京都教育委員会は思想転向強要システムともいえる再発防止研修を課し、「反省」を迫る。彼は「ピカソの『ゲルニカ』という絵画の意味を理解できる美術の教員でいたい」という。著者はその思いを次のように語る、「『ゲルニカ』はスペイン内戦に介入したドイツ軍が1937年に無差別爆撃によって破壊した都市ゲルニカの惨状を描いた作品だ。この作品を本当に理解するには、鑑賞者がどういう立場なのか、どういう生き方をしているのかが問われると田中さんは考えている。自分にこの絵を見る資格があるのかと正面から自分を見つめ、考えている。そのような田中さんには『面従腹背』はあり得ない」。先の再発防止研修について、田中さんはこう言う。「わたしには、反省のしようがないんです」。そういった人物ルポとともに、本書はまた「君が代」裁判史の記録としても充実している。錚々たる学者の「意見書」が紹介されている。

 著者が、いわば「君が代」強制命令という思想弾圧事件の全貌を描いたのはなぜか。「あとがき〜日本の良心」にそれが書かれている。「本書が、教職員の苦悩と行動を通し、子どもたちのための学校はどうあるべきなのかを考える一助になれば、幸いだ」。教育に関心のあるすべての人々に読んでいただきたい書籍だ。

 最後に、私も著者から取材を受けたひとりであるが、「君が代」強制問題をそれだけに留めず、このように未来の教育を考える手がかりとして書いてくださったことに感謝したい。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子・志水博子、ほかです。

http://www.labornetjp.org/news/2021/hon201
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根津公子の都教委傍聴記(2018年8月23日)「教科書といじめ」

2018-08-27 16:16:16 | レイバーネット
根津公子さんの都教委傍聴記第2弾は<都教委定例会>報告。私たちは、5年前の「日本史」教科書採択への不当介入を鮮明に覚えている。あの事件を風化させてはならない・

また、いじめ問題については、根津さんの言われる通りだ。差別分断の社会を私たちは変えていかなkればならない。小手先の解決策ではいじめを根絶することはできないだろう。

以下、レイバーネットHPより転載

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 定例会の公開議案は「来年度使用の高校用教科書の採択について」、公開報告が「第2期都教委いじめ問題対策委員会答申について」。

 教科書採択は、各学校が選定した教科書がすべて採択された。
 実教出版「高校日本史B」が「日の丸・君が代」について「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」と記述したことに対し、都教委は2013年6月27日の定例会で、「都教育委員会の考え方と異なるものである」から「使用することは適切でないと考える」とした「見解」を各学校に通知し、選定を「0」にさせてきたことへの自戒的反省はどの委員からもなかった。2018年度改定の実教出版「高校日本史B」がこの記述を変更させたために、都教委「見解」は姿を消したが、学校に圧力を加えた都教委の事実を、とりわけ教育委員は忘れてはいけない。この「見解」を決めるのに、非公開の教育委員会を秘密裏に開いたのだから。



 「第2期都教委いじめ問題対策委員会答申」は、2015年度と2016年度を比較して成果があったこととして、「学級担任やアンケート調査等により、いじめを発見した件数が増加」した、「学校いじめ対策委員会が対応した件数及びいじめの解消率が増加傾向」「子供自身にいじめ問題について考えさせる取り組みをしている学校が増加傾向」にある等を挙げる。また、課題として、「インターネットを通じて行われるいじめに対する対応強化」「誰にも相談していない子供の支援の充実」「子供が多様性を認め、自己肯定感を育む場や機会を意図的に設定」するなどを挙げ、改善の方向性を挙げる。
 しかし、これではいじめの抜本的解決にはならない。大人社会には差別がまん延し、その中で子どもたちも生きているのだから、差別分断の社会を変えることにしか、いじめの解決策はない。また、障害を持つ子どもを特別支援の名の下に分離する教育を、世界の流れに倣い、“どの子も一緒”の学校教育にすることだ。
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根津公子の都教委傍聴記(2018年8月23日) 「英語より母語のマスターが先だ」

2018-08-27 14:55:07 | レイバーネット
レイバーネットHPより転載。まず、第1弾として、東京都教育総合会議傍聴記を。ちなみに、総合教育会議とは、「地方教育行政法の改正に伴い、2015年4月から、各都道府県・市町村に設置される会議体。首長と教育委員会により構成され、地域における教育行政の指針となる大綱を策定する。」(デジタル大辞泉)というもの。為政者である知事や市長が直接教育に介入するだけに、私たちは今後注視していかなければならない。傍聴記を読む限りでは、東京都教育委員会は、早期からの英語教育を再考しなければならないはずだが、、さぁ、どうだろうか?

根津さんの、
「読解力がないことで「労働力不足なのに失業や非正規雇用が増大」と結論づけるのは暴論だ。首切り自由・非正規雇用を進める国の政策に目を向けず、向けさせず、それが各人の読解力=学力に起因すると結論づけ、生徒の自己責任とするものだ。」に共感。

以下転載〜

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

根津公子の都教委傍聴記(2018年8月23日)

「英語より母語のマスターが先だ」

<第1回東京都総合教育会議>報告

 今年度総合教育会議はこの日が第1回目。「これからの時代に必要な『読解力』を育てる』という議題で、2011年度から「ロボットは東大に入れるかプロジェクト」を立ち上げ、調査研究をしてきたという新井紀子教授(国立情報学研究所、(社)教育のための科学研究所)が「AI時代を生きるための『読解力』とは」と題して講演。その後、淵江高校数学科の主任教諭と江戸川高校の国語科教員から短い報告があった。

 新井教授の話は――。AIは、意味は理解できないが、キーワードを上手くたくさん入れれば、「よく当たる」こともある。一方、意味がわかるはずの高校生が、意味のわからないAIに敗れるのはなぜかを、文章題の質問に答えさせることで調査した結果、
① 正答率(読解力)と偏差値とは相関関係にある。
② 就学援助(金受給)とは強い負の相関関係にある。
③ 中学生は学年が上がるごとに読解能力が上がるが、高校生は上がっているとは言いがたい。 とのこと。

 この調査結果から新井教授が導き出した結論は、
「教科書が読めない→予習も復習もできない。貧困下でも塾に通わなければならない→AIに職を奪われる、新しい職種に移動できない→労働力不足なのに失業や非正規雇用が増大→格差拡大、内需低下、人口がさらに減少」したがって、「中学を卒業するまでに、教科書を読めるようにすることが公教育の最重要課題」とのこと。

①~③は調査するまでもなく、予測できると思いつつ聞いていたが、読解力がないことで「労働力不足なのに失業や非正規雇用が増大」と結論づけるのは暴論だ。首切り自由・非正規雇用を進める国の政策に目を向けず、向けさせず、それが各人の読解力=学力に起因すると結論づけ、生徒の自己責任とするものだ。

 講義の後、小池都知事や教育委員から質問ややりとりがあった。その中から幾つかを挙げる。
小池知事:東京は英語教育を早期から行なっている。幼いときから英語をやると、読解力がなくなるか。
新井:母語がしっかりする前に慌てて英語をしなくていいのでは。英語を使いたいのであれば、音声翻訳が使える。
小池知事:プログラミング教育も東京では早期にやっているが、それも良くないのか。
新井:プログラミング教育をイベント的に年に何回かしても成果はない。プログラミングの基本は、定義をよく読むこと。
宮崎教育委員:英語よりも母語のマスターが先だ。

 学習指導要領の改定に伴い、今年度から3,4年生が英語活動を、2020年度から5,6年生は英語が教科化される。都教委は全国に先駆けて英語教育に力を入れ、多大な金をつぎ込んで、英語村・体験型英語学習施設「TOKYO GLOBAL GATEWAY」をこの9月に開業させる。宮崎教育委員も他の教育委員も、英語教育に反対する発言を定例会の場でしてはこなかった。ここでの宮崎教育委員の発言の趣旨は何だったのか。
 新井教授の発言を受けて、都教委は英語教育を再考する用意はあるか。
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行為ではなく人格を裁くのか!~河原井・根津「君が代」裁判で不当判決

2018-05-26 22:03:41 | レイバーネット
行為ではなく人格を裁くのか!~河原井・根津「君が代」裁判で不当判決


*左・根津公子さん、右・河原井純子さん
→動画(4分半)

 傍聴席からは「不当判決!」の声がひびいた。5月24日、河原井・根津「君が代」裁判(2009年事件)の東京地裁判決(民事19部春名茂裁判長)が出された。二人は、元東京都の教員。「君が代」不起立による6か月停職処分の取り消しと損害賠償を求めていた。判決は、河原井純子さんの処分を取り消したが、根津公子さんの処分は是認。損害賠償は二人とも認めなかった。東京都では、2003年10月23日に「君が代」強制の通達が出されて以来、延べ483名(2018年5月現在)の教職員が卒業式入学式などの不起立で処分されてきた。河原井さん、根津さんは、連続の不起立で、累積加重処分にされ、最も重い6か月停職処分を複数回受けている。



 原告の根津さんは「不当な判決にことばも出ない。わたしの行った行為ではなく、人格をさばいている。直ちに控訴する」、河原井さんは「君が代強制以来、教育現場はものが言えなくなった。戦争は教室から始まっている」と語った。傍聴者のKさん(元教員)は、「今日の真の敗者は、東京地裁と日本の司法だ。違法な処分を上書きした。司法は、三権分立を踏みにじって行政の追認機関になっている」と怒りをあらわにした。裁判所前では、春名裁判長を糾弾するシュプレヒコールが続いた。



 2012年の最高裁判決では、戒告をこえる超える減給・停職処分は違法とされ、以後処分は取り消されてきた。しかし、根津さんのみ処分是認が続いた。2015年の07年事件高裁判決(須藤典明裁判長)・最高裁決定では、画期的な処分取り消しが出されたものの、2017年の08年事件地裁判決(清水響裁判長)では再び是認された。なぜ、根津さんだけが取り消しの対象にならないのか。今回の判決にも明らかだが、裁判所は過去の処分歴を偏重し、根津さんを学校の規律・秩序を乱す者と決めつけている。不当なレッテル貼りで、法の下の平等を自ら犯す司法を許すことはできない。(佐々木有美)

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2009年「君が代」不起立河原井・根津停職6月処分取消訴訟東京地裁判決――河原井さんの処分は取り消すが、根津の処分は適法とする 損害賠償は認めず

     根津公子
 すでに佐々木有美さんがレイバーネットに報告してくれたように実にひどい判決でした。

 1月10日に行われた尋問(吉原眞一郎都教委人事部服務担当副参事、本人)が終わるや、裁判官3人は法廷を離れ15分後に戻ると春名茂裁判長は突如、判決日を言い渡した。抗議すると、「もう判断はできる」という趣旨のことを言って、退廷してしまった。尋問での証言をもとにした最終準備書面は必要ない、読まなくても判断できるということだったのだ。 尋問のために吉原副参事が提出した陳述書の一部は前年度の担当者の陳述書のコピペであり、2009年にはなかったことをあったかのように書いたものだった。2008年の2~3月私はこのままクビにされるのはたまらないと思い、「私をクビにしないで」と都教委に日参した。それを吉原副参事は2009年も続けたと陳述し、尋問でも、そういう事実が「ありました」と嘘の証言をした。また、私は、都教委が校長に「根津は11月にはいなくなる」(免職)と言ったことや私の業績評価を低く書き換えさせたことなど、音声を添えた証拠を提出していた。それらは、停職6月処分が適法か否かの重要な判断材料となるはずであった。しかし、裁判長はそれらを重視せずに判決を書いたのだ。もちろん、こちらは尋問から浮かび上がったことについて最終準備書面を出したが。

 したがって、根津敗訴判決は初めから分かっていた。結論ありきの判決だったのだ。判決を一読して、これは行為をではなく、私の人格を裁いたのだと思った。

 2008年停職6月処分を適法とした、地裁判決(2017年5月)も「根津は、あえて勤務時間中に勤務場所における本件トレーナー着用行為を繰り返し」「校長らの警告も無視して本件職務命令が発せられるような状況を自ら作出し・・・着用を続けた。このような一連の根津の言動は、・・・やむをえず不作為を選択したというものではなく、自ら学校の規律や秩序を乱す行為を積極的に行った」と、私が極悪非道なことをしたかのように書き、これを処分を加重してよい「具体的事情」とした。事実は、汚れてもいい作業着として着用しただけの不作為行為であるのに。この判決もひどいと思ったけれど、それに輪をかけたのが今回の判決。  今回はトレーナー着用禁止の職務命令もなく、処分を加重してよい「具体的事情」はなかった。だから、2012年最高裁判決に従えば、処分加重はできないはずである。また、2015年須藤高裁判決・2016年最高裁決定は、「過去に不起立行為以外の非違行為によって3回の懲戒処分と、不起立行為によって3回の懲戒処分とを受け、2回の文書訓告を設けているものの、これらの・・・根津の行為は、既に停職3月とする前回停職処分において考慮されていることや、本件不起立が卒業式での着席(不起立)行為であって、・・・処分を更に加重しなければならない個別具体的事情は見当たらない」として、「過去の処分歴」を「具体的事情」として使い回すことをしなかった。これが最新の決定なのだから、判決はこれを無視してはいけないはずだ。

 しかし、2008年事件、2009年事件地裁判決ともに、2016年決定を無視し、「過去の処分歴」を「具体的事情」とした。2008年事件は新たに都教委が作出したトレーナー問題があったが、2009年事件には新たな「具体的事情」はなく、同一の「過去の処分歴」を5度目の「具体的事情」としたのだ。2008年事件で「具体的事情」としたトレーナー問題もそこに加える。「自己の思想及び良心と社会一般の規範等により求められる行為が抵触する場面において、校長の職務命令に違反して、勤務時間中に、『強制反対 日の丸 君が代」または、『OBJECTION HINOMARU KIMIGAYO』等と印刷された服を着用するという職務専念義務違反行為に及ぶなど、あえて学校の規律や秩序を乱すような行為を選択して実行したものも含まれており、規律や秩序を害した程度は相応に大きい」と。

 判決は続けて、「本件不起立自体は・・・着席したという消極的な行為・・・であること、平成19年3月30日付停職6月の処分が取り消されていること等を考慮しても、過去の処分に係る非違行為の内容及び頻度、重要な学校行事等における教員の職務命令違反であるという・・・諸事情を綜合考慮すれば、・・・具体的事情があったものと認めることができる。」

 「過去の処分歴」は私に付いて回る。それは、2009年の私の不起立行為を裁いたのではなく、私の人格、思想を裁き全否定したのだ。

 「過去の処分」を「具体的事情」にすることは二重処分だとこちらが主張してきたことについて判決は、「前回の平成20年3月の停職6月の処分を更に加重するものではなく、前回と同じ量定の懲戒処分を科すものであるところ、一般的に、同じ態様の非違行為を繰り返している場合、前回の処分よりも軽い処分とせず、同一の量定の処分を行うことは、公務秩序を乱した職員に対する責任を問うことで、公務秩序を維持するという懲戒処分の意義や効果に照らし不合理であるということはできない。」加重処分ではないと開き直る。

 また、「平成19年3月30日付停職6月の処分が取り消されていること等を考慮しても」と言いながら、「同判決は本件とは事案を異にする高裁判決であって」と言い、考慮の跡はない。更には、「同判決も、前回と同一の停職3月の処分を科すことについてはこれを許容する余地があることを前提としているものと解される」と、加重処分ではないことの弁解に都合よく援用する(須藤判決は、前年の停職3月処分が2012年最判で適法と判断されたことを否定できなかった・しなかっただけのことなのだが)。

 2008年事件は現在控訴審に係属している。「私はこのトレーナーをずっと着用してきたが、着用禁止の職務命令を出したのは南大沢学園養護学校の尾崎校長だけ」と私が事実を主張してきたことに対し、2004年、2005年度在職した立川二中の福田校長が「根津は一度着てきたが、脱ぐように言ったら脱ぎ、その後、着用することはなかったので職務命令を出さなかったのだ」という主旨の陳述書を提出し、7月12日(予定)に証言台に立つという。在職当時、私にひどい対応をした人ではないのに、そうした普通の人が嘘の証言をする。アベ政治の官僚の小型版を見ているような感覚に陥る。当時の生徒たちが見た事実を書いてくれた陳述書や、同一の図柄のTシャツを着用していた高校教員の証言で被控訴人・都教委の主張の嘘を明らかにし、着用禁止を命じたのは尾崎校長だけであったことを立証し、何としても勝訴したい。でなければ、2009年事件も勝訴にもっていけないもの。

 「自己の歴史観や世界観を含む思想等により忠実であろうとする教員にとっては、自らの思想や信条を捨てるか、それとも教職員としての身分を捨てるかの二者択一の選択を迫られることとなり、…日本国憲法が保障している個人としての思想及び良心の自由に対する実質的な侵害につながる」と判示し、私の停職6月処分を取り消した2007年事件須藤高裁判決・最高裁決定が出たことの意味は大きい。最悪判決を前に一層そう思う。
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根津公子の都教委傍聴記(2017年1月26日)

2017-01-29 05:51:43 | レイバーネット
レイバーネットHPからの転載です。

●根津公子の都教委傍聴記(2017年1月26日)

パブリックコメントでしか発言できない教職員


 公開議題は、「学校職員の定数に関する条例の一部を改正する条例の立案以来について」の議案と、2つの報告「東京都特別支援教育推進計画(第二期)・第一次実施計画(案)の骨子に対する意見等について」「来年度教育庁所管事業予算・職員定数等について」)。非公開議案が教員の懲戒処分等2件。報告について紹介します。

「東京都特別支援教育推進計画(第二期)・第一次実施計画(案)の骨子に対する意見等について」

 2004年度からの都特別支援教育推進計画(第一期)が終わり、来年度から向こう10年間の第二期に向けての計画案が出され(11月)、それに対するパブリックコメント公募(12月)の結果が報告された。その結果に入る前に、「東京都特別支援教育推進計画(第二期)・第一次実施計画(案)の骨子」について簡単に紹介すると――。



 第一期の<主な成果>は ○知的障害特別支援学校の企業就労率の上昇 35.2%(H19) → 46.4%(H27) ○知的障害特別支援学校の普通教室数の増加 736教室(H16) → 1,239教室(H28) ○スクールバスの平均乗車時間の短縮 72分(H16) → 60分(H28)

 第二期は、「障害者権利条約の批准と関連する国内法の整備や、インクルーシブ教育システムに関する国の動向、障害者差別解消法の施行など、障害者を取り巻く環境は大きく変化。また、主権者教育の推進等の新たな課題への適切な対応が求められるほか、オリンピック・パ ラリンピックの開催、『2020年に向けた実行プラン(仮称)」の策定』」という状況変化に対応した特別支援教育を推進すると謳う。そして、「知的障害のある児童・生徒を中心に、今後も在籍者数の増加が見込まれる。」と言い、発達障害の児童・生徒への特別支援、副籍制度による交流(「障害のある子供たちと障害のない子供たちの相互理解や、思いやりの気持ちを育て、将来の共生社会を実現するための取組」)や「視覚・聴覚障害特別支援学校における進学指導の充実」などの「キャリア教育の充実」、そのための「専門性の高い教員の確保・育成」等を挙げる。



 インクルーシブ教育、共生社会と言いながら、どの子も一緒に育つという発想が都教委には(文科省も)まったくない。報告者は、「副籍制度による交流をする際に、偏見を取り除くよう指導が必要となる」と平然と言った。なぜ、偏見が温存されてきたのかについて、全く疑問を持たないといった様子だ。

 障がい者に対する差別・偏見を解消するためには、障がいを持った子どもも地域でともに遊び、ともに学ぶこと、同じ学校で遊び学ぶことが大事なのではないか。長い間一緒にいれば、思いやりの気持ちは育つはずなのに、学校(=生活空間)を分けられていては、その心の育つ環境が奪われる。相模原事件の背景に、障がい者を隔離してきたこの社会が関係することを、都教委は考えようとしないのだ。そうした指摘がされてきたにも関わらず。それは、差別解消を本気で考えてはいないということだ。文科省や都教委が学校を分けるのは、その方が安上がりだからか。



 さて、寄せられた意見は303件。内訳は、児童・生徒が1件、特別支援学校の児童・生徒の保護者が38件、小学生・中学生の保護者が19件、高校生の保護者が6件、そして何と、学校関係者が158件。「学校関係者が158件」について、「現場の声を吸い上げるのができていないということ。都教委は日頃から現場の声を聞く努力をしてほしい」(山口委員)と発言があった。それは正しい指摘であるが、現場の声を吸い上げなくなった原因が何にあるのかを問題にしてほしかった。

 2006年に都教委が「職員会議での採決禁止」を出して以来、東京の公立学校では教職員が議論を重ね、総意としての意見・要求を校長が都教委に持っていくという、それ以前は普通に行われていたことが全く行われなくなったのだ。また、都教委の考えに反対する意見を言えば、業績評価に影響するかもしれない。そうしたことから、現場の教職員はパブリックコメントとして意見を寄せるしかなかったのだろう。教育委員にそこを考えてもらえたら、都教委の学校支配の酷さが垣間見えたのではないかと思った。



 意見の幾つかを紹介したい。

①多様性を尊重する態度の育成や障害のある子供たちとの交流及び共同学習を重視するのであれば、障害のある子供とない子供の学ぶ場を分けずに共に学べる環境整備を行うべきである。(小学生又は中学生の保護者)

②基本理念の「活躍できる」「貢献できる」という言葉の裏には、「役に立たない」人間はだめだという考え方があるのではないか。一人一人の発達を保障する障害児教育を進めることこそ、基本理念として位置付けられるべきである。(学校関係者)

③通常の学級において一つの普通教室を間仕切りして使用している教室、特別教室等から転用した普通教室の解消については、確実かつ早急に実行してもらいたい。(学校関係者)

④病院内に設置されている分教室の中には小・中学部しかないところもある。この場合、高校生は病院内訪問教育を利用することとなるが、単位が足りない。高等部も設置してほしい。(高校生)

⑤外部専門家の導入で教員が削減されたが、重い障害のある子供たちを1人の担任で見られるわけがない。外部専門家より、毎日子供に接してくれる教員の加配をお願いしたい。(特別支援学校の児童・生徒の保護者)



「来年度教育庁所管事業予算・職員定数等について」

 事業予算(1191億2400万円)のうち「新規事業」の一例と予算額を紹介する。

 「基礎・基本の定着と学ぶ意欲の向上」では、「学力に課題がある小中学校における児童・生徒の学力向上のために、新たに25人の教員を加配し、学校の学力向上への取り組みを支援」「高校生に向け、都独自の給付型奨学金の創設」等、9つの事業に46億900万円を計上。「理数教育の推進」では、「理数イノベーション校等の指定校以外の理数への興味・関心を持つ都立高校生に対して、大学等の研究施設で高度な研究活動を行う理数研究ラボを実施し、探求する力や学びに向かう力を高める」等5つの事業に3億2000万円、「『使える英語』を習得させる実践的教育の推進」では、「小学校3,4年生を対象として、オリンピック・パラリンピックに向けた国際理解教育の推進、日本・東京の文化等の理解の促進を図るとともに、英語で発信できる力の育成を図る都独自の英語教材『Welcome to Tokyo(Beginner)』を作成」等4つの事業で32億8400万円を計上ほか。

 「学校運営力の向上」では、「教育の質の向上を実現するために、多様な人材を活用して学校組織運営や学校と地域の連携・協働を推進するとともに、学校運営の中心的な役割を担う副校長を支援する学校マネジメント強化モデル事業を実施」に75億1600万円を計上。また、「小中学校の耐震化、トイレ改修(洋式化等)及びマンホールトイレ等災害用トイレの整備を実施する区市町村を支援」に402億4000万円を計上とのことであった。

 例えば、最初に挙げた「教員の加配」では、学校はその「成果」が求められる。となれば、子どもたちは頑張りを求められ、追い詰められるのではないかと懸念する。また、副校長のなり手がいないという切迫した問題がモデル事業で解決に向かうとは思われない。
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