グループZAZA11名の先頭を切って始まった元高槻市立小学校教員である山田肇さんの、3回にわたる口頭審理が10月25日をもって終了しました。たった50秒の「君が代」不起立によって、それまでの教育実践すべてを無に帰すかの如く再任用を拒否するところに、「君が代」強制の問題の本質は表れているように思います。
「君が代」は恐い歌です。異議申立はおろか一切の批判を許さず「起立」し「斉唱」することを求めるその先に何があるのか、そこを見極めずして、処分の不当性を考えることはできません。
人事委員のみなさんへ、たんに形式論的に処理するのでばなく、憲法と公教育の観点から、真っ当な裁定をくだされんことを要望します。
山田肇さん(当該)からの報告
10月25日は、人事委員会・第3回口頭審理でした。
本人尋問ということで、こちら側の永嶋弁護士から1時間、
府教委側の弁護士の筒井さんから、
また、1時間の尋問を私が受けることになりました。
合計、2時間ということで、途中でお茶と煙草タイムがいるがなと思っていましたが、あっという間に時間は過ぎてしまいました。
傍聴に来て下さった方、ありがとうございました。
後ろから聞こえる同意の声や拍手、筒井さんに対する笑いなど、
心強い応援でした。
まずは、私が提出した『陳述書』にそって、
永嶋弁護士から質問を受けました。
その『陳述書』は、10月10日付けで人事委員会に提出したものですが、
事実経過や私の主張が抜けおちることのないように、それらについて、
全て書くように言われたので、A4で28ページにもなりました。
何をどう書いたのか、自分が書いたものであるのに、2週間もたつと、
情けないことに、頭の中に幾ばくも残っていないので、前日に読み返し、頭にたたきこみました。
そして、永嶋弁護士の質問にそって、
私が教育の中で大切にしてきたこと、実践してきたこと、
希望の杜・施設内学級の子どもたちの実態と、
その中で「学校をつくる」ために奮闘してきたこと
『日の丸』『君が代』に反対してきた理由・・・
①子どもたちに何が正しくて何が間違っているか、
子どもたちに自分の頭で考え判断するように言ってきた自分が、
侵略と戦争の旗である『日の丸』を認め、
天皇をたたえる歌である『君が代』を立って歌うことは、
教師としての『良心』からできないこと。
また、②「教え子を戦場に送らない」と決意した教師の『良心』から
教え子を戦場に送った天皇制教育とその道具であった
『日の丸』『君が代』を認めることはできないこと。
そして、府教委の事情聴取を拒否したのではなく、
3月23日9時30分は、終業式・最後の授業・『あゆみ』をわたす日であったがゆえに府教委の指定した上の時間では「出席できません」と言ったということ。これらを、落ち着いて述べることができました。
次は、府教委側の筒井さんの尋問でした。
校長の「指導」・・・校長が教育委員会の通達を読み上げたことを知っていたか?
知っていましたが、あれが「指導」ですか?と言うと、
あなたが質問するのではない、質問するのはこっちだと言っていました。
ありもしない3月12日、13日の校長の「指導」を
永井校長は、校長室で「指導」したと言っている。
そんなアホな。事実は一つ。ないものを「あった」とすることはできない。
職務命令に従うのが、教育公務員だ。
なぜ、あなたは従わなかったのか?と聞いてくる。
命令で教育はできない。こととしだいによる。
3月23日9時30分に府教委の事情聴取にあなたが行っても、
教頭が代行に入ると言っていたんだから、
施設内学級の授業に支障は生じなかったはずだ。
施設内学級に来る子どもたちの実態、
教師が自分で書いた「あゆみ」を子どもにわたすということ
これらをていねいに説明しましたが、そんなことより、何より、筒井さんは、
私が「事情聴取を自ら意思で拒否した」ということを浮かび上がらせたいということでしょう。
でも、事実が違いますから、筒井さんの意図通りにはなりえません。
府教委が、3月23日は、11時と1時に他の不起立者の事情聴取を予定していて、私に9時30分に事情聴取に来いと言ったこと・・・それは府教委の予定です。それが間違っているのですから。
それやこれや聞かれましたが、筒井さんの尋問は30分で終わりました。
もういいんですか。もっと聞いて下さいよ・・・という感じでした。
あとで、永嶋弁護士が「山田さんに質問すればするほど、
山田さんに言いたいことを言わせるような展開だった。」と言われていました。
この審理の結果はどうあれ、昨日は、緊張することもなく、本人尋問が終わり、ホッとしていましたが、今朝になって、後悔が一つこみあげて来ました。
それは、筒井さんが、「職務命令に従うのが、教育公務員だ。
なぜ、あなたは従わなかったのか?」という核心的質問に対して、
「こととしだいによる」と答えてしまったことです。
あそこで、永嶋弁護士の質問の時に言った、
教師としての『良心』・教え子を戦場に送らない『良心』からいって
『君が代』で立って歌えという職務命令には断じて、
人間として、子どもたちの前に立つ教師として、絶対できないんだと
胸を張って言うべきであった。
教師としての、人間としての、それが『良心』であり、『魂』の叫びであると
がーんと突きつけるべきであった。
ああ、何で「こととしだいによる」なんて、中途はんぱな言い方をしたのか?
今朝になって、深い後悔が押し寄せてきました。次は、「思想」を磨いてがんばります。