グループZAZA

「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

平井美津子さん講演録頒布のお知らせ

2021-09-07 07:59:23 | グループZAZA活動報告

お待たせしました!!

⭐️2020グループZAZA連続講座平井美津子さん講演録を頒布します!!

「歴史に学び、未来を拓くーー沖縄戦を伝えるために」💕

申し込み方法は一番最後にあります!!

-講演録頒布のお知らせ-

2020年グループZAZA連続講座『歴史に学び、未来を拓く』平井美津子さん講演録をお分けします。

新たに平井美津子さんご自身により加筆修正いただきましたので、講演を聴かれた方はもちろん、お聴きになっていない方にもお勧めできる素晴らしい講演録であると自負しております。平井美津子さんの教師としての、研究者としての、そしてひとりの人間であり女性としての姿勢がどのページからも迫ってきます。

また、2019年の連続講座『今、国家とは何かを問う』遠藤比呂通弁護士講演録もお分けできます。こちらも遠藤さんが大幅に加筆され、今春に出版された著書にもつながる読み応えのある内容になっています。併せてお求め下さい。

残りわずかですが、2017年久保井規夫さん講演録『史料で示す;戦世へ誘う公民化施策と「日の丸」「君が代」』、2018年朝日新聞の中村記者・下地記者、MBSの斉加ディレクターの講演録『メディアの現場から-歴史をふり返り、今を考える』もございます。

お申し込みは、「講演録希望」と表題(タイトル)に記載の上、住所・名前・ご希望の講演録と冊数を明記し下記までお申し込みください。郵送でお届けする際、振込用紙を同封させていただきます。

申し込みメールアドレス:
umehasaitaka@mx5.canvas.ne.jp(梅原聡)
(メールのご利用が難しい方は、080-6206-4971までご連絡下さい)

講演録は各冊500円でお分けしております。

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2020グループZAZA連続講座平井美津子さん講演会第1回レジュメ公開②

2020-09-14 13:57:00 | グループZAZA活動報告

  19531224日、広島児童図書館(今の子ども図書館)でのクリスマス会で、笑わぬ子らに衝撃受ける。→なぜ笑えないのか?彼らが見せる影はどこからきているのか。それを解き明かすこと。そして、子どもたち自身が自分で笑えない原因をいつかつきとめるしかないのだ。

  「笑わない子どものひそかな、というよりも一途な眼ざしが何を物語っているのか、その心の中にはいりこめない、ふがいなさが悲しかった。子らは、なぜ自分がこんなつらい子ども時代を過ごさなくてはならないのか、なぜおとうさん、おかあさんが小さい自分を残して死んでしまったのか、住むところも、何も彼も失ったのか、ナゼ、ナゼ、そういいたくて、その答が得たくて、一途な目をむけるのではないか。なぜ。その答を語らなくてはならない。」(『母さんと呼べた日』山口勇子、草土文化、1964年)

 

○再び原爆孤児を作るまい

  1954年第五福竜丸事件、1959年から安保条約改定への反対運動の広がり→子どもたちのなかに社会情勢への意識高まる。

  1959年。広島で安保改訂阻止広島県民共闘会議が結成。第五回原水爆禁止世界大会。

  同年84日、子どもたちは初めて「広島子どもを守る会」と書いたプラカードを持って、慰霊碑前まで行進団に加わった。「再び原爆孤児を作るな」というプラカードは年長の男子が持った。

  8月5日、原水爆禁止世界大会で被爆者代表として孤児の岡村広子が訴えた。

第5回原水爆禁止世界大会における被爆者代表の訴え   岡村広子

 

私は広島に住む原爆被災者の一少女です。

あの十四年前の八月六日、そうです。広島にあのおそろしい原爆が落とされた日です。

その原爆によって、父と母と姉の三人を失い、今は遺された姉妹三人です。その当時、たった二歳だった私は何一つおぼえているものはありません。もちろん父や母の顔もおぼえていません。でもいつもおばさんたちにその当時のことを話してもらっています。 私はその日、乳母車に乗せてもらって外にいました。私は大きな音におどろいて、ひっくり返った車のすみで小さくなっていたそうです。ですから、私は幸いにして傷一つしていませんが、後になって髪がぬけて丸坊主になり、血などを吐き、歩いていた私は歩けなくなったそうです。だのに現在このように大きくなって、健康に育ったのは奇蹟的だとみんなはいつもいっています。母は建物の下敷になりましたが、すぐはい出したので、そのときは助かったのですが、なにしろ母は子ども三人を抱えてにげ廻り、それに父が心配になって翌日市内をさがし廻ったのでそうしたことが悪かったのでしょう。三週間ぐらいして母は死にました。父はどうなったのかとうとう遺体もみつけ出すことができませんでした。父の魂もきっとこの慰霊碑の中にあるでしょう。

 

 このようなことを思い出すたびに父母と姉の一人、そして広島、長崎の人々を奪った原爆が憎らしくてならない気持ちでいっぱいです。そんなとき「なぜ私もいっしょに死ななかったのだろうか、なぜいっしょにいた母や姉は死んだのであろう」と思います。しかしその反面、「いや、私は生きなければならない、そしてあのおそろしい、悲しい思いを再び起こらないように日本中、いや、世界各国のみなさんに訴えなければいけない。私が訴えなければ誰が訴える者がいようか」という気持ちがあふれてきます。

 

 ちょうど七年前、私が小学校三年生のとき「広島子どもを守る会」の世話によってアメリカのニューヨークのブルックリンに住んでいられるスカンジナローさんの精神養子になりました。今ではスカンジナローさんとは、遠く海を隔てていても親子のように手紙によって心を通じ合っています。私とスカンジナローさんのようにみんなの心は、どこの誰とも知らない人でも、遠く離れていても、言葉がわからなくても、心と心は通じ合うのではないでしょうか。いやきっと通じ合っていると思います。その心とは、原水爆の無い平和な世界を願う心でしょう。

 私も、もちろんここに集まっていらっしゃるみなさんも一人ひとりでは、誰彼と区別なくこの慰霊碑の前ではなかよく手を結ぶことができるでしょう。私たち子どもの世界では、東西区別なく、手をつなぐことができます。それだのに大人の世界では国内、いや世界の国々がなぜなかよく手を結ぶことができないのでしょうか。世界各国、東西区別なく手をつなぐことができたならば、自然に原水爆を作らなくてもよいようになるでしょう。そうすれば、そこに世界平和が生まれるのではありませんか。どうかみなさん、この大会で世界、いや地球から原水爆がなくなるように手をつなぎあって、世界中の人々に訴えてください。

 私は、おとうさん、おかあさん、おねえさんの眠っているこの慰霊碑の前で心からお願いします。

 一九五九年八月五日

 

 

3.山口勇子と孤児たちの平和への願いを記録として

  取材の中で実感した孤児たちの願いは「二度と原爆孤児をつくらないために」ということ。孤児たちの人生の柱になった思い。

  山口勇子の核廃絶への取り組み・・・「二度と原爆孤児をつくるな」ということを実現する運動は、必然的に原水爆禁止運動につながる。

  1984年、原水協筆頭代表理事。1985年、核兵器全面禁止国際署名の協議会に日本原水協の代表として参加し、「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」に署名。

  「人類と核兵器は共存できない」「核戦争を阻止できるのは人間」…勇子の原点。

  勇子の子どもへのまなざし…「人間は核兵器とともには、生きてはいけないのだ。核兵器のふとんの上で、子どもが生まれ、育つことはできないのだ」(「原水協通信」、一九九四年三月六日)

 

一九四五年八月六日、広島は死にました。人も、木も、草も、鳥も、動物も。

 けれど、ひとつだけ、のこったものがあります。人間の心です。その心は、すこしずつふくれあがり、きょうも、わたしたちに、よびかけています。

 ヒロシマを、くりかえしてはならない。

 世界じゅうに、ほんものの平和を。―――と。

(山口勇子「つるのとぶ日」の扉より、東都書房)

 

おわりに

敗戦で戦争が終わったのではなく、終わらない戦争の傷跡が国内にも国外にも今もある。その解決のためにも、戦争による被害者の声を掘り起さなければならないし、すでにタイムリミットが来ています。戦争の実相を私たちが掘り起こし、記憶し、記録し、伝えていくことが、ふたたび戦争をする国へとむかおうとしている政治の流れに楔を打込むことになる。

そのためにも、広島に長崎に原爆孤児がいたこと(日本の各地にも戦争孤児)を知ってほしいと思う。二度と孤児を生み出さないために、私たちに何ができるのか。戦争が起きれば一人ひとりの人生が踏みつぶされる。そのことを山口や孤児たちのたどった道のりを知ることで考えてほしい。

 

※『戦争孤児たちの戦後史②西日本編』(平井美津子・本庄豊編、吉川弘文館、2020年)

『原爆孤児 「しあわせのうた」が聞こえる』(平井美津子、新日本出版社、定価1700円)もお読みください。






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2020グループZAZA連続講座平井美津子さん講演第1回レジュメ公開!①

2020-09-14 13:47:00 | グループZAZA活動報告

9月12日、2020グループZAZA連続講座第1回を開催しました。多くの方々にご参加いただき、平井美津子さんの現職教員としての、また研究者としての素晴らしいお話をお聴きすることができました。平井美津子さんの了承のもと、当日配布したレジュメを2回に分けて掲載します。なお、次回は11月14日(土)14時より、エルおおさかにて開催しますので、ぜひご予定ください。







2020年グループZAZA・連続講座第1回                2020.9.12

原爆孤児と支えた人

子どもと教科書大阪ネット21事務局長 平井美津子

はじめに~新しい民主主義の夜明けを迎えて

 5年前のこと覚えてますか?「民主主義ってなんだ?」「これだ!」…昔のシュプレヒコールじゃない、新しいコールに夢中になった夏。あちこちでスタンディングが行われて、何かに組織されてじゃなく、みんなが自分の意思で安倍NO!を表示。

 安倍政権のもとでの数々の悪政、ようやく終止符をうった。これは病気のせいではなく、私たちの長年の闘いの成果だ。でも、残念ながら、まだまだ私たちを休憩させてはくれない政権が続く…らしい。でも、民衆の力は微力であっても無力ではない。希望を失わずに前へ前へと思う。

 

1.ふってわいた広島との出会い

2013年に本庄豊さん[1]元孤児施設「積慶園」(京都市)から大量の写真や史料を発見したことがきっかけで、8月「平和のための京都の戦争展」で「京都の戦争孤児展」を開催された。そのことが京都新聞に大きく取り上げられ、大きな反響を呼び、元孤児の方や孤児施設の方から続々と連絡が。真宗佛光寺派大善院で孤児たちの遺髪・遺骨8体が発見され、調査が開始されることになった。その調査をもとに、10月に大善院で「追悼・法要の夕べ」を開催。『平和を学ぶ戦争遺物』第3巻(汐文社)に本庄さんが戦争孤児の遺骨遺髪のことを書き、出版された。

この経緯の中で、汐文社より戦後70年企画として『シリーズ 戦争孤児』全5巻の編集・執筆の要請があり、本庄さんを含め歴史教育者協議会の仲間で20141月に執筆の会議を開いた。出版期限は、2014年度内。この会議の時点で1年余り。だれがどこをやるかでは、すでに本庄さんが京都周辺の孤児、エリザベスサンダースホームを決められており、平井の沖縄はすんなりと決定。広島・長崎の段になって、広島歴史教育者協議会の方にお願いするも…。最終的に平井が。


2.原爆孤児と精神養子運動

○ 取材と資料収集に難航

 沖縄に関しては、沖縄平和ネットワークの仲間や沖縄タイムスなどの協力があり、春休みや56月に集中的に沖縄取材。目途はついたものの、広島は?広島平和記念資料館にいっても、孤児に関する展示はほとんどなし、学芸員の反応も…。

そんなときに大きなヒントをもたらしたのが『歴史地理教育』688号(19958月)の特集「被爆60年 ヒロシマ・ナガサキを教えよう」。ここに登場していた山田寿美子さんの取材から始めることに。広島を調査する上でぜひともお話を聞きたかったのが広島歴教協の高橋信雄先生(現在は広島教育研究所・原爆遺跡保存運動懇談会副座長)。孤児調査でお話を聞けそうな方などについてアドバイスをもらう。

その日がまさに歴史的豪雨災害が発生した820日。翌日は豪雨災害のさなか、高橋さんに紹介してもらった小西さんを取材。そこでめぐり会ったのが『おこりじぞう』の作者山口勇子だった。ここからどんどん証言者に出会うことに。


○原爆孤児とは

・ 疎開中に原爆で両親を失った子ども。

・ 親と一緒にいた、もしくは同じ広島市内にいて自らも被爆し、両親を失った子ども。

・ 片方の親はいるが被爆などにより、困窮している子ども。

推定で広島市内に6500名と言われているが、定かではない。

広島市及びその近郊にある11の孤児収容所と、市内の親せきや知人の家で養育されている原爆孤児の数は、推定1000名を超える。これらを原爆孤児という。

 

○原爆孤児精神養子運動

  始まりは、米国のノーマン・カズンズらによる「精神養子運動」(1949年)

  『原爆の子』の編著者で被爆者である長田新が国内での「精神養子運動」を提唱。

  1953年2月22日「広島子どもを守る会」発足。(会長・森滝市郎、副会長・山口勇子、土谷巌郎)。長田は「精神養子運動の仕事は慈善事業ではない。そういう方向に向いてはならない仕事だよ。平和運動のひとつとしてやりぬくのだよ」と言い続けた。

  最初は特別新教育をめざす学生から始まった。

  精神親は精神養子となった子どもに月千円の仕送りと手紙を送る。最高十八歳になるまで続ける。この手紙こそが重要な役割を持った。

 

○山口勇子と笑わぬ子ら

  「あの日から母は私たちだけの母ではなくなりました。」

  孤児たちを探す作業に難航する。

  孤児たちの置かれていた状況

 ぼくは原爆が落ちてから十日目の八月十六日に生まれ、母は八月二十四日に死にました。だから母の乳は飲んでいません。近所の人たちは、乳がないので育つまいと言っておられたそうです。でもおばあちゃんが米をたいたおも湯を作ったりミルクは当時何もかもみな配給だったので朝早くから行って長い間待ってもらっていたのだそうです。

  冬などはぼくの身体がなかなか暖まらないのでおばあちゃんの着物の中に入れて寝ておられたそうです。

  夜は泣いたらみんなが目をさますのでそっと外に出てぼくを寝かせていたのだそうです。こんなに苦労してぼくを育ててくださったおばあちゃんは今だに苦労しておられます。おじいちゃんが原爆のため病気で働けないのでおばあちゃんが働かないとぼくたちが食べていけないので、おばあちゃんは毎日毎日働きに行っておられます。

  おばあちゃんの働いておられる所は石切り場で大きな石をかつぐ仕事です。夏などは汗で着物がびっしゃこにぬれています。こんなにおばあちゃんが苦労さなさるのもみんな戦争があったからだと思います。戦争がなかったらかあさんも生きておられ光復に生活していることだろうと思うからです。

  ぼくは早く大きくなっておばあちゃんを助けてあげたいと思います。それにはおばあちゃんが長いきをして下さればいいがなあと思っています。

  こんなにぼくたちを不幸にした戦争が二度とおこらないように心から願っています。(十四歳、男子、中学二年生。祖父母・姉(十七歳・女工員)とくらしている) 






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ー遠藤比呂通弁護士講演録頒布のお知らせー

2020-06-27 13:32:00 | グループZAZA活動報告
ー遠藤比呂通弁護士講演録頒布のお知らせー

2019グループZAZA連続講座『今、国家とは何かを問う』遠藤比呂通弁護士講演録が完成しました!

新たに遠藤比呂通弁護士ご自身により加筆修正いただきましたので、講演を聴かれた方はもちろん、お聴きになっていない方にもお勧めできる素晴らしい講演録であると自負しております。1冊¥500でお分けしております。ご購入を希望される方は、下記集会等で販売しますが、また郵送でもお届けします。

◆購入方法◆
①集会にて
・6月28日(日)13時半開場・14時開会 エルおおさか6階大会議室
「コロナ危機と卒入学式」
「君が代・日の丸」強制反対・不起立処分を撤回させる大阪ネットワーク集会

・7月24日(金・休)10時開場・10時15分開会 エルおおさか南館5階南ホール
「コロナ危機で明らかになった教育の大分岐今こそ子どもと向き合う学校を!」
第10回「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会

②郵送にて
お申し込みは、「遠藤比呂通弁護士講演録希望」と表題(タイトル)に記載の上、住所・名前・冊数を明記し
当ブログのコメントにお寄せください。(コメントは非公開扱いとさせていただきます)

・4冊以上お求めの場合は郵送料・振込料は当方で負担させていただきます。
・3冊以下の場合は、郵送料(¥200)・振込料(¥152)は申し込み者にご負担願いますのでご了承ください。

郵送でお届けする際、振込用紙を同封させていただきます。







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【重要】2020グループZAZA連続講座日程変更のお知らせ

2020-04-29 13:25:00 | グループZAZA活動報告
コロナ圧下のため、申し訳ありませんが、2020グループZAZA連続講座の日程を変更しました。

【第1回】 
★ 9月12日(土)2時~
★ エルおおさか・6階大会議室
★ 「原爆孤児と支えた人々」

【第2回】
★ 11月14日(土)2時〜
★ エルおおさか・709号室
★ 「沖縄戦を伝えるために」

【第3回】
★ 2021年1月16日(土)2時〜
★エルおおさか・南1023号室
★「『慰安婦』問題をなかったことにしない」

【第4回】
★ 2021年3月6日(土)2時〜
★ エルおおさか・6階大会議室室
★ 「植民地支配責任とは」









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