昨日(4月28日)、
戦後初めて、「主権回復式典」なるものが政府主催で開かれた。
サンフランシスコ講和条約発効(1952年)から61年目を迎えてである。
この講和条約により占領が終わったからだという。
しかし、同時に旧日米安保条約が結ばれ(1951年)、アメリカ軍の駐留(占領)が現在まで継続することになったのである。「主権回復」などというものでは決してない。
沖縄では昨日「屈辱の日沖縄大会」(1万人)が開かれ怒りの声が上げられた。本来なら日本全体が「屈辱の日」として怒りの声を上げなければならなかった。有史以来、外国の軍隊がこれほど長期間に渡って、日本に居座ったことなどないのである。
(「どこに主権があるというのか!」と言って右翼が騒いでもおかしくない。)
ところで、昨日の式典の際に次のようなことが起こった。
式典に出席していた天皇、皇后が終了後に退場する際、
「天皇陛下万歳」が唱和され、
演壇の安倍首相ら三権の長はそろって両手を上げ、声を合わせたのである。
これは明らかに「国民主権」を公然と踏みにじる行為である。
戦前、財閥・軍閥に結びついていた支配勢力は、戦後一貫して支配の立て直しを図り、「日の丸・君が代」の強制を通して、日本社会の戦前回帰に力を入れてきた。それがついに、第二次安倍政権に至り「天皇主権」を公然と表現するにまでになったのである。
戦後一貫して進められてきた「日の丸・君が代」の強制は、単に個々人の思想・良心の自由を侵害するだけのものではなく、戦後日本社会の性格を旧制度に戻す(戦前回帰)手段として
目論まれていたと考えることができるのではないだろうか。
イギリスでもフランスでも革命後、王政復古はあった。しかし、イギリスでは名誉革命(1688年)で、
フランスでは二月革命(1848年)でいずれも再び打倒された。
日本では敗戦と戦後改革により天皇制は弱体化し、国民主権となった。
しかし、今また天皇制が息を吹き返し「王政復古」が起きようとしている。
「日の丸・君が代」強制の行き着く先である。
「歴史は繰り返す」、ということだろう。それならば、また新たな社会変革が起きてこよう。その芽は、この間の粘り強い「日の丸・君が代」強制反対闘争や一般ピープルの様々な闘いの中に確かに息づいていると言えよう。
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<「再発防止研修」抗議・支援集会>
5月8日(水)
東京都教職員研修センター前
(JR水道橋東口、地下鉄水道橋 都立工芸高校隣)
8時20分 集合・行動開始
8時35分弁護団申し入れ
8時50分該当者(受講者)入場、
激励行動
12時30分頃(予定)
研修終了後、該当者激励行動
*呼びかけ:被処分者の会
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「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ
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