※秋原葉月さんのブログAfternoon Cafeより転載させていだきます。まさに日の丸君が代の本質がここに極められているように思います。
これまで国歌斉唱義務化にさして疑問を抱かなかった人々も、昨夜の秋葉原の自民党の祭典見たら、君が代日の丸を教育現場や公務員に強制することは異常だと感じませんか?あれが君が代日の丸の本質です2012年12月16日
君が代日の丸を強制されると、秋葉原の自民党祭典に出席していた狂信者のようになれと命令されている気がする。それにしても国旗国歌がこれほど極右思想と結びついてる国は日本くらいのものではないだろうか2012年12月16日
これまで国旗国歌強制問題についていくつかエントリ-を書いてきました。主な論点はこちらでほぼ網羅しているかと思います。
→カテゴリ-:日の丸君が代
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-category-10.html
国旗国歌を強制してよいかという問題を扱うときには、日本では二段階の問題提起の構成になると思います。
ひとつは、どの国でも通用する一般論として「国旗国歌を強制することは許されるか」という論点です。
これについては既に述べてきたので詳細は割愛しますが、
国旗についてどのような思いを抱こうと個人の自由であり、個人の信条は尊重されるべき。
国旗については様々な意見があり、その多様性は認められるべきである。従って国旗国歌を強制することは許されない、という結論が帰結されます。
これは思想信条の自由という基本的人権の論理的帰結で、どの国でも一般に通用する論理です。
強制が始まるまでは特に日の丸君が代に反発を感じなかったし普通に歌ってたけど、強制されるようになってから抵抗を感じるようになった、
強制が始まるまでは特に日の丸君が代に反発を感じなかったし普通に歌ってたけど、強制されるようになってから抵抗を感じるようになった、
日の丸君が代は好きでも嫌いでもない、あるいはどちらかと言えば親しみを持ってるけど、強制は気持ち悪いという人も多いのです。
次に問題になるのが我が国特有の事情です。
それは、日本の国旗国歌は戦前思想、極右思想と不可分に結びついている、という事実です。
これは日本固有の事情で、他国には無い事情です
よく「海外でも国民が喜んで自国の国旗国歌を掲げるではないか、チリの炭鉱事故の時も国旗を振ったし、閉じ込められた人も国歌を歌ったではないか」
と言う人がいますが、それは日本の特殊事情を忘れてると言わざるを得ません。
街宣右翼や在特怪のデモは必ず大量の日の丸を掲げます。
街宣右翼や在特怪のデモは必ず大量の日の丸を掲げます。
朝鮮人を追放しろ!帝国憲法万歳!と群衆が叫んだ自民党秋葉原の祭典でも無数の日の丸がはためき、君が代が大合唱されています。
もう一度こちらをご覧下さい。
●極右排外主義政党になりはてた自民党
在特会のデモや街頭でのヘイトスピーチの動画を検索していただければうんざりするほど沢山の日の丸を見ることが出来ます。
日の丸、君が代は戦前思想、極右排外主義思想の「象徴」なのは明らかです。
在特会のデモや街頭でのヘイトスピーチの動画を検索していただければうんざりするほど沢山の日の丸を見ることが出来ます。
日の丸、君が代は戦前思想、極右排外主義思想の「象徴」なのは明らかです。
やはり日本の日の丸はドイツにとってのハーケンクロイツに近い存在だと言わざるを得ません。
よりによって戦前の極右排外主義思想を象徴している日の丸を国旗に指定されてしまっては、ま
るで日本は極右排外主義思想の国だといってるようなものです。これは日本にとっても不幸なこ
とだと言えるでしょう。
ですから諸外国とは異なり国旗を忌避したい人が出てくるのは当然のことです。
ですから諸外国とは異なり国旗を忌避したい人が出てくるのは当然のことです。
諸外国の国旗国歌にはこのような歴史的背景がないためそもそも国旗国歌を拒絶する人が日本よりは少ないでしょうし、
拒絶する人がいても決して強制はしないのです。