「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

リーディング指導と教材選び

2008-02-07 22:18:45 | リーディング
ここ何年か音読中心の授業を追求してきた。マイナーチェンジを繰り返しそれなりの完成度を持つ指導過程になったと思っている。しかし、それと同時にこの方法の限界も見えてきた。一番の問題は初見の英文に対処する力が十分に付いていないことだ。

一つには語彙、もう一つにはリーディング・プロセスの指導にヒントがあるのではと仮説を立てリサーチに入る。リサーチといってもたいしたことではない。関連する記事をネット上で探すこと、関連のある話をしてくれそうな先生方の話を聞きに行くこと、手持ちの書籍で関連のありそうな部分を再読することくらいだ。

そんな中、筑波大学の卯城先生から興味深い話を聞くことができた。福岡女学院中・高校のセルハイ発表会での講演の中である。

---- 英語教育で読解ストラテジーについて触れることは多くなってきた。しかし、表面的な知識の伝授に終わってないか。ストラテジーが使えるようになるための指導を行っているだろうか。

---- スキーマは読み進めるにつれ変化していくものである。よい読み手は先を推測しながら読むものだが、自分の推測に論理性が保たれているかをチェックしつつ、それに従って推測を調整しながら読んでいる。読解力向上にはこの力の養成が不可欠である。

といったような話である。

さて、問題はこのアドバイスをどう活かすかだ。手元にある教科書や問題集を素材にして論理的な推測を要求するタスクをつくることもできなくはないだろう。しかし、どこにどのような仕掛けを作るかを考えるのはかえって手間だ。その割に指導のクオリティは上がりそうにない。

ここで一つ意外と見過ごされている事実に気づく。リーディング教材の選択ってもっと丁寧にする必要があるのではないかということだ。採用された教科書に載っているからというだけで、そこにある教材を頭からひとつひとつ淡々とこなしてゆく。長文問題も問題集にあるものを番号の若い順に読んでいくのみ。こんな種の読解力をつけさせたいからこの教材でなければならないのだという視点が決定的に欠けているのではないか。

他教科を担当する同僚に教えられたことがある。サブノートなど市販の副教材を漫然と使っているようでは半人前、自分の手作りの教材でしか本物の授業はできるはずがないとのこと。文法指導で同様のスタンスをとるのはさほど難しくはないだろう。しかしリーディング素材を自由自在に引き出して指導している人はどれだけいるだろうか。

良い読み手は良い教材から育つものにちがいない。

ブログ開設!

2008-02-07 00:03:25 | その他
 地方の高校で英語を教えています。情報発信というよりは自分の軌跡を残しておくためにブログを始めることにしました。英語という科目は宿命的に「変化」し続けるという点で他教科と大きく異なると思っています。教授法や学力観の変化が英語ほど速く激しい科目はおそらくありません。また、そこが英語教育の醍醐味でもあります。
 しかし、どのような「変化」も根拠がなければ単なる気まぐれです。恣意的な変化は気晴らしにはなっても、進歩には決してなりえません。また、「変化」を追い求めるだけで、そこに向上への「想い=志」がなければ道が開けることはないでしょう。
 私はこのブログがより良い英語教育に向けた自分の「想い」を明らかにしながら、それを客観視するための場になって欲しいと思っています。未来の自分がこの時、この場所こそ本当の原点だったと振り返られますように・・・