私が本を読んだり、研修に参加したりするのは、あくまでも現状の自分の課題を乗り越えるための方法の模索であり、自分の力を向上させるためである。だから、どんな本を読んでもすべてを受け入れるということはまず無いし、聞いた話を丸ごと自分の指導に取り入れることはない。
英語を教える他の先生と話をする場合でも、しばらく話せば大体その方が、どちらを向いてどのような指導をされているか分かるので、その判断に応じた話し方をする。(これはその方に対しぞんざいな対処をするという意味ではなく、誠意は持ちつつも価値観の摺り合わせは強要しないという意味です)
つまり、何に対しても一定の距離を保っているわけだ。議論の多くは無益だと思っている。有益だと考える議論以外は、答えをはぐらかす場合が多い。だから、禅問答(zen conundrum)。相手を追いつめるような議論はもうしません。
英語を教える他の先生と話をする場合でも、しばらく話せば大体その方が、どちらを向いてどのような指導をされているか分かるので、その判断に応じた話し方をする。(これはその方に対しぞんざいな対処をするという意味ではなく、誠意は持ちつつも価値観の摺り合わせは強要しないという意味です)
つまり、何に対しても一定の距離を保っているわけだ。議論の多くは無益だと思っている。有益だと考える議論以外は、答えをはぐらかす場合が多い。だから、禅問答(zen conundrum)。相手を追いつめるような議論はもうしません。