「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

自分の足で立つように・・・

2008-10-15 03:06:49 | 授業
子供が自転車に乗り始めるときを考えてみる。ほとんどの子供が最初のうちは補助輪付きの自転車に乗るだろう。しかし、ある程度自転車に慣れ運動能力的にそれが可能になれば、補助輪は外すことになる。

補助輪を外してしばらくは思うように自転車に乗れない時間があるだろう。そこで初めて補助輪のありがたさが分かり、そのおかげで自転車に乗れていたのだと気づくことになる。

ここで選択肢がいくつかある。補助輪なしで乗れるようになるまで練習する。自転車に乗らなくなる。あるいは、補助輪をもう一度つける。

一番最後の選択肢を選んだ場合、それは決断の先送りである。いつまでも補助輪付きで自転車に乗るわけにはいかないから。しかしながら、その個人にとっては補助輪を外すのが早すぎたということも考えられるので選択として必ずしも間違いではない。

最近よく考えることの一つに、いかにして長いスパンで指導を変化させるべきかということがある。例えば1年という区切りで考えてみれば、4月当初にはある程度手取り足取りの指導が必要になろう。まずは、成果の出やすい学習活動を体験させ、習慣化させるのである。生徒がその効果を認識すれば、自ずと真剣に学習活動に取り組むはずである。

この時期に授業で中心になるのは各種の音読。ペアワークやゲーム的要素を加えて楽しい活動になるよう工夫することが必要だ。自分の場合はこれに加えて単元ごとに数枚のハンドアウトを渡している。生徒はそれらを完成させるだけで予習復習が効率的にできる。自転車にたとえてみると、乗り始めのころということになる。大切なことは自転車の楽しさを感じることだろう。

そして、次の段階。

音読が効果的であることを生徒に実感させることができたら、それを授業の外でさせるように指導しなければならない。また、ハンドアウトで示したような学習方法を参考に、自分で自分のスタイルを構築させなければならない。それをしなければ自立した学習者にはなり得ないのだ。つまり、補助輪は時期が来れば外さなければならない。

そのときに、当然起こりうることとして予想されるのがパフォーマンスの低下。自転車の例と同様、補助輪が外された直後から苦労せずに自転車を乗りこなせる子はむしろ稀だろうから。指導者の真価が試されるのはこのあとだ。


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