「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

職場研修(ルーマン・現代コミュニケーション論)

2008-10-08 22:21:46 | 研修
定期考査の初日。午後は職員研修。地元の大学から花野裕康先生に来校いただきメディアと人権に関する講演を聞く。トピック自体タイムリーで面白そうなものであるが、それ以上にコミュニケーション論で興味深いお話を聞くことができ、とても有意義な講演であった。

核心の部分を私の解釈した通りにまとめてみる。

現代におけるコミュニケーションとは、1)[情報(言いたいこと)]と[伝達(その表現方法)]との差を理解することで進行させている。

これはすなわち、話者の伝えたいメッセージは表出された言葉の文字通りの意味ではないということだ。このあたりは機能文法などで、よく取り上げられる。

2)「こころ」とコミュニケーションは別のレベルで進行する。

つまり、表面上コミュニケーションが成立していても、必ずしも本心がそこに表出されているわけではないということ。この視点には今までに考えが及んだことがなかったのでとても興味深く感じた。

3)相手の言葉を鵜呑みすることはできないという大前提がある。

4)コミュニケーションは受け取り側の解釈により成立させるしかない。

このことは、「言葉」というものの本質にも関わるような重要な指摘のように思える。これを受け入れるとすれば、国語や英語の授業で「正しい解釈を説明する」ことが根本的な誤りであると認めなければならないし、その覚悟を我々に迫るものだと考える。

以上のように、普段わざわざ県外に赴いて聞きに行くような話を勤務校にいながら耳にすることができ非常に幸運であった。しかしながら、こういったコミュニケーションの形態が現代のみに当てはまると考えるのには疑問を持った。コミュニケーションとは元来曖昧なものだと思っているから。そこで公演後に隙を見て質問に行くと、ある社会学者の現代コミュニケーション論だということであった。

その社会学者の名前は・・・ニクラス・ルーマン。広大の田尻科研に参加しておけば良かったと後悔した。せいぜい柳瀬先生のサイトで勉強させてもらうことにします。

花野先生には、その他にも、現代のコミュニケーションでは伝達の形式のみが残り、内容が消えてしまっている場合があることなど示唆に富むお話をいただきました。ぜひまた、ゆっくりお話を聞きたいものだと思っております。貴重なお話をありがとうございました。