国立大学の二次前期が終わり一段落。3時から添削を開始しそのまま出校する生活から何とか抜け出すことができた。というわけで、久しぶりに「学びの共同体」の話、後半戦は批判的な視点が多くなりますがご容赦のほどを。
いきなり核心をつく。今回見学した授業の多くで「学び」の課題として和訳が課されていたが、グループで和訳をすることは本当に「学び」に適した活動なのか。また、和訳は「学び」のゴールになり得るのか。
たしかに、和訳に慣れていない生徒にとって、友人と一緒に和訳作業を体験することは助けになることだろう。友達から辞書の引き方や訳し方を学ぶのは、スローラーナーには必要なことかもしれない。
しかし、共同作業で和訳をすることを目標として授業を組み立てるのは、「英語力とは和訳する力をつけること」というメッセージを与えてしまうことにならないか。読解と和訳は異なるのだという視点を生徒は身につけることができるか。
和訳作業をするときに、たとえば辞書を引いたり和訳する箇所を分担したりすることが見受けられた。これは作業の負担を軽減するだけで、むしろ学習の質を落としてしまうことになってしまいそうだ。学校における共同学習を通しての「学び」が学習の自立に繋がらなければ、その「学び」に十分な価値があるといえるか。
和訳を通して共同学習をするのであれば、むしろ個人個人で訳したものを持ち寄って他人の和訳と比較し議論することによって「学び」が成立しそうである。その意味では個人で考える時間の保証が非常に重要になりそうだ。
指導者から細かい訳にこだわらずに全体的な意味を捉えなさいという指示があったが、その活動と和訳は対極的なのでは。生徒は断片的な情報から全体を推測するように指示を出されたのか、個々の文を積み上げて和訳した後にそれをまとめるように指示を出されたのかわからずに混乱してしまう。
そして、いくつかの疑問点の中でもっとも大きなものは、これまで英語教育が得てきたものとどう折り合いをつけるのかということである。英語を用いたコミュニケーションは「学び」には不要なのか。音読やクイックレスポンスなどのトレーニングは授業からいっさい排除するのか。
和訳が「学び」の授業の核として据えられているというのは、あくまでも今回見た授業からの印象である。いずれ、他校(特に高校)の実践も見せていただきたいと思っている。
お願い: 今回の「学びの共同体」の実践については非常に先進的なものであると考えています。その素晴らしさに圧倒されることもある一方、自分の勉強不足からある種の消化し辛さも感じています。記事の中に批判的な部分もあるかもしれませんが、誹謗・中傷、攻撃などの意図は全くありませんのでご理解頂けますと幸いです。しつこいようですがよろしくお願いいたします。
いきなり核心をつく。今回見学した授業の多くで「学び」の課題として和訳が課されていたが、グループで和訳をすることは本当に「学び」に適した活動なのか。また、和訳は「学び」のゴールになり得るのか。
たしかに、和訳に慣れていない生徒にとって、友人と一緒に和訳作業を体験することは助けになることだろう。友達から辞書の引き方や訳し方を学ぶのは、スローラーナーには必要なことかもしれない。
しかし、共同作業で和訳をすることを目標として授業を組み立てるのは、「英語力とは和訳する力をつけること」というメッセージを与えてしまうことにならないか。読解と和訳は異なるのだという視点を生徒は身につけることができるか。
和訳作業をするときに、たとえば辞書を引いたり和訳する箇所を分担したりすることが見受けられた。これは作業の負担を軽減するだけで、むしろ学習の質を落としてしまうことになってしまいそうだ。学校における共同学習を通しての「学び」が学習の自立に繋がらなければ、その「学び」に十分な価値があるといえるか。
和訳を通して共同学習をするのであれば、むしろ個人個人で訳したものを持ち寄って他人の和訳と比較し議論することによって「学び」が成立しそうである。その意味では個人で考える時間の保証が非常に重要になりそうだ。
指導者から細かい訳にこだわらずに全体的な意味を捉えなさいという指示があったが、その活動と和訳は対極的なのでは。生徒は断片的な情報から全体を推測するように指示を出されたのか、個々の文を積み上げて和訳した後にそれをまとめるように指示を出されたのかわからずに混乱してしまう。
そして、いくつかの疑問点の中でもっとも大きなものは、これまで英語教育が得てきたものとどう折り合いをつけるのかということである。英語を用いたコミュニケーションは「学び」には不要なのか。音読やクイックレスポンスなどのトレーニングは授業からいっさい排除するのか。
和訳が「学び」の授業の核として据えられているというのは、あくまでも今回見た授業からの印象である。いずれ、他校(特に高校)の実践も見せていただきたいと思っている。
お願い: 今回の「学びの共同体」の実践については非常に先進的なものであると考えています。その素晴らしさに圧倒されることもある一方、自分の勉強不足からある種の消化し辛さも感じています。記事の中に批判的な部分もあるかもしれませんが、誹謗・中傷、攻撃などの意図は全くありませんのでご理解頂けますと幸いです。しつこいようですがよろしくお願いいたします。