立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

福島県吾妻山の一切経山と吾妻小富士・・・埼玉県在住の友人JingShangさんからの旅日記

2020年08月07日 | JingShangレポート
 思い立って8月3日と4日に福島県北部にある吾妻山の一切経山と吾妻小富士に行って来ました。吾妻山は福島県と山形県の県境上を東西に広がる大きな山塊で、その東端に一切経山と吾妻小富士があります(この二つの山とそれに続く家形山は福島県に属しますが)。
 吾妻山は全体としては火山が生成したもので比較的年代が古く、今はたおやかで緑で覆われた山々が殆どです。しかし、一切経山は今も噴煙を上げ、吾妻小富士は噴火したままの姿を留めています。


(1)吾妻小富士の火口の縁からみた一切経山です。
 写真中央左に火口があり、今も噴煙を上げています。1893年には大噴火がありました。現在は噴火警戒レベル1ですが、2015年、16年はレベル2だったそうです。
 一切経山の山頂はこの写真では見えませんがこの奥にあります。写真下の駐車場がある地点は浄土平と言い、標高は1580mです。レストハウス、ビジターセンター、天文台等があります。一切経山の最高地点の標高は1948.8mで、浄土平から写真左手方向に火口を迂回して登ります。



(2)一切経山山頂近くから見えた五色沼です。
 一切経山の山頂は広く、山頂の北側急斜面直下に五色沼があります。この斜面はとても急で、油断をすると滑落しそうでこれ以上進めません。登頂時は雨が降りましたが、雲の切れ目に写真が撮れました。
 空の色を反映して湖面の色が変わるので五色沼と呼ばれているのですが、最近は「魔女の瞳」という別名もあります。写真左側の五色沼の縁の尾根の奥に山頂が水平な山が見えますが、家形山です。ここを西に進むと吾妻山の縦走路です。



(3)浄土平の駐車場からみた吾妻小富士です。
 写真中央に見えるジグザグの登山路を登ります。登りついた所が火口周辺では一番低い部分です。駐車場から火口1周して所要約1時間のコースです。火口周辺の最高部はこの写真では見えません。最高部は写真奥にあり、標高1707mです。浄土平が1580mですから、標高差127mです。
 浄土平駐車場から近く、上り下りと火口一周で1時間程度ですから、レジャー着で、装備無しの観光客も登って来ます。私は浄土平には何度も来ていて、この山なら何時でも登れると思っていましたが、何時でもと言ってはいられない歳になったので、この機会に登って置こうと思い立った次第です。



(4)吾妻小富士の火口部です。
 浄土平から登り切った地点で撮りました。東小富士の火口を見たのはこれが初めてです。写真中央左の高い地点が最高地点だと思います。火口を時計と反対回りで一周しました。この山は水はけのよい地質なのでしょうね、水が溜まらず火口湖はありません。吾妻小富士とはよく言ったもので、山容は小さくした富士山の上部を切り取って張り付けたような感じがします。



(5)3日泊まった高湯温泉の旅館玉子湯の湯屋の一つです。
 高湯温泉は福島市街の西方向を吾妻山に向かった途中の斜面にあります。標高は750mと比較的高いので高湯と名付けられたのだと思います。数軒の温泉宿が並ぶ温泉郷で、玉子湯はその中核的存在です。
 写真に見える川が作った谷あいの左岸に5階建ての建物があり、左岸の道路から見ると2階建てのように見えるのですが、実は4階と5階であり、4階の入り口、ロビーの下に3階分の客室があります。私の部屋は2階にあり、その部屋からこの写真を撮りました。
 写真にある湯屋は、昔の温泉小屋を再現したようなもので、この湯屋には木造の温泉浴槽があるだけで洗い場がなく、入ってすぐに脱衣場があり、その隣が浴槽になっています。この谷川沿いにこのような藁葺き小屋が幾つか並んで、他の小屋は露天風呂の脱衣場になっています。洗い場のある大浴場は5階建ての建物にあります。温泉は硫黄泉で白濁している筈ですが、源泉にとても近いので白いがやや透明な湯です。最近知ったのですが、硫黄泉は本来透明で空気に触れると酸化して白濁になるようです。福島市の温泉というと飯坂温泉が有名ですが、高湯温泉は本当に温泉らしい温泉です。
 

(「立山日和。」の賑やかしになればと思い投稿しました。)



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(友人の旅) 奥鬼怒温泉郷の手白澤温泉行き・・・友人Jingshangさんの旅の記

2019年11月07日 | JingShangレポート

 10月31日から1泊2日で栃木県奥鬼怒温泉郷の一つである手白澤(てしろさわ)温泉に妻と二人で行って来ました。

 良い天気に恵まれ、楽しかったです。奥鬼怒温泉郷は、栃木県鬼怒川最上流部に位置する4つの温泉宿から成り立っています。自家用車はその温泉郷から下流の女夫淵(めおとふち)駐車場までしか行けず、その先は林道を歩くか、送迎がある温泉宿の送迎バスに乗らねばなりません。今回泊まった手白澤温泉は他の3軒が鬼怒川本流の傍にあるのに対して、鬼怒川支流の手白澤を遡ったところにあり、送迎がないので林道を徒歩で行かねばならず、片道2時間15分程度、約13000歩かかりました。途中妻から「かよわい私にこんなに歩かせるなんて・・・」と文句を聞かされ続けましたが、それでも全部歩きました。

 この写真は手白沢温泉の全景です。手白澤温泉のHPから採りました。入口看板には右からの横書で「手白澤ヒュッテ」と書かれていますが山小屋ではなく、立派な温泉旅館です。写真の建物の右側に客室が6部屋あり、 最大宿泊客数が25名の小さな旅館です。 左側がフロント、事務室、厨房、そして食堂となります。その更に奥に別棟で浴場(男女とも室内と露店風呂)があります。温泉は透明な(細かい湯の華が混じっていますが)単純硫黄泉で、湯量はとても豊富で、浴室はもちろんかけ流し、洗い場にも蛇口がなく、常時(夜中でも)お湯が流し放されています。全館床暖房にも使っています。室内は暖かく、浴衣だけで済みます。独占出来る泉源に小人数の客数だから出来るのでしょう。部屋は15畳あり、トイレ、洗面所がついていますが、テレビはありません。WiFiは使えます。食事は、食堂でとりますが、普通の温泉旅館風ではなく、洋風のレストラン風です。パンではなく、ご飯だったり、汁物が付きますが肉料理がついたり、飲み物の選択としてワインリストがついていたり、デザートがついていたり、セルフですが、コーヒーや紅茶も飲めます。詳しくはhttp://www.teshirosawa.co.jp/info/をご覧ください。 奥鬼怒温泉郷には、登山地図に山小屋として印されている日光澤温泉(質素、送迎なし)、そこそこの規模の加仁湯(所謂温泉旅館、一番大きい、送迎あり)、ログハウスもある八丁の湯(林間学校等に使われそうな感じ、送迎あり)、そしてこの手白澤温泉とそれぞれ特色があります。

 

以下は林道途中の紅黄葉です。

 

 この写真は歩いている途中の林道から撮りました。多分北西を向いています。この谷間に鬼怒川が流れています。歩いている所が海抜1400m程度で、一部は落葉しています。空気が澄んで空が青いです。夜に手白沢温泉の露天風呂に入って上を眺めると満天の星が見えました。

 

 

 この写真は手白沢温泉の近くでとりました。手白沢温泉の建物の中に飼い犬がおり、我々が帰る時に、女夫淵までついてきました。我々の出発までは建物の中にいたので、外に出たかったようです。宿のご主人が「この犬がついていくかもしれないが、心配しないでください。この犬は、一度外にでると暫く帰ってこないが、必ず戻ります」と言って下さったので、安心でしたが、本当にずっとついてきました。雑種の7歳の雄で、我々には全く吠えません。偶に通る自動車にはちょっと吠えたりしましたが。  最近は妻と一緒に毎日散歩を30分しています。途中晴れた日には遠くに富士山を見ることができます。妻は30分で家に戻りますが、私は更に30分散歩を続けて合計1時間の散歩で1日8千歩を確保しています。私のコースでは筑波山や日光の山々が見えることがあります。今回は1日1万3千歩×2日で、すこし(妻は大分)疲れましたが、歩きとおせて、しかも温泉と美味しい食事と紅黄葉を楽しめて満足です。

(Jingshangさんありがとう。転載させてもらいました・・zen)

 

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裏磐梯猫魔ケ岳と雄国沼・・・友人JingShang君からの旅だより

2019年07月11日 | JingShangレポート
 友人JingShang君(埼玉県在住)が旅だより「裏磐梯猫魔ケ岳と雄国沼」を寄稿してくれました。

 7月7日/8日裏磐梯の雄国沼と猫魔ケ岳へ行きましたので、その写真をご披露させて頂きます。
 今回は一人で自動車で裏磐梯まで往復しました。昔なら日帰りですが、安全を考えて裏磐梯で1泊しました。裏磐梯のホテルの温泉と食事に引かれたことも1泊の理由です。


(1)1枚目は磐梯山です。最初に猫魔ケ岳山頂からの景色をお見せします。猫魔ケ岳は磐梯山の西側に位置しています。標高は1404mと低く、登山口のある八方台との標高差は200mちょっとで、私の足で1時間半で行けます。八方台から東に向かえば磐梯山、西に向かうと猫魔ケ岳という位置関係です。

 写真中央が磐梯山です。手前の岩が猫魔ケ岳山頂の一部です。写真右手が南側です。雲海に覆われています。猪苗代湖や表磐梯は雲海の下です。
 この写真では見えませんが、磐梯山の後方(東方面)には安達太良山があります。


(2)次は裏磐梯です。

 猫魔ケ岳から北東の方向を見ています。檜原湖等裏磐梯の湖がいくつか見えています。明治の磐梯山火山の爆発で出来た堰止湖です。写真後方に見えている山並みは吾妻連峰です。


(3)次は猫魔ケ岳山頂の西側の写真です。見える湖は雄国沼(おぐにぬま)です。湖から水分が蒸発して上昇気流を形成しています。

 雄国沼は標高1090mで、50万年前に猫魔火山が爆裂して出来た火口亀裂カルデラに水が溜まってできたようです。
 写真後方に残雪のある高い山が見えますが、飯豊山(いいでさん)です。


(4)飯豊山(いいでさん)を望遠で撮ったものです。この山塊全体を飯豊山と呼びます。コンパクトカメラですが、そこそこ撮れています。7月初旬ですが、残雪が多くあります。飯豊山は、実質的には山形と新潟を分ける地域にあるのですが、飯豊山は福島県に馴染みが深く、山頂東側の稜線部の細長い部分だけ、福島県の所属となっています。

 猫魔ケ岳の北方遠くに、朝日連峰も見えましたが、望遠しても小さいので、ここでは割愛しています。


(5)雄国沼とニッコウキスゲの群落です。これは猫魔ケ岳登山の前日に別ルートで雄国沼に来て撮ったものです。写真に鋸の歯のような山並みがありますが、その一番左側の峰が猫魔ケ岳の山頂だと思います。

 ニッコウキスゲは、6月下旬、7月上旬が開花ピークの高山植物です。1本の茎で花を3つ付けるようで、しかもその花が間隔をあけて順番に開くので、蕾、開花、しおれた姿を同時に見ることが出来ます。
 雄国沼には、猫魔ケ岳からも行けますが、裏磐梯の別の登山口からも約1時間で行くことができるので、そうしました。その他、喜多方から雄国沼近くの金沢峠までシャトルバスがあるので、このルートで家族連れも来ています。



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韓国・ソウルへの旅(6)・ソウルの最終回・・・JingShangの韓国・ソウルへの旅

2015年04月28日 | JingShangレポート
 ソウルの最終回です。

(1)韓国銀行の旧本店(日本統治時代の朝鮮銀行)

 韓国銀行の旧本店です。南山公園から真っすぐ下ったところにあります。今はこの建物の裏手に高層の本店ビルが建てられ、この旧館は貨幣金融博物館になっていますが、日本統治時代は朝鮮銀行の本店だったようです。

 日本統治の朝鮮銀行は朝鮮銀行券を発行する中央銀行でした。朝鮮に独自の中央銀行を置いたのは、朝鮮経済が日本に影響しないようにしたい為だったようです。こうした事実も先ほど日本語ウィキペディアで知ったばかりです。旧朝鮮銀行の残余資産を基に開かれたのが、日本不動産銀行であることは知っていました。その不動産銀行はバブルで潰れ、今はあおぞら銀行となっています。

(2)韓国銀行旧本店の裏手

 韓国銀行旧本店を裏手から見たものです。現本店は写真右側方向にあります。

(3)ソウル歴史博物館

 ソウル歴史博物館です。韓国銀行とはかなり離れた慶喜宮の一画にあります。ここは年齢に拘わらず入場無料でした。

(4)ソウルの古地図

 ソウル歴史博物館に展示してあったソウルの古地図です。城郭に囲まれていたことが判ります。南側の門に崇礼門(南大門)と書かれています。景福宮、昌徳宮、昌慶宮、宗廟等も書かれています。清渓川も描かれています。地図の南側にあるのが漢江です。

(5)セウォル号沈没一周年追悼デモ

 4月16日夕刻に出くわしたセウォル号沈没一周年追悼デモです。全く偶然に見かけました。デモ隊が世宗大通りに入るところです。ここから北に進みソウル市庁前の広場で集会をするようです。集会の後、世宗大通りを更に光化門方向に進んで、警察の放水を浴びたようです。私は、この写真を撮った後、ホテルに戻ったので、後のことはニュースで知りました。

 今日で、ソウルに関する私のレポートは終わりです。韓国語の学習は漸く途に就いたばかりでまだまだ使い物になりません。次回韓国に出かけるのはまだまだ先になるでしょう。その時にはまたレポートしたいと思います。

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韓国・ソウルへの旅(5)・南山公園(ソウルタワー周辺)・・・JingShangの韓国・ソウルへの旅

2015年04月27日 | JingShangレポート
 今日はソウル南山公園のソウルタワー周辺を紹介します。南山公園の北側から公園に入り安重根義士記念館まで来ました。そこからロープウェイの駅に迂回するつもりでしたがかなり歩かねばならないようなので、徒歩で登ることにしました。

(1)山頂への道路

 安重根記念館の前に山頂へ続く道路があります。この道路は自動車の下り専用道路ですが、歩道が付設され歩きやすそうです。歩いたのは4月15日のことですがまだ桜の花が残っており、楽しむことができました。ソウルの緯度は日本の福島市とほぼ同じようですので、ソウルの桜は日本の関東よりは遅いのだと思います。写真では少し下り気味ですが、この先は登りとなります。

(2)下の景色が霞む、春霞というより・・・

 そこそこ登ってタワーもそう遠くないところで、下を見下ろしたものです。春霞というより、PM2.5と黄砂が混じっていると言う方が適切そうな空気ですが、景色は一応綺麗なものです。山裾に市街地が見え、その先に川が見えますが漢江です。写真は南を向いていることになります。

(3)展望台から西の方向

 ソウルタワー下の展望台から西の方向を撮ったものです。川はやはり漢江です。このあたりでは漢江は北西に蛇行しています。ソウルタワーは以前に上まで登った経験があるので、今回はタワーに上るのをやめて、真下の展望台だけにしました。展望台の周囲の柵にはアベックが付けた願掛けの鍵がぎっしりあります。

(4)ゴンドラから下を見下ろす

 ロープウェイのゴンドラから下を見下ろしたものです。北を向いています。

(5)斜めに動く乗り物
 
 ロープウェイの降り場から道路までを繋ぐ、何と言ったらよいのか判りませんが、斜めに動く乗り物です。ケーブルが無いので自走式のようです。客室はエレベータのように縦長で、数人しか乗れません。大部分の人は、ロープウェイの乗り場から車で帰りますが、車のない人は、これに乗るか、歩きます。

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韓国・ソウルへの旅(4)・漢江の遊覧船と南山公園・・・JingShangの韓国・ソウルへの旅

2015年04月26日 | JingShangレポート
 ソウルへの旅を続けます。高速バスターミナルの下見に江南に行き、その続きで漢江南岸にある船着き場から遊覧船に乗りました。漢江遊覧の後ソウル駅を経て、ホテルに戻り、さらに南山公園に出かけました。

(1)漢江南岸の船着き場(汝矣島)

 漢江南岸にある船着き場から遊覧船に乗りました。遊覧船船着き場は汝矣島と蚕室の二か所あるのですが、私は汝矣島から乗りました。写真はその船着き場です。漢江に出た遊覧船から撮っています。見える遊覧船の後ろは江南、即ち漢江南岸です。遊覧船は出発地から元の出発地に戻るコースで、汝矣島と蚕室間の往来はありません。私が乗った時刻は平日の午前でしたので、私以外は中国人の観光客ばかりだったようです。

(2)漢江の北岸

 船着き場の船の上から北岸方向を取ったものです。漢江には幾つもの橋やトンネルが建設されています。写真中央、やや右寄りに山が見え、タワーが微かに見えますが、南山にあるソウルタワーです。

(3)南山公園の安重根義士記念館

 以降は南山公園です。遊覧船を見た後はソウル駅を経てホテルに戻り、さらに南山公園に出かけました。朝ホテルを出て夕方までは戻らない行動形態は疲れるので、昼食を兼ねてホテルに戻って休憩をしてからまた出かけることが多かったです。好奇心や体力が衰えているのが良くわかるので仕方ありません。

 南大門、明洞の南側に丘陵があり、南山公園となっています。ホテルから南大門を通り抜け、南山公園の北西部から公園地区に入りました。山を登る方向に金庚信将軍像、金九先生銅像と続きます。金庚信将軍とは三国時代の武将で新羅統一に貢献した人、金九は朝鮮独立運動家です。金九は中国に設立された大韓民国臨時政府の幹部の一人で、以前上海や重慶の大韓民国臨時政府址を紹介したことがあります。

  これらの像からもう少し登った高いところに安重根義士記念館があります。写真がそうです。日本語ウィキペディアによれば、安重根は大韓帝国の朝鮮の独立運動家で、前韓国統監の伊藤博文を1909年10月にロシア権益下の満州ハルビン駅で襲撃して殺害した暗殺者で、翌年3月に日本の関東都督府で処刑されました。

 この記念館は2010年に建て替えられたようです。地下1階から入り、1階、2階と上がっていきます。地下2階は講堂になっているようです。

(4)安重根義士記念館の2階から地下1階(礼拝ホール)を見る

 2階から地下1階を見下ろしたものです。地下1階のエントランスは礼拝ホールとなっています。写真では学生が記念撮影していますが、私が入った時は私以外観客はいませんでした。入口には日本語のパンフレットもありました。このホールを囲むように展示室があります。

(5)安重根像

 記念館の外側にある安重根像です。写真背後が記念館です。

(6)桜の向こうに南山山頂とソウルタワー

 安重根像の反対側を見たものです。南山山頂とソウルタワーが見えます。歩いて登ることにしました。明日は南山をお見せします。

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韓国・ソウルへの旅(3)・東大門周辺と江南の高速バスターミナル・・・JingShangの韓国・ソウルへの旅

2015年04月25日 | JingShangレポート
 ソウルは漢江の北岸に漢陽として始まり、中国の都市と同じく防護の為の円形の城壁で囲まれていたのですが、その城壁の東西南北に4つの大門、そのほか4つの小門があったそうです。

(1)東大門

 前に南大門をお見せしましたが、今日はその大門の一つ、東大門から始めます。写真は東大門です。写真は南側から北に向かって撮っています。瓮門(おうもん)と呼ばれる外側の城壁を擁しているのが、東大門の特徴です。南大門には瓮門はありません。

(2)清渓川

 東大門の南側を東西に流れる清渓川です。日本語ウィキペディアによれば、この川は、かつては生活排水を流す下水道代わりの川として利用されましたが、ソウル市により暗渠化され、1971年には暗渠の上を通る清渓高架道路が完成しました。2000年代に入り、老朽化して使われなくなった(安普請だったからか?)高架道路が撤去され、5.8Kmにわたり河川の復元工事が行なわれ、また地下鉄から出る地下水を放流する等水質浄化対策も行われ、2005年に工事が終わったとのことです。

 清渓川とは全く無関係ですが、先日NHKの「ブラたもり」という番組で長崎が紹介され、その中で戦後復興で川を暗渠化して道路にする工事を急ぐあまり、川を跨ぐ橋もそのままま覆った道路が紹介されました。おかげで道路が平らではなく、中央部が不自然にもりあがった道路になっていました。タモリさんが暗渠に入って、それを紹介していましたが、その橋の石造りの橋脚がそのまま残っていました。ソウルの清渓川の暗渠撤去を紹介しながら、その番組を思い出しました。

(3)清渓川北岸の広蔵市場

 清渓川の北岸にある広蔵市場です。東大門近くには東大門市場がありますが、この広蔵市場は東大門市場の更に西側にある市場です。通りには軽食の店が並んでいます。観光客も大勢来るようです。米の粉を練って餅のようにして、辛い味付けで煮たトッポギを売っていたのでトライしました。

(4)江南(漢江の南)の高速バスターミナル

 江南(漢江の南)にある高速バスターミナルです。地下鉄で漢江を渡って来たのですが、地下鉄の駅名も「高速ターミナル駅」です。次回以降地方に出かける為の「予行演習」として、地下鉄で「高速ターミナル駅」に出かけました。とても大きな建物で、写真右側には百貨店や外資系ホテルもありますが、バスターミナルの機能は1階だけで、後は商業ビルとなっています。機能は中国のバスターミナルと同じですが、人の多さやそれに伴う活気が違います。

(5)高速バスターミナルの1階、ハングルを使う難しさ

 高速バスターミナルの1階です。正面が釜山訪問の切符売場です。一般バスと優等バスの二種類があります。この写真は、午前10時頃ですが、このように閑散としていました。週末はもっと混むのでしょうが、予約せずとも切符は買えそうです。

 行き先の地名や時間を口頭で正確に韓国語で言うのは難しいでしょうから、紙で書いて示すことが必要でしょうね。出てきた切符は多分ハングルばかりですから、確認できるようにハングルを読んで理解できるようしておくことが必要です。

 ハングルばかりというのは日本語でいうと全部仮名ばかりのようなものですから(日本語では平かな、片かなの二種類あり、使い分けできますが、韓国語には単純にハングルだけです)、なかなか大変です。その点、漢字は表意文字ですから、読めなくても一定の理解することができるので安心です。韓国語の約7割は漢音(日本語でいう音読み)と言われているので、漢字を使わなくて支障がないのでしょうか。

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韓国・ソウルへの旅(2)・世宗大通り(ソウル駅~光化門)・・・JingShangの韓国・ソウルへの旅

2015年04月24日 | JingShangレポート
 昨日はソウル駅と南大門、その周辺をお見せしました。そのソウル駅から南大門を経て景福宮の南門である光化門までの通りは世宗大通りとよばれ、ソウル随一の大通りです。世宗は李氏朝鮮の第四代の国王で、ハングルを制定したことでも知られています。この世宗通りはホテルから近いので、何度か歩きました。今日はその世宗大通りをお見せします。

(1)世宗大通りを北向きに(右がソウル市庁)

 世宗大通りを横断中に北を向いて撮ったものです。写真右手がソウル市庁です。写真左手は樹木しか見えませんが、徳寿宮があります。

(2)徳寿宮の大漢門

 徳寿宮の大漢門です。西を向いています。撮影時は時間が遅くて閉門していましたが、昼間は入場料を払って入れます。65歳以上は無料です。別の日に入門しようとして、外国人も適用されるのか、窓口で尋ねたところ、「Free!」と入場券をくれました。

 窓口で尋ねる時、韓国語でどういうべきかとか、年齢を証明する為にパスポートは必要かとか色々考えましたが、窓口でごそごそしていると、窓口のおばさんがにっこり「Free!」と英語で言ってくれました。これが「窓口で尋ねた」の実態です。

(3)石塀が美しい散歩道(徳寿宮の南側塀)

 徳寿宮の南側の塀です。観光案内書に「石塀が美しい散歩道」と書かれています。

(4)ソウル市庁

 ソウル市庁です。手前の芝生はソウル広場、その次の石造りの建物が旧市庁舎で、日本統治時代の建物ですが、今はソウル図書館になっているようです。その後ろのガラス張りの建物が新市庁舎で、これは2012年の完成です。このデザインなので色々議論があったようです。本当かどうか知りませんが、「ツナミ」のニックネームもあるように日本語ネットには出ています。

(5)世宗大通り(北方向)の李舜臣将軍像、そして世宗大王像、さらに光化門

 ソウル市庁を過ぎ、清渓広場をの後ろにある大きな交差点から世宗大通りを北向きに見たものです。写真中央は李舜臣将軍像です。彼は日本語ウィキペデイアによれば「文禄・慶長の役において朝鮮水軍を率いて日本軍と戦い活躍したとされる」とのことです。

 その像と同じ並びの奥に小さく金色の坐像があるのがわかるでしょうか。この坐像は世宗大王です。その先の門が光化門で、景福宮の正門です。景福宮の更に奥に青瓦台とよばれる大統領府があります。写真で李舜臣像の後ろにある建物は、世宗文化会館です。世宗文化会館の向かい側はアメリカ大使館があります。

(6)光化門(景福宮の正門)

 光化門で、景福宮の正門です。この光化門は14世紀に建てられ、幾多の変遷を経て、現在写真で見るこの門は2010年に公開されたものです。この付近に日本統治時代の朝鮮総督府があったのですが、今は解体されてありません。光化門の場所の変遷と朝鮮総督府の建物の位置関係を調べようとしましたが、ネットを眺めるだけでは簡単には出て来ません。

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韓国・ソウルへの旅(1)・南大門・ソウル駅・南大門市場・・・JingShangの韓国・ソウルへの旅

2015年04月23日 | JingShangレポート
 4月13日から17日まで韓国ソウルに行ってきました。期限切れ間近のマイレージを利用した個人旅行です。韓国には出張やパッケージツアーで何度か訪問したことがありますが、「土地勘」をつけるためにソウルに4泊して地下鉄と徒歩で動いてみました。

 1年前に学習を始めた韓国語を使ってみるにはまだ早すぎるのですが、マイレージの期限があるので、出かけることにしました。私の拙い韓国語は予想通り、全然戦力になりませんでしたが、韓国は外国人旅行者の獲得に熱心で色んな措置があるので、韓国語が出来ないことは旅行の障害にはならないようです。田舎に行ったらどうなるか判りませんが、ソウルでは全く困りませんでした。しかし、今回の旅行は韓国語を続けて行こうというモチベーションにはなったようです。

 今回はいわば「お試し」の旅行でしたが、報告したいと思います。数回のレポートに分けますが、今日はその第1回目です。

(1)南大門周辺

 南大門です。日本語のホテル紹介サイトで、南大門近くのホテルを予約しました。南大門はソウル駅の近くにあり、地下鉄出口を歩いていくと、南大門がすぐ見えて来ます。先ほど調べて知ったことですが、ソウル駅は初期の頃南大門駅と呼ばれていたそうです。ホテルは、この撮影位置から左に曲がって少し歩いてさらに右に曲がるとあります。南大門は通称で、正式名称は崇礼門です。ソウルは旧市街地を巡る城郭があり、東西南北の大門4つと小門4つがあったそうです。南大門はまさに南の大門です。南大門は2008年に放火に遭い、一部消失しましたが、2013年に修復されています。

(2)南大門近くのホテルの窓からソウル駅

 ホテルの20階の部屋の窓から見た景色です。ソウル駅が見えます。ソウル駅付近では鉄道が南北に走っています。この写真は南を向いています。ソウル駅は現在は橋上駅となっていますが、本来は鉄道東側(この写真では左側)が表口です。

 今回は羽田から金浦に着くフライトを利用しました。機体はB787で、通路は二つあり、座席は3+3+3の配置です。往復ともほぼ満席でした。仁川空港からソウル駅までは空港鉄道があり、途中で金浦空港を経由します。金浦からはこの空港鉄道に乗り、ソウル駅まで来るのが確実です。空港鉄道はソウル駅の南側の地下深くにあります。ホテルはソウル駅の北側から歩くので、途中は複雑な通路がありますが、出口番号の表示に従って歩けば問題はありません。

(3)ホテルの窓から(東方向)

 ホテルの窓から見た景色です。東を向いています。ソウルは東西に流れる漢江の北側にできた街で、かつては漢陽(北岸は太陽があたるので「陽」がつく)と呼ばれていましたが、現在は漢江の南側にも市街地が拡がり、その地域は江南と呼ばれています。

 窓の下をKTXという高速鉄道がソウル駅を出たばかりでゆっくり走ります。20両編成で、両先頭車が機関車で、その間にある18両が動力の無い客車という構成になっています。

(4)ソウル駅の旧駅舎

 ソウル駅の東側にある旧駅舎です。1925年に竣工したものとのことです。現在は博物館になっています。

 駅前は浮浪者が少々いて、あまりよい雰囲気ではありません。歩行者は地下の歩道を歩くことが多いので、この地上の通行者はさほど多くありません。ソウル駅は空港鉄道のほか、数路線の地下鉄が乗り入れています。

 地下鉄は昨年事故がありましたが、路線図をみると東京並に張り巡らされています。地下鉄はTマネーと称するプリペイドカードを買ってチャージしておけば、便利です。

(5)南大門市場

 南大門市場です。南大門市場は南大門の南東側に広がります。雑貨市場で、色々なものが売られています。食堂もあります。外貨の両替屋もあります。現在は円安で、100日本円で、900ウォン程度です。空港で両替すると900ウォンを切ります。

(6)地下市場への通路

 地下市場へ行く通路です。全面的ではありませんが、道路の地下、建物の地下が網の目のように繋がっています。

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権現堂の桜(埼玉県)と利根川江戸川分流地点のこぶし(茨城県)・・・JingShang君のお花見

2015年04月02日 | JingShangレポート
 4月1日の関東地方は午前中曇り午後雨の予報でしたが、午後の雨はお湿りにもならい程度で、それ以上雨は降らないようです。午後雨の予報にせかされて今日埼玉・権現堂(ごんげんどう)の桜を見に行って来ました。昨日は権現堂から車で30分もかからないところにある利根川と江戸川の分流地点の公園にある「こぶし」の古木を見てきたので、併せてご披露します。

(1)権現堂の桜の遠景

 権現堂の桜の遠景です。「年年歳歳花相似たり」で、以前にもお見せしたものとあまり変わりありませんが、相変わらず見事なものと思います。

 権現堂川は元々江戸川に合流する河川でしたが利根川に合流することになり、江戸川との合流までの下流が廃川となったものです。権現堂の桜はその廃川部分の土手堤に植えられた桜です。写真は権現堂川の水面を背にして、北東方向から南西に向いて撮っています。権現堂川は廃川ですが、埼玉県と茨城県の県境になっています。写真方向は埼玉県幸手市で、写真の背が茨城県五霞町です。

(2)土手堤の真下から撮った桜

 土手堤の真下から撮ったものです。菜の花はこの写真のさらに左側にあります。この土手堤は権現堂川のものです。この写真は土手堤の北の端近くから撮ったものです。南北1Kmの土手堤に約1000本の桜があります。今日でほぼ満開状態です。少しつぼみも残っていて、散った花びらはない状態です。今週末は大勢の人がくることでしょう。

(3)利根川と江戸川の分流地点にある公園の「こぶし」の古木

 利根川と江戸川の分流地点にある公園の「こぶし」の古木です。この写真は昨日3月31日に撮影したものです。この公園には偶に車で出掛けています。このこぶしの古木は樹齢は不明ですが、こぶしの古木としては関東地方では有数のもので、大切にされているようです。花が開くのを待っていましたが、満開に近くなったので、紹介します。

 写真では古木の上方が枯れているように見えますが、細かい枝の先に蕾がついているので、時間が経てば花が咲くように思います。しかし、下部の花は一部散り始めているので、全木満開という時期はなさそうです。

 写真右端に城のようなものが見えますが、千葉県立関宿城博物館です。この博物館の向こう側は千葉県野田市で、旧関宿町です。千葉県の西北部分で埼玉県と茨城県に挟まれた細長い部分の突端です。博物館から写真手前は茨城県です。こぶしのある公園と博物館の間はかつては江戸川が流れていた部分です。現在の江戸川は写真の背後に流れています。写真の奥は利根川です。写真の左側を上流に遡ったところが利根川と江戸川の分流地点です。

(4)こぶしの古木の下の部分

 こぶしにもどります。この写真はこぶしの古木の下の部分を撮ったものです。花びらは上質な和紙を思わせる白さです。散った花びらを手にのせるとしっとりとした感触がします。

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筑波梅林の花見(茨城県つくば市)・・・JingShang君の梅見見物

2015年03月17日 | JingShangレポート
 埼玉県在住のJingShang君(以前上海レポートを送ってくれていた)から、今度は筑波山南麓の筑波梅林へ梅見に出かけたレポートが送られてきました。富山に比べて一足も二足も早い春ですね。(zen)

 昨日3月16日の関東地方は曇りがちでしたが、思い立って筑波山南麓にある筑波梅林に行きました。筑波梅林は筑波山神社近く、4.5万平米の土地に約30種の約1000本の梅があります。筑波山にはこれまで何度も行きましたが、筑波梅林は初めてです。

(1)梅林を横から見た

 梅林を横から見ています。写真左上に藁ぶき屋根が見えますが、そこが梅林の一番高い地点です。筑波山南麓の一部分が梅の海になっています。

(2)展望四阿(あずまや)

 一番高い地点にある藁ぶき屋根の建物です。展望四阿(「あずまや」とかながふられていました)と呼ばれていて、展望台になっています。空気が澄んだ天気のよい日には東京の高層ビル群や富士山も見えるとのことです。

(3)展望四阿から見た梅林

 その展望四阿から見た梅林です。この梅林は段差のある広い面積に梅が集中して植えられているので、見映えがします。

(4)桃の花のような色合い

 梅林の中で撮った紅梅です。桃の花のような色合いですが、これも紅梅と呼んでよいのかどうか判りません。

(5)特設ステージの「ガマの油売り」

 梅林の中の休憩所よこの特設ステージで見かけた「ガマの油売り」の口上演技です。3月は梅まつりのイベントが開かれており、このような出し物があるようです。ショーだけではなく、本当にガマの油を売っていました。

 月曜日の午前ということもあり、観客は年寄と保育所の子供たちでした。この時間帯でも駐車場は結構混んでいたので、休日にでかけるとちょっと大変でしょうね。

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大宮第二公園の梅を花見(埼玉県さいたま市)・・・JingShang君の近況と梅の花見

2015年03月12日 | JingShangレポート
 ご無沙汰致しております。私は昨年2月末に上海から永住帰国し、丁度1年が経ちました。昨年7月に母が96歳で亡くなりましたが、それ以外は恙なく過ごしています。
 昨日は東日本大震災の4周年でしたが、ここ関東地方は北陸、北日本の方々には申し訳けないほどの好天に恵まれ、大宮第二公園の梅を見に出かけました。それをご紹介かたがた私の近況をご報告したいと思います。

(1)大宮第二公園に500本の梅林

 大宮公園はJR大宮駅の北東方向1.5Kmにあり、第一から第三公園に分かれていますが、大宮第二公園に500本の梅林があると聞き、出かけてきました。第二公園には駐車場があり、第一公園にある氷川神社に初詣に行くときにはいつも利用しているのですが、仔細に見たことはなく、梅林のことも「埼玉の梅林」で検索して初めて知りました。

 昨日の埼玉東部は、朝は寒かったのですが、晴天で風もなく気温が上昇し、暖かな日和でした。平日の午後だったので、子供は少なく年寄りばかりでしたが、穏やかに梅を楽しむことが出来ました。これはその風景です。

 実は2月28日に埼玉越生(おごせ)の梅林も見に行ったのですが、そこは白梅が多く、時期が早かったのでまだ早いという印象でしたが、それから10日過ぎ、大宮は越生より低い土地にあり、梅は満開直前でした。大宮公園の梅林は観賞用に作られたので色々な種類に梅を楽しむことが出来ます。

(2)韓国語の勉強

 アングルを変えましたが同じ梅林の風景です。大宮公園は34万6千平米あるそうですが、梅林としてあるのはこの付近だけです。

 私は昨年2月末に日本に戻り、3月は生活の整理、切り替えに費やしましたが、一ヶ月で大体落ち着き、4月からは韓国語を始めました。4月に年度が替わりNHKの語学講座が新しくなることも動機の一つです。語学を始めた動機は認知症予防です。本当は従来から脳の使用領域が異なる理系の学問が良いのでしょうが、それでは長続きしないだろうと思い、語学にしました。何故韓国語かと問われれば、アルファベットを使わず、近くて使う機会が多そうだからです。韓国には、出張やツアーで行ったことが何度かありますが、機会があれば、中国でやったように一人でバスに乗って地方都市を巡ってみたいと思います。

(3)満開の白梅、社会人講座

 白梅です。なかなか大きな木です。まだ蕾も少しありますが、ほぼ満開状態です。少し散った花びらも見えますが、盛りはこれからです。

 韓国語は、NHKラジオ講座以外に自宅に割合近い大学の社会人向け講座に通っています。週一度90分で、一年で20数回の講座ですが、小人数で対面の授業は得難いものです。ラジオ講座だけでは、発音の矯正や疑問点の解明等が出来ません。また自習では怠惰故の挫折もありますが、定期的に出席する授業は半分強制的な側面もあり払った授業料分は身につけたいという動機にもなり有効です。当てられて答えられなかったらどうしようという緊張感を本当に久しぶりに味わっています。

(4)紅梅、4月にはソウルへ

 紅梅です。これは幹が割合のびています。

 韓国語はまだまだ実用には至りません。少し出来るようになれば韓国に行ってみて、一人で行動してみようと思っています。韓国行きはまだ先と思っていましたが、息子に期限切れになるマイレージがあるとのことで、それを貰って4月にはソウルに出かけることを計画しています。今回はソウルだけで、地下鉄を使ってソウルを巡りたいと思います。この旅行でもっと韓国語を真面目に勉強しないといけないとの叱咤になると思います。

(5)枝垂れ梅、中国語を忘れないように

 枝垂れ梅です。決して大きな木ではありませんが、なかなか見事です。

 中国はもう既にかなり行ったので、再度出かける気持ちにはなれません。上海にいる中国人の友人とは時折メールをしています。また、最近友人が北京から中国南部に転勤になるので、来年以降避寒で行こうかなと考えたりしています。

 中国語は忘れないように、これもNHK講座ですが、「レベルアップ中国語」を聴いています。これは偶然聴き始めたのですが、3ヶ月単位で講師、教材が替わるので、「レベル」は変動しますが、まずまず理解できます。昨年7月-9月の講座は最近の中国文学をとりあげ、とても興味深かったです。大陸では決して推奨されない内容の文章を、それを元北京放送アナウンサーが朗読しているのを聴くのは、昔々プロレタリア文化大革命の宣伝放送を知る身としては感慨が涌きます。

 今日はこれくらいに致します。再見。안녕히 계서요. (この分は、ハングルで書きました。文字化けしていなければ幸いです。)

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金門城の中の小さな廟・・・JingShangの福建金門島への旅(右回り島内一周)

2014年11月03日 | JingShangレポート
 金門城の中の小さな廟です。

 金門島の写真はこれでお終いないので、金門島のレポートを終わります。

 私の写真ストックもこれで尽きました。私のレポートはこれで終わりにします。長い間見ていただいて有難うございました。また何か皆様に見て頂きたいと思うようなことがあればレポートをお送りすることもあるかも知れませんが、暫時休載とさせて頂きます。

 再見!

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島の西南部、金城鎮にある金門城の東門・・・JingShangの福建金門島への旅(右回り島内一周)

2014年11月03日 | JingShangレポート
 金門島西南方向にある金城鎮にある金門城の東門です。

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下る坂道、先の砂浜は金門島南部の海岸・・・JingShangの福建金門島への旅(右回り島内一周)

2014年11月03日 | JingShangレポート
 そこを下る坂道です。先に砂浜が見えます。金門島南部の海岸です。

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