冬にはスキー場になる猿倉山の標識があったので、寄ってみることにしました。
登り口に勢いよく流れる「舟峅(フナクラ)用水」があり、説明がありました。200年前江戸時代算学者石黒信由と五十嵐孫作らによって開かれた用水とあります。測量・設計に13年、工事に20年をかけ急峻な山腹を14キロ余を導水して船倉台地を美田にする基礎としたということです。平成に入り再改修されて現在も利用されています。ここで3つに分水されています。
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登り口に勢いよく流れる「舟峅(フナクラ)用水」があり、説明がありました。200年前江戸時代算学者石黒信由と五十嵐孫作らによって開かれた用水とあります。測量・設計に13年、工事に20年をかけ急峻な山腹を14キロ余を導水して船倉台地を美田にする基礎としたということです。平成に入り再改修されて現在も利用されています。ここで3つに分水されています。
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日本はすごい地殻変動ですね。ある程度は予想されていたこととは言え、目の当たりにすると、本当にすごいことが起こっているのだと思います。
さて、福建永定の紹介を続けます。今日は、永定県湖坑鎮南渓土楼群(えいていけんここうちんなんけいどろうぐん)の紹介です。ここが、永定県最大の、且つ保存状態のよい土楼群のようで、勿論世界遺産に指定されています。南渓集落全体が保存地区に指定されており、門票がいります。
運転手が入り口近くの食堂のおばさんとつるんで、集落内の男を呼び出し、私をバイクに乗せて門検を無料で通り抜けさせようとしました。私は、そんなことをしなくてもよいと言ったのですが、ほぼ無理矢理そのようなことになりました。
集落の見知らぬ男のバイクに乗って門検を通ると門番から私に、この運転している男を知っているか、名前は何というのか言って見ろと質問が有り、私は黙りました。バイクの男が、私のことを厦門から来た会社の社長だとかでたらめを繰り返し、もう駄目だろうと思っていたら、急に「行け」ということになり中に入れました。面白い体験ではありましたが、もう繰り返したくはありません。
集落は川を隔てた両岸に土楼があります。今日は、その土楼の外観です。1~3は、私が撮ったものです。
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さて、福建永定の紹介を続けます。今日は、永定県湖坑鎮南渓土楼群(えいていけんここうちんなんけいどろうぐん)の紹介です。ここが、永定県最大の、且つ保存状態のよい土楼群のようで、勿論世界遺産に指定されています。南渓集落全体が保存地区に指定されており、門票がいります。
運転手が入り口近くの食堂のおばさんとつるんで、集落内の男を呼び出し、私をバイクに乗せて門検を無料で通り抜けさせようとしました。私は、そんなことをしなくてもよいと言ったのですが、ほぼ無理矢理そのようなことになりました。
集落の見知らぬ男のバイクに乗って門検を通ると門番から私に、この運転している男を知っているか、名前は何というのか言って見ろと質問が有り、私は黙りました。バイクの男が、私のことを厦門から来た会社の社長だとかでたらめを繰り返し、もう駄目だろうと思っていたら、急に「行け」ということになり中に入れました。面白い体験ではありましたが、もう繰り返したくはありません。
集落は川を隔てた両岸に土楼があります。今日は、その土楼の外観です。1~3は、私が撮ったものです。
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