以前にもこのブログで取りあげていますが、再度急いで走ってみました。河岸段丘の上にあるけっこう広々としたこの地は「天上の里」という感じです。古くこの地に瀬戸焼の陶工たちが住み着き、越中瀬戸焼の繁栄を築いたのも理解できます。
(1)立山町の平地から一段高い丘が続いています。
(2)平地から段丘上へ上がっていく道です。
(3)段丘上へ上がってしまうと、また広々とした平地が広がっています。
(4)右の道は下の平地から上がってきたばかりの道です。そしてこの高い平地にも豊かな水を流すための水路が走っています。
(5)ハナショウブが咲いています。
(6)ホタルブクロも咲いていました。
(7)新瀬戸小学校の校舎です。
(8)下の平地へ下っていく道です。
(9)その道から下を眺めました。直ぐ下に見える集落です。集落の向こうに平地が広がってています。
(10)下の平地に田んぼが広がり、屋敷林が見えます。西の常願寺川に向かって真っ直ぐの道が延びています。
(11)西北の富山湾方向です。遠く海岸部には富山市北部の市街地などが見えます。
(9 10 11の写真は下の平地へ下る途中から見たものです。)
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(2)平地から段丘上へ上がっていく道です。
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(5)ハナショウブが咲いています。
(6)ホタルブクロも咲いていました。
(7)新瀬戸小学校の校舎です。
(8)下の平地へ下っていく道です。
(9)その道から下を眺めました。直ぐ下に見える集落です。集落の向こうに平地が広がってています。
(10)下の平地に田んぼが広がり、屋敷林が見えます。西の常願寺川に向かって真っ直ぐの道が延びています。
(11)西北の富山湾方向です。遠く海岸部には富山市北部の市街地などが見えます。
(9 10 11の写真は下の平地へ下る途中から見たものです。)
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「まめな」という言葉は、今でも聞くことがしばしばあるように思います。私の生まれた滋賀県南部でも「まめけ」と同じ意味で「まめにしてはるか?」というふうに今でも使うようです。「まめ」という言葉の使用地域はかなり広いようですね。
本当に懐かしい記憶をありがとうございました‼
上市生まれの自分の義姉は今でも普通に遣っています‼
祖母は「まめけ」・「まめなけ」・「まめながけ」・・・しか遣っていなかったような‼
おふくろは「げんき」と相手によって遣い分けていたような・・・!!??!!
夕方のNHK富山放送局の番組に「富山人」と名づけたり、富山県内の一般道路で出会う車がほとんど「富山」ナンバーだったりするのにも現れていると思います。私の出身の滋賀県ではもうそのようなことは思いもつかないことです。
ですから、富山県には今もって「富山らしさ」が驚くほどに残っているのです。私が滋賀県からここへ引っ越したとき、あまりにもはっきりといろいろな「富山らしさ」の残り方に驚きました。