円筒分水槽を出た水は左岸幹線水路と右岸幹線水路に分かれて、上市川両岸の田んぼを潤すことになります。水槽を出ると直ぐに暗渠に入るので、左岸・右岸のそれぞれの水路の出口を探そうとしたのです。
左岸の水路出口は直ぐ見つかりましたが、右岸幹線水路は半日近くうろうろと迷って動き回りました。
(1)円筒分水槽の水は左岸幹線水路(写真右側)と右岸幹線水路(写真左側)に分かれて出ていきます。間もなく暗渠に入ります。(この画像は前回撮影のものです)
(2)左岸幹線水路は県道の釈泉寺橋(写真上)を渡って右側に暗渠からの出口がありました。
(3)左岸幹線水路は下流に向かって流れます。右に上市川。
(4)左岸幹線水路、少し下がると再び暗渠に入ります。それからしばらく暗渠内を走り、田んぼが現れるところで地上に現れます。ここからは後は追究していません。
(5)ここから後はすべて右岸幹線水路の追究の結果です。これはカモシカです。半日がかりで探し回った間には、カモシカにも出会いました。草をむしゃむしゃほおばっていました。
(6)右岸幹線水路の始まり。県道の釈泉寺橋の右岸付け根の道を少し入ったところにありました。半日走り回った後で、こんなところにあったととはと呆れました。
(7)右岸幹線水路始まり地点から西に水路が延びていく。右に立て札と電線。
(8)立て札は「高圧電流の電気柵」の警告、イノシシや熊の対策です。
(9)右岸幹線水路。かなり下流立山寺橋の集落内は暗渠などで通り抜けている。
(10)右岸幹線水路。集落を抜けてからの水路。
(11)右岸幹線水路の支線か。屈曲しながら田んぼに配水している。
(12)右岸幹線水路。更に下流に下がって水路の上流の方を見ています。
(13)右岸幹線水路の脇に、JAアルプスの稲作指導標。多分コシヒカリ栽培についての当面の時期に応じての「田んぼの水張り、害虫防除」の指示が書かれています。
(この上市川水系の用水管理については、機会があればまた探索したいと思います)
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左岸の水路出口は直ぐ見つかりましたが、右岸幹線水路は半日近くうろうろと迷って動き回りました。
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(2)左岸幹線水路は県道の釈泉寺橋(写真上)を渡って右側に暗渠からの出口がありました。
(3)左岸幹線水路は下流に向かって流れます。右に上市川。
(4)左岸幹線水路、少し下がると再び暗渠に入ります。それからしばらく暗渠内を走り、田んぼが現れるところで地上に現れます。ここからは後は追究していません。
(5)ここから後はすべて右岸幹線水路の追究の結果です。これはカモシカです。半日がかりで探し回った間には、カモシカにも出会いました。草をむしゃむしゃほおばっていました。
(6)右岸幹線水路の始まり。県道の釈泉寺橋の右岸付け根の道を少し入ったところにありました。半日走り回った後で、こんなところにあったととはと呆れました。
(7)右岸幹線水路始まり地点から西に水路が延びていく。右に立て札と電線。
(8)立て札は「高圧電流の電気柵」の警告、イノシシや熊の対策です。
(9)右岸幹線水路。かなり下流立山寺橋の集落内は暗渠などで通り抜けている。
(10)右岸幹線水路。集落を抜けてからの水路。
(11)右岸幹線水路の支線か。屈曲しながら田んぼに配水している。
(12)右岸幹線水路。更に下流に下がって水路の上流の方を見ています。
(13)右岸幹線水路の脇に、JAアルプスの稲作指導標。多分コシヒカリ栽培についての当面の時期に応じての「田んぼの水張り、害虫防除」の指示が書かれています。
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半世紀前の記憶ですが、参考になれば幸いです。12番の写真左上に見える段丘(永代野段丘)崕の中腹を幹線水路が走っていました。今もそうかもしれません。永代野の神明社の裏は高い崕ですが、広域農道の野島の交差点から段丘端沿いに立山寺に向かう途中、野島神社に向かう道に入れば近づき易い。合口化前の旧広野用水の名残も残っているかも知れません。立山寺橋付近の眼目集落先で段丘崕の林に入ったと思いますが、具体的には分かりません。野島集落から辿るほうが、段丘上で水田が始まる区域が見つかり易いかと。段丘の上部は、片地の池で代表される溜池による灌漑で、畑中心なので。
その下流の田島用水ですが。東橋を渡って県立薬草園に向かう道を、上市高校の裏、池田酒屋の角を曲がってすぐに、斎の神の水神祠(窪の地蔵さん)。裏にまわると田島用水が段丘崕の中腹を流れているのを遡れます。窪の地蔵さんを過ぎると竹林と共同墓地。竹林内に遺跡(古墳時代の墳墓群)も。江戸時代に田島野を拓いた時から、田島用水はこの一帯を迂回して一旦、段丘崕の中腹に流れを落としているそうです。田島用水は窪の地蔵さんの裏で3本に分かれて再び段丘中央の広野や田島野に流れ下って行きます。先祖の墓があるので、田島用水のことは現状に近いと思います。
それにしても、よくこれだけ詳しくご存じだなと感心しています。