立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

水橋東部の古い街道を行く[2]・・・富山市水橋

2015年07月11日 | Zenblog
 かつての北国街道が白岩川のどのあたりを渡ったのか、よく分かりません。昨日のブログで取りあげたあたりかも知れないし、もっと下流で渡ったのかも知れません。水橋のどの部分を走っていたのか、考えられるのは昨日記述の部分以外にも考えられるということです。

(1)水神社のあたり

 東に向いていますがカメラの背後が白岩川の東西橋です。右前が水神社です。この前にある小さな六角堂の壁に「伝蔵地蔵のいわれ」が書かれています。江戸期天保ころ、飢饉で餓死者が出そうな状況下、一人の米商人が藩に無断でこの近くの藩蔵を開け米を放出し生き埋めの刑に処せられた事績が記されています。上流からの米の集積地でもあったのです。明治になって橋がかけられました。
 水神社は東西橋がかけられたときに建立されました。写真にはその境内に富山市指定保存樹木の老松が並んでいますが、白岩川の自然堤防の断片を示すものといわれます。

(2)廻船問屋の屋敷

 水神社よりも下流で海に近い、昨日の道より白岩川寄りにこの屋敷が残っています。前の道はそう広くはありませんが近くを街道が走っていたとも感じられます。

(3)下条川の橋

 昨日渡った下条川の橋よりも白岩川寄りの橋です。道幅は広くなっています。その橋から白岩川への合流点を見ています。こちらに水橋港の艀場がありました。この川も小さな舟が往き来していたと思われます。

(4)滑川・魚津方面への道

 今も滑川・魚津方面への標識が出ていますが、かつての北国街道もここで右折していたと思われます。

(5)北国街道(浜街道、北陸道)

 この家並みの左に富山湾が広がっています。海岸線につかず離れず、街道が延びています。家の一階部分にうだつのような壁が尽きだしているのが珍しいです。

(6)一里塚

 左の一段高いところにあるのが、北国街道の水橋に残っている一里塚跡です。

(7)海岸線なりに

 左側に海岸があり、道路は海岸線に平行に海岸線なりに曲がっていきます。

(8)振り返って

 来た方向(西)を振り返ってみています。この写真では右に海岸があります。

 (明日に続きます) 

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