不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

la Madonna del cardellino restaurata

2008-11-04 22:06:11 | アート・文化

10年に及ぶ研究調査と修復を終えて、
ラファエロ(Raffaello)の作品が戻ってきます。
ウフィツィ美術館の第26室に戻される前に、
メディチ・リッカルディ宮殿にて
この作品の歴史と、
今回の修復の詳細ドキュメントをテーマにした
特別展覧会が開催されます。

ヴァザーリの「列伝」に記載されている通り、
当時羊毛布の商いで財を成していた
ロレンツォ・ナージ(Lorenzo Nasi)の要請で
ラファエロは「ひわの聖母(la Madonna del cardellino)」を作成。
「ひわの聖母」は1505年のロレンツォ・ナージとサンドラ
(Sandra di Matteo Canigiani)の
婚姻の機会に依頼されたとされています。
1504年から1508年のラファエロのフィレンツェ滞在中に
ラファエロとナージ家は親交を深め、この作品のほかにも
現在ミュンヘンにある「聖家族(la Sacra Famiglia)」も
ナージ家のために製作しています。

ロレンツォはラファエロとの親交を非常に大切にしていたこともあり
この作品を自宅に飾り、鑑賞していたといわれています。
しかし、1547年11月にナージ家の邸宅のあった周辺は
サン・ジョルジョ(Monte di San Giorgio)の丘の
地滑りにより打撃を受けナージ邸も大きな被害を受けました。
このときに「ひわの聖母」は壊れ、17の破片と化してしまいました。
瓦礫の下から作品を拾い集めたのはロレンツォの息子で
芸術をこよなく愛したバッティスタ(Battista)で、
彼が当時の最良の方法で
破片を繋ぎあわせるように依頼をしていますが
実際どこの工房の誰が作業を行ったのかは文書が残っていません。
しかし、現在では様々な状況証拠などから
ラファエロと同世代で、友人でもあり共同作業も行っていた
リドルフォ・デル・ギルランダオ(Ridolfo del Ghirlandaio)の
手によるものと推測されています。
当時ラファエロはローマに向けて出発しようというところで
未完のままであった「聖母子像」の仕上げを
自らリドルフォに依頼していることなどから、
彼が破損した作品の修復に当たったことも
十分考えられとされています。

この最初の修復が終わった後も、
1639年のナージ家の家系断絶までは
ナージ家の所有となっていました。
ナージ家最後の当主であるフランチェスコ・ディ・ロレンツォ
(Francesco di Lorenzo)の没後、
枢機卿ジョヴァン・カルロ・デ・メディチ
(Giovan Carlo de’ Medici)が購入し、
当時彼が生活をしていたスカラ通り
(Via della Scala)の居室に保管。
枢機卿の兄弟である
トスカーナ大公フェルディナンド2世(Ferdinando II )が
枢機卿が残した借金の返済のために、
ほかの財産とともに競売にかけ
「ひわの聖母」は600スクーディの高額を記録しています。
それを知った枢機卿の叔父にあたる教会名誉職にあった
枢機卿カルロ・デ・メディチ(Carlo de’ Medici)が
落札に猛烈に反対し
競売から引き下げ、メディチ家のコレクションに加えるように
大公に要請します。
これによってメディチ家の所有となり、
1704年にはウフィツィ美術館に収蔵となりました。

作品はレオナルドの影響を受け、
均整の取れたトライアングル構成になっており、
また背景となる風景の描き方も
レオナルド特有のぼかし技法が用いられています。
また読書の手を休めた聖母のやわらかな視線の先で遊ぶ
2人の子供の表情はラファエロ本来のものではなく、
やはりレオナルドの影響を受けた表情となっています。

洗礼者ヨハネが握り、キリストが手を差し伸べているのが
宗教シンボル的には受難の象徴となっている「ひわ」です。

Cardellino
L’amore, l’arte e la grazia
- Raffaello: la Madonna del cardellino restaurata
会期: 2008年11月23日から2009年3月1日まで
会場: Palazzo Medici Riccardi(メディチ・リッカルディ宮殿)
開館時間: 9:00-19:00
休館日: 水曜日
入場料: 5,00ユーロ