不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Madonna col Bambino di Brunelleschi

2008-12-02 07:58:00 | アート・文化

フィレンツェの隣町フィエゾレ。
この街の司教館の謁見の間で
人知れず時を刻んできた一つの作品。
芸術品修復の技術では
世界的に知られているフィレンツェの
Opificio delle Pietre Dureの修復士が目を留めるまで
誰もがその作品の美しさには目を見張っていたもの
作者が誰であるのか特定されないまま。

彩色テラコッタの「聖母子像」は
埃をかぶり、ひび割れていましたが
修復士の目には
その作品の本当の価値が見えたということなのでしょう。
早速作品を修復工房に持ち帰り、
入念な研究が重ねられ
このフィエゾレの「聖母子像」は
若き日のFilippo Brunelleschi
(フィリッポ・ブルネッレスキ)の作品であると特定されました。
1400年代初め、彼がまだ建築家として頭角を現す前の
彫刻家としての作品になります。
色彩の使い方、輪郭の美しさなど非常に質の高い作品で
且つ保存状態が非常によいこともあり、
稀に見る秀作といわれています。

これまで知られていなかったこの作品が
日のあたる場所に出たことで、
その周辺の作品との関連性が明らかになりました。
ブルネッレスキ本人が残している
数少ない他の彫刻作品、特に他のテラコッタ聖母子像や
オルサンミケーレ教会の壁がんの一つを飾る
San Pietro(サン・ピエトロ)像などに酷似する部分が
多いことも明らかになっています。
1401年に洗礼堂東門のコンクールでギベルティに負けて
彫刻の世界を諦めたブルネッレスキが
建築家として表舞台に出てくるまでの数年間は
ほとんど記録が残されておらず、
その時期に彼がどのような活動をしていたのかは
謎に包まれています。
この聖母子像は
そんな彼のいわゆる日陰の時代の作品であるとされ
現在は1405年頃に製作されたものと言われています。

またブルネッレスキのこの作品をオリジナルとした
コピー作品が約20点ほど作られていることも
検証の結果わかっています。
ブルネッレスキの作品は粘土から作成され
焼きの段階で破損を起こしており
塑型を作る前に修繕されています。
彼の作品をオリジナルとして作製された
ほかの「聖母子像」は
すべてこのオリジナルの持つ裂け目痕をもっていることから
ブルネッレスキの作品が他の作品のオリジナルであることは
間違いがないといわれています。

元々古代世界ではテラコッタの彫刻作品は
非常に数多く製作されていましたが
中世の時代になり次第にその需要も減り姿を消していきます。
そしてまさにルネッサンスの寵児である
ブルネッレスキとともに再生。
古代回帰はルネッサンス芸術の基礎でもあり、
そういう意味でも非常に重要な作品と位置づけられています。

自分の愛息子の運命を知り尽くしているといった
母親の寂しげな表情がとても印象的な作品。
修復を終えて、12月15日から貴石博物館にて展示されます。
この展示が終わると、再びフィエゾレの司教館に戻されるか
もしくはフィエゾレの
Museo Bandini(バンディーニ美術館)所蔵となります。
フィレンツェで観られる機会に是非。

Img
La Madonna di Brunelleschi
会場:Museo dell'Opificio delle Pietre Dure(貴石博物館)
   Via degli Alfani 78 フィレンツェ
会期:2008年12月15日から2009年2月28日まで
開館時間:8:14-14:00 木曜のみ8:15-19:00
休館日:日曜祝祭日
入場料:4,00ユーロ