不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Il turismo religioso

2011-03-01 21:57:36 | アート・文化

世界中の信者から愛された
偉大なローマ教皇Giovanni Paolo II
(ジョヴァンニ・パオロ2世/ Karol Wojtyla)の
異例な速さの列福式は5月1日に予定されています。
彼の生地であるポーランドの小さな町(Wadowice)では
彼が教皇に就任してから5年目の1983年から
彼の生家を博物館に改装して、巡礼者を迎え入れています。
今では年間100万人が訪れる
教皇の生家巡礼のメッカとなっています。
小さな町のレストランやホテル、お土産やさんは
こうした巡礼者の落とすお金で潤っているといわれています。

ジョヴァンニ・パオロ2世以外の歴代教皇も
それぞれの故郷で巡礼者を迎えています。
ドイツ訛のイタリア語で知られる
現教皇のBenedettoXVI
(ベネデット16世/Joseph Ratzinger)は
ミュンヘン郊外のMarktl am Innの
典型的なバイエルン様式の生家が教皇就任直後に
銀行によって買収され博物館に改装されました。
1939年から1958年まで教皇であったPio XII
(ピオ12世/Eugenio Pacelli)が暮らしたことのある
ローマのPalazzo Rediconi(レディコーニ宮)は
現在も予約すれば見学可能。
1958年から1963年まで教皇を務めたGiovanni XXIII
(ジョヴァンニ23世/Angelo Giuseppe Rocalli)は
ベルガモのSotto il Monteの出身で、
彼の生家はそのままの形で今も巡礼者を迎えています。
1963年から1978年まで教皇だったPaolo VI
(パオロ6世/Giovanni Battista Montini)は
ブレーシャ郊外のConcesio出身で
彼の暮らしたアパートは現在予約をすれば見学可能です。

1978年の8月26日から9月28日までの
わずか33日間の短い就任期間となったGiovanni Paolo I
(ジョヴァンニ・パオロ1世/Albino Luciani)は
ヴェネツィアの北にあるCanale d'Agordoの生まれで、
彼の地に生家も残っていますが、
遺族の意向により、
長いこと彼の生家は巡礼者に公開されていません。
しかし、ここ数年の教皇の生地巡礼ブームもあり、
この小さな町にも変化が起きています。
Canale d'Agordo(カナーレ・ダゴルド)は
人口1230人の小さい町で
その市役所が置かれている1500年代の建物は
市役所になる前は
バットゥーティ派信者会の拠点が置かれていたところで
この建物を改装して
教皇ルチアーニの私物や書物を展示する
博物館とする計画は
304万ユーロを投入して進行中で、
1年後の教皇ルチアーニ生誕100年にはオープンの見込み。
純粋な宗教的な目的のためという感じの事業ですが、
他にこれといった産業もない小さな町で
巡礼者がWadowiceの10分の1でも訪問してくれれば
町の財政は潤い、若者の職も増えるという
非常に現実的で経済的な思惑が渦巻いています。

実際これまでは
静かに思い出の中で暮らしたい
という遺族の気持ちが尊重され
巡礼の対象外となっていたのですが、
遺族と市との歩み寄りが計られ、
生家もプライベートに売却してしまうのではなく、
教会関係の財団などの手に委ねて
精神・信仰活動を後援するスピリチュアル・センターとして
世界からの巡礼者を迎えるという案が持ち上がっています。
また歴代教皇が休暇を過ごす地とカナーレ・ダゴルドを繋ぐ
Via dei Papiという巡礼の道の整備も進んでいて
これについてはヴァチカンも
いずれはスペインの有名な巡礼の道
Cammino du Santiago de Compostelaのように
巡礼者で溢れることを夢見ていたりします。

我々の記憶にはほとんどない教皇ですが
「私がこの地に赴任した時は
ポケットに5リラしか持っていませんでしたから
ここを去る時も5リラしか持ちません」と
多額の寄付金をそのまま教会に残したという逸話があります。
敬虔な宗教者とはそういうものなのでしょうけれど、
その周辺は、残念ながら、必ずしも清廉潔癖ではなく、
宗教が金儲けに直結しているのはいつの時代も同じなのです。