超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">マーラー乱読</span>

2010-08-08 18:20:49 | 無題

クラシックジャーナルの特集が「マーラーを究める」で、オントモムックの完全ディスコグラフィーと比べた結果、クラシックジャーナルの方を買う。前島良雄氏の巻頭エッセイがマーラーの常識を覆すことを意識した文章で、アルマ・マーラーの書いていることは信用できない、ドビュッシーが席を立ったなどありえない、交響曲10番を未完にしたのは次の年の夏にじっくり書こうと自信があったからで、晩年死の不安におびえていたということはない、巨人も復活も夜の歌も副題は本人の意向に沿ったものではない、売れるための商戦だなどと書いてある。
面白かったのは、舩倉武一氏の「クーベリックのマーラー全集へのオマージュ」である。クーベリックのマーラー全集は現在あまり人気がなく過去の産物とされているが、クーベリックのマーラー全集は後期ロマン派として、また斬新な書法で近代に繋がるものとして穏当に解釈されたものであり、特にボヘミア生まれのマーラーのボヘミア的な特質をよく理解している、葬送の章がコミカルに転調するのも、ボヘミアの陽気な葬儀の習慣を反映していて、マーラーの意図をボヘミア人として深く理解して演奏している、バーンスタインのマーラーのように心の葛藤をえぐり出した、聞き手を暗闇に引きずり込む種類の演奏ではないが、一見穏やかで懐の深い名録音揃いである、と書いてあってクーベリック好きの私は大いにうなずいたのであった。
ただ、auditeのライヴ録音はえてして演奏が雑でドイツグラモフォンの全集にはとても及ばないと書いてあって、そこが意見が分かれるところだ。ライヴは演奏の完璧さよりも臨場感が命であり、その点若干おとなしいドイツグラモフォンの全集を大いに補うのがauditeの気宇壮大なライヴの劇的な演奏だと私は思うのだ。ドイツグラモフォンの全集を愛するあまり、ライヴ録音の採点が辛くなったのはよくわかるが、auditeのライヴが残されていて本当によかったと私は思っている。
その他、裄野條氏のカラヤンのマーラーの論考なども読みごたえがあった。ただ、カラヤンはあれだけ演奏歴があるのだから、早いうちに志せば、全集をつくることもできたであろう。それを後回しにしたのは比重が軽かったとしか思えない。晩年はマーラー演奏に力を入れていたが、マーラー・マニアではなかったのだろう。巻末近くにある土井尊博氏のマーラーCDの寸評付きの聞き比べも、吉井亜彦氏の名盤鑑定百科のスタイルを思わせるが大変興味深かった。これに付け足すとすれば、ヴァーツラフ・ノイマンのマーラー全集評であろうか。ともかく、今回のクラシックジャーナルの特集は完全にオントモムックより充実していた。インバルの国内版全集を誉める余りブリリアントを劣悪と言ったり言い過ぎの面はあるが充分満足のゆくマーラー特集である。



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