CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

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淡河八幡神社 秋季例大祭(御旅神事)  on 2017-10-1

2017年10月04日 05時09分41秒 | 神戸情報
毎年10月第一日曜日に淡河八幡神社の秋季例大祭(御旅神事)が行われています。
平成29年(2017年)は10月1日に挙行されました。その様子を紹介します。

淡河町の14の集落と隣の三木市志染町の戸田・三津田の集落、合計16地区が淡河八幡神社の
氏子になっています。16の地区を4つの当番区に分かれます。
またその当番区に親村というのがあり、祭りのすべてを取り仕切ります。
4つの当番区は、宮元、七村、野瀬・神田・神影、戸田・三津田と分かれます。
この4つの当番区が毎年順繰りに当番をします。
宮元が勝雄・淡河・本町・萩原の4集落で、七村が南僧尾・北僧尾・木津・行原・東畑・
中山・北畑の7集落です。それと、野瀬・神田・神影の3集落、戸田・三津田の2集落です。
2017年の当番区は戸田・三津田で太鼓の担ぎ手は戸田から42名、三津田から28名
の合計70名でした。太鼓の打ち手は志染小学校の4人の生徒さん。

神輿の担ぎ手は淡河中学校と志染中学校の皆様?。
舞子さん4人による舞の奉納は志染中学校の皆様の奉仕です。

本論に入る前に淡河八幡神社について簡単に触れておきます。

淡河(おうご)八幡神社の基本情報
住所:神戸市北区淡河町勝雄35  TEL:078-959-0436
御祭神:底筒男命(うわつつのおのみこと)、安閑天皇、応神天皇
年中行事:1月1日   元旦祭
     2月3日   節分 交通安全祈願
     2月11日  御弓神事(延宝5年(1677)の古文書に記載
            兵庫県指定無形民俗文化財
     6月11日  古代米植初式
     10月第1日曜 例大祭 渡御神事
      神戸市のサイトに行事の詳細が紹介されています。

       http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/folk/entertainment/case/5_8ougo/1001.html     
     11月23日  新嘗祭、神楽奉納

現地の説明板よりそのまま引用させていただきます。
「淡河八幡神社
 有馬氏 八幡神社本殿造立(増立)

ご存じ、中央競馬会暮れのグランプリ『有馬記念』は農林大臣有馬頼寧氏の数々の功績を
称え、記念して出来たレース。この有馬頼寧氏の先祖が有馬則頼・豊氏父子で則頼は
三津田(満田)城で生まれ、後に淡河城主 淡河氏を滅ぼして淡河城主となる。
ここに誕生したのが豊氏。有馬氏は八幡神社を祈願所として崇敬し、ご本殿をさらに
大きく造立した。

後に有馬氏は、豊臣秀吉の勢力拡大に多くの功を残し、秀吉の恩恵を受け久留米21万石
の大名となり、益々の発展を見たのである。

※淡河氏は鎌倉時代に淡河城を築き淡河の城下を整備。
もちろん八幡神社は、淡河氏の崇敬祈願所でもありました。
淡河氏一族は今なお、全国各地で名士として活躍されています。

淡河八幡神社      ご祭神
本殿 奈良時代より  底筒男命
本殿 平安時代より  安閑天皇
 本殿 鎌倉時代より  応神天皇
末社 (表参道)     武内宿禰命
末社 (裏参道)    大山津見神
遙拝所(裏参道)    天満宮
遙拝所(境内上)    伊勢神宮
銅 像(境内上)    神馬一体
句 碑(表参道)    坂井県知事
    杜山悠(3年連続直木賞候補)
                          淡河町自治協議会」


当日は9時前に現地に到着。
すでに布団太鼓の飾りつけ作業などをされていました。(下の写真)



上の写真は9時前の淡河八幡神社拝殿 先ずは参拝を済ませて境内を見学。(写真は省略)


上の写真は神事が始まる前の舞子さん4人の記念撮影。
志染中学校の生徒さんのご奉仕です。


上の写真は布団太鼓の太鼓の打ち手、志染小学校の皆様の記念撮影です。

ここからは本番に入ります。時間は目安のアバウトな時間

神事 9:50~10:40








上の4枚の写真は神事の様子です。
舞子さんによる浦安の舞の奉納もありました。
神輿に神様が御移りになる場面も写真もあります。


上の写真は神輿に移られた神様を外から覗かれない様に晒しを巻いているところです。

挨拶10:40~11:00


上の写真は淡河八幡神社責任役員 村上氏からの挨拶場面





上の2枚の写真は舞子さんと太鼓の打ち手の紹介場面


境内練り合わせ
 11:00~12:00


上の動画は布団太鼓の境内練り合わせ


上の動画は神輿の境内練り合わせ


上の写真は子供神輿の境内練り合わせ
神戸親和女子大学の皆様のご奉仕

浦安の舞などの奉納 12:50~13:20






上の3枚の写真は浦安の舞の奉納

御旅神事 13:30~15:30?

御旅所(天満宮)での神事を観たあと帰路についたので14:30以降のことは不明


上の動画は布団太鼓の宮出し場面です。


上の動画は御旅所への行列です。
猿田彦の先導で御旅所へ向かいます。


上の動画は御旅所への宮入と神事の様子です。

御旅所神事は神戸市指定の重要無形民俗文化財となっています。

淡河八幡神社では今回観覧した秋季例大祭(御旅神事)と2月11日に行われる御弓神事が
二大イベントになっています。

御弓神事(兵庫県指定 重要無形民俗文化財)はまだ観覧していないので今後行きたい
と思っています。

神戸市北区淡河町は昔は播磨国美濃郡に属し史跡や伝統行事が多く残されています
以下ほんの一部ですが筆者が訪問した足跡を紹介します。


  神戸市北区淡河町 歳田神社に残されていた豊臣秀吉の制札
   湯の山街道の宿場町でもあった淡河町には当然、札場がありました。

  淡河城跡 訪問記 on 2013-4-14
   淡河氏代々の居城でしたが天正6~8年(1578~1580)羽柴秀吉による三木城(別所氏)
   攻めの後は有馬氏 一万五千石の居城として慶長6年(1601)まで淡河と共に栄えてきました。

  萩原城跡 on 2013-6-11
   萩原城は淡河城城主の淡河氏が淡河城の支城として鎌倉末期に築いたとされています。
   淡河氏の後、有馬氏(有馬重則)の居城となりました。
   天文23年(1554)三好長慶が三木城攻めをした際に、三好側に加わった有馬重則に
   攻められ萩原城は落城し、淡河氏は淡河城に移ったことが有馬氏の居城となった
   原因であろうと推定されています。

  神戸市北区淡河町 南僧尾厳島神社
    農村歌舞伎が盛んな地域です

   湯乃山街道 淡河宿 on 2013-4-14
    淡河宿は天正7年(1579)5月26日 淡河弾正忠定範が淡河城を出て滅んだ後、
   豊臣秀吉によって整備された。この時に秀吉の命を受け、宿場町建設に活躍したのは
   村上喜兵衛であった。この功績により、村上家は代々淡河の大庄屋を勤めるようになった。

   村上家の本陣跡は現在整備され地域交流拠点として利用されています。
     神戸新聞での紹介記事:https://www.kobe-np.co.jp/news/kobe/201705/0010233531.shtml

     神戸市の紹介記事:http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2017/05/20170517143001.html

  神戸市北区 淡河(おうご)八幡神社訪問記 on 2013-4-14
   2月11日に行われる御弓神事が有名

  石峯寺 on 2008-5-22
   神戸13仏に列せられている立派な寺院です。

  神戸市北区淡河町 歳田神社の御田祭 on 2013-5-3
    農村の伝統行事が継承されています

  淡河弾正忠定範戦死之碑 in 三木市八幡森史蹟公園 on 2013-4-8
   淡河城の城主の 淡河弾正忠定範は三木合戦で戦死しました

  満月堂の豊助饅頭
  



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