CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

下畑歴史散策マップ on 2017-10-8

2017年10月09日 06時19分36秒 | 神戸情報
2017年10月8日、下畑海神社の秋祭りの様子を見に行くため、下畑町界隈を
ブラブラしていた時、偶然にも表題の下畑歴史散策マップの掲示を見つけましたので
写真紹介します。


上の写真が下畑歴史散策マップの掲示の遠景です。
平成28年(2016)8月垂水伝統芸能保存会 塩屋・下畑生活文化圏部会により作成
神戸市垂水区役所もバックアップで協力されたようです。

掲示の詳細中身に入っていきます。

上の写真は伊藤太一氏の彫画 題名「漂うノスタルジックな情景」
文章も同じく伊藤太一氏で「明石の櫛淵と下畑」について記載されています。
神戸新聞の明石地方版に連載中のものでNo.85として掲載されました。

平安時代まで須磨の鉢伏山の海岸は海岸沿いが絶壁になっており
山陽道は須磨の綱敷天満宮附近より北に迂回し多井畑を通り塩屋谷川沿いに
塩屋、滝の茶屋に抜ける道が古山陽道と呼ばれ、延喜元年(901)右大臣菅原道真は
藤原時平の換言により九州大宰府に流されましたがそのときも神戸から陸路で
明石海峡をを過ぎるまでこの古山陽道を利用したと伝えられています。
この古山陽道が旧下畑村の中心部を横断し下畑街道とも呼ばれていました。
上述の須磨・鉢伏山の海岸は「赤石の櫛淵(あかしのくしぶち)」と呼ばれいた
難所で道はありませんでしたが豊臣秀吉の太閤検地(文禄3年(1594))で
境川が摂津と播磨の国境と定められ、同時に海岸沿いに山陽道が整備されました。

彫画とほぼ同じ場所を撮った写真を添付しておきます。

2017-10-5撮影 井植記念館より明石海峡大橋を臨む景色


上の写真は乙姫大明神を紹介したものです。


上の写真は乙姫大明神 撮影:2017-10-8


上の写真は乙姫大明神の縁起の説明板です。撮影:2017-10-8
平清盛が承安年間(1171年から1174年)に播磨守に任じられた時に建立と
伝わってます。


上の写真は伊藤太一氏の彫画 題名「朝景・夕景 絶佳の高台」
文章も同じく伊藤太一氏で「塩屋 古山陽道辺り」について記載されています。
神戸新聞の明石地方版に連載中のものでNo.182として掲載されました。


上の写真は彫画とほぼ同じ場所の景観です 撮影:2017-10-8


上の写真は下畑の主な史跡を航空写真の中に記載したものです。

下畑地区では佐伯、石阪、森本、佐伯、藤田、林の六家が統主と呼ばれ、
下畑地区の鎮守の社の下畑海神社を輪番制で御守している。

また各家は独自の神社を祀っておられます。

2017年10月8日に撮った写真の一部を添付しておきます。


上の写真は下畑海神社






上の3枚の写真は2017年の下畑海神社秋祭り関係リーフレットなど


上の写真は佐伯神社


上の写真は天皇社(石坂家)


上の写真は久昌寺




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする